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ちょっとだけ浅草案内|近すぎて見えなかったものが見えた話

 灯台下暗しという言葉が出ると必ず大正デモクラシーと声に出す夫に毎回イラっとするじゅんぷうです、こんにちは。

 おひとりさまバスツアーで戸隠と善光寺を訪れてから1ヵ月がたとうとしていますが、次行くときは、という妄想の日々を送っています。

 さて、浅草の浅草寺がふだんの通り道であるじゅんぷう。
 この前、用事を済ませてから友人たちとの約束の時間まで中途半端だったので、本堂の西隣りにある影向堂(ようごうどう)を訪れました。日差しの強い日だったので日よけ目的もありますが、ふと十二支本尊と、大黒天様をお詣りしたくなったのです。

 影向ってなんだか惹かれる言葉。
 神仏が仮の姿を現すことを言うそうです。

影向とは、神仏が姿かたちとなって現れることである。浅草寺では、観世音菩薩のお説法やご活躍に不断に協力されている仏さまを「影向衆」と呼び、影向堂に生れ年(干支)ごとの守り本尊八体(影向衆)を祀る。

浅草寺公式サイト

 こちらが御朱印所にもなっているので、御朱印待ちの方が多かったのですが、わたしは内陣の十二支本尊をお詣りを通り越してガン見。
 自分の干支、子年の千手観音。今年の干支は虚空蔵菩薩。聖徳太子、善光寺とご縁の阿弥陀如来。八躰の十二支本尊が、聖観音菩薩を中心にいらっしゃいます。
 外陣の大黒天様もお詣りを通り越して間近で凝視。というのも、大黒天の眷属ってねずみなんですよね。それで子年生まれとしては気になっていたのと、本当はシヴァ神という怖い神様なので、そう思ってお顔を見ると何だか闇が広がる。

いやこんな穏やかなんじゃなくて…
ね!! 撮影禁止なので浅草観光連盟さんからお写真かりました

 そして今さらながら「浅草寺西側境内」案内のパンフレットを手に取って、見てみました。
 影向堂に始まり、わたしも通りすがりに時々手を合わせる銭塚地蔵堂と淡島堂、それから薬師堂。お堂のほかさまざまな句碑などが記されたマップを広げてみると、え、え? 
 そこには戸隠で見た、あるお名前が。

九頭龍権現社

 説明には「昭和本堂の再建成就を願い、長野県の戸隠より勧請された龍神様」とあります。
 戸隠五社の中で、天岩戸神話に関わるほかの神様たちよりも古くから戸隠にいた、正真正銘、戸隠の神。戸隠山では、岩戸をこじ開けて放り投げた力の神、天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)を祀る奥社の隣り…というか背後から見つめられるような形で祀られていました。ってマイルドに書いたけど背後からオラオラ威嚇されてるような形というのがわたしの思うところ。
 マップを見て盛り上がったところで待ち合わせ時刻が迫り、後日、あらためて訪問。

 影向堂の境域にある小さな祠のひとつが九頭龍さまでした。
 うん、数えきれないぐらいここを通ってるし、名前も目にしてたわ。見てたわ…。「戸隠には呼ばれないと行けない」から、今まで呼ばれてなくて気に留めなかったんだなあ。もう素通りしません。

本堂の屋根とぴったり重なります。本堂のほぼ真西。

 たしかに影向堂のまわりはちょっとした人口の水辺になっていて滝もあったりするので、そこに龍神として九頭龍さまを呼んだのかな? と思ったのですが、お隣りにあったのが金龍権現社。
 浅草寺の縁起にはこの金龍が深く関係していて、山号も金龍山だし、ご本尊の示現会として年に2回、金龍の舞という寺舞もあります。
 浅草寺にとって重要な金龍と、戸隠の神。並んで浅草寺の伽藍の守護をしているとのことだけど、だからなんで戸隠? 素朴な疑問として、今度関係者に会ったら訊いてみることにします。

善光寺とも共通点を感じるので、聞きたいこといろいろ

 とにかく戸隠とのつながりをご近所で発見してテンション上がったのでした。

 ついでに

 この前の才能適職診断につづいて、こっそり恋愛力診断もしていたじゅんぷうですが、ちょっと見てください。

仏教で例えると「金剛力士」

「嫌い」の項目、後半とくに嫌いわ~

 金剛力士って、浅草寺の宝蔵門にもいらっしゃる二体で一対の、コワモテの仁王様のことですよ。

つまり…
ガードが固い?
手ごわい?
戦士?

ニコイチだけど最後は一人なのか…

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