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BIG MAGIC。女医のたまごのインド一人旅。

ふと、思いつたことをメモするようにしている。ほんとになんでもかんでも降りてきたことをささっとスマホでメモに入れる。

「曇り空でもオールOK」

「Oh, my insecurity」

「You lie」(洋楽を聞いていた)

本当に大したことのないことだけど、耳に入ってきたことをすっとそのまま書き留める。これは、語彙を増やしたり新しい言葉を使う第一歩だ。おそらく。

自由になれた、「BIG MAGIC」。

3年前、この本を初めて読んだ。こんまり流お片付けを、完遂した後のことだ。

こんまりこと近藤麻理恵さんは、世界中でお片付け旋風を巻き起こし、今や一番よく世界で知られている日本人の一人。私は当時2人目の育休中。こんまりさんは当時オンラインサロンをされており、私も参加していた。

そこで、紹介されていたこの本。

エリザベス・ギルバートさんのBIG MAGIC。

エリザベス・ギルバートさんと言えば、2010年に公開された「食べて祈って恋をして」

まぁまぁいい年の女性が、一人で海外に旅に出て、イタリアで美味しいものをたくさん食べて、バリに祈って、本物の恋に落ちる。

世間体、常識なんてひとまず置いておいて、自分の心に素直に従って好きなように動いてみちゃう。

当時医学生だった私が、たまらなく惹かれた映画だった。その年、私は医学科4年生(医学科は6年制)。世の中を知りたくて、世界に出たくて、ヨーロッパに1カ月、インドに9泊10日、一人旅に出た。

女医のたまご、インドで一人旅

本当は、インドでなくアフリカに行ってみたかった。ただし我が家の親は、女性が一人で海外に出ることも心配する。インドなら、アジアでアフリカよりは身近であり、なんとか許可されることを期待した。

実際、渡航前日まで辞めるよう説得をされていたのだが、なんとか飛んだ。インドのチョイスが功を奏した。インドのチョイスが。

渡航前にはJTBで旅行会社で航空券と、初日の宿だけ押さえておいて。あとはどうにかなるだろう、と飛んだ。

旅程としては、デリー(1泊)→ジャイプール(2泊)→アグラー(1泊)→デリーに戻り夜行で移動→バラナシ(2泊)→夜行で移動→デリー(1泊)→日本着。

適当すぎる後出しの旅程

そうだ、あの時はアレルギー性結膜炎がピークに調子悪い時。なぜかというと、その前に解剖の授業があって。ホルマリンに触れる機会が長かったからか、目の上あたりにずっと湿疹が出ていて、目もゴロゴロ痛かったり痒かったり。完全に良くなるにはその後かなり時間がかかった。

インドの首都のデリーの空気は特に悪く、砂埃や何やらで煙っていた。私のまぶたと目との相性は最悪だった。帰国して、日本はインドと比べて驚くほどに空気が澄んでいたことに感謝した。私はどこでも生きていけると思っていたが、インドでは生きていけないとようやく気付いたのである。


現地で使ったお金は、合計: 10022ルピー。+ややぼったくられたツアー代26400ルピー。総計: 36422ルピー (当時約73000円)


これに航空券往復がプラスされるから、結構使った。そしてツアー代はインドにしては高かった。というのも、インド滞在2日目で、とある旅行会社につかまってあれよあれよという間に旅程を組まされてしまったのだ。まさか日本で予約していったホテルでつかまるとは。

あれは何日目だったか、途中でようやく私の期待した1人旅と違うし、お金を取られすぎてると気づいた。観光も良いが、現地の人が訪れるインドに触れたかった。契約書をしっかり見返して、途中からでもキャンセルし返金してもらった。それを交渉するのは、口から心臓が飛び出そうなほどドキドキした。

ぼったくりツアー中ずっと一緒だったタクシーのお兄さんに、「僕の部屋は虫が出るほど居心地が悪いんだ。君の部屋で寝ていい?」と言われた日。色んな言い訳を駆使して確実に断った。どれだけ悲しそうな顔をされてもそれは無理だ。

このようにインドでは、9泊10日にも関わらず、色んな「黒ひげ危機一髪!」みたいな事件が起こった。無事に今、日本にいられて何よりもありがたい。

旅の大きな目的の一つは、ノーベル平和賞受賞者のマザーテレサが活動の拠点としたコルカタまで行くことだった。マザーテレサを尊敬していたので、その原点に触れるために。コルカタにはマザーテレサハウス(Missionaries of charity Mother Teresa)という死を待つ人の家や、孤児の家、などの施設がある。

が、いざインドへ行ってみると、9泊10日の日程では余裕がないことに気づいた。行き当たりばったりである。

運のいいことになんとバラナシにも同様のハウスがあることが分かり、バラナシ滞在の2日とも数時間ずつ訪問し、名ばかりのボランティアをした。


料理や洗濯などをただ手伝ったり、居住者の話を聞いたりする。たったそれだけ。

それでもあの、洗濯物を長い長い物干しざおに沢山干していくときにみたあの青い空。子供たちの、溢れんばかりの笑顔。年長者たちの、あの落ち着き。彩のある生き生きとした風景を今も忘れていない。

バラナシの、ガンジス川沿い。地面に洗濯物を干すのを見た時の衝撃。
左上、右下の写真がインドの子供たちの写真。笑顔が眩しい。


言葉は殆ど通じなくても、そこでまっすぐ自分を生きているそれぞれの強さを感じた。

ガンジス川では、「顔は水につけたらさすがに危険だ」と、医学生にしてもかなり甘すぎる認識だった。A型肝炎や腸チフスなどの予防接種など打っていないのに、泳いだ。幸い病気には罹患しなかったが、反省している。

子供たちの、逞しさ


夜のガンジス川でボートに乗って、火葬場やお祈りを見たりお花を流した。お花は、逞しい女の子から買った。


当時は、小さい子供たちがお金をもらおうとしたり、商売をしたり、お釣りをごまかそうとしたりする様子を見て、文化の違いに戸惑った。

泣いた。お金ってなんだろう。私はどうすべきなんだろう。今まで考えてこなかった新たな感覚の所在に気づき、どうしていいのか分からなかった。

だけど今振り返ると、拙い日本語を使い、稼いでいこうとする姿は、逞しいの一言に尽きる。すごい。

10年以上経った今、私が訪れた場所はどうなっているんだろう。インドは、当時の旅行者に、「また行きたい、行きたくないがめちゃくちゃ分かれる国」と聞いた。確かに。分かる。私のまぶたはあの時限界だった。目が開かないかと思った。

180°ぐらいの異文化に触れたと感じたけど、今は90°ぐらいにお互い近づいているんだろうか?

BIG MAGICとのつながりを書ききれなかった。またの機会。



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