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反省の日々を乗り越えて前向きに

アラカンの私。

還暦の足音が少しずつ近づいてくるにつれて焦りが出てきた。

江戸時代なら人生五十年。もうとっくに人生を終えていてもおかしくない。

自分の人生を振り返り、なんとのらりくらりと生きてきてしまったのかと溜息をつく。

社会の中で何かを成し遂げたいとか、人に認められる人間になりたいというような欲は全くなかった。

昔の教育を受けてきたので、強いてあげるとすると、内助の功や良妻賢母的なところをぼんやりと指針にしていたように思う。

子育てだけは自分なりに一生懸命やった。自分の作品だと思って。。

ただ、最初の10年は良かったけれど後半の10年は、私が過干渉になり過ぎて息子たちにとっては甚だ迷惑だったであろう。

現在は2人とも社会人となり独立した。経済的にはホッとしている。

長男もアラサーとなり、やっと私は子離れ出来たかなという感じ。

次男も最近、彼女と同棲を始めた。

私もこれからは程よい距離を保ちつつ、彼らとは大人同士として対等な関係で付き合っていこうと思っている。

さて、残りの私の人生どうやって生きていこうか。

出世意欲のない私でもひとつだけ心残りのことがある。

やはり、私は若い頃に音楽で一度挫折している。

何だかずいぶんと大げさだが(笑)

まだ若かった私にとって、音楽は大好きだったけれど、楽器(ホルン📯)を思うように操れなかったことが一番の苦悩で、本当に暗い10代、20代だった。

残りの人生、まだ身体や手が動くうちに自分の好きな音楽を少しでもまた演奏出来るようになりたい。

もう一度自分を大切にして自分のために一生懸命取り組んでみたい。

そんな思いから、今までのんびりと近所のウクレレ教室に通っていたのだが、4月から環境を変えて自分の感性に合った都内のウクレレ教室に通い、基礎基本からやり直すことにした。

将来都内に引っ越すことも視野に入れ夫とも話し合っているので、そういう意味でも通いやすい教室を選んだ。

少しでもレベルアップして演奏を深め、音楽を楽しめる自分になりたい。

そして若かりし自分に、まだ今でも頑張ってもがいているよと伝えたい。


そんなことをぼんやり考えていた時に、sakuさんの愛に溢れた素敵な固定記事に目が留まった。



重度の障害のある息子さんを育てておられた、sakuさんのお友達の愛に溢れた生活のお話しの記事である。

ハッとさせられた。

ちっぽけな自我に囚われていた私の心が洗われたような気がした。

いや、救われたのだ。

そして、生きている間は一瞬一瞬を大切に過ごし、前向きに生活していこうと思った。

その日々が尊いのだ。

生きている意味は必ずあると私も信じている。

sakuさんのお友達やその息子さんは、私に生きる勇気と力を与えてくれた✨

自分を真剣に愛することによって、周りの人も愛することが出来るのだと思う。

そこが私には足りないところだと気づかされた。

魂は永遠に生きていかれる。

私もそう思うし、そう信じたい。

反省だけしていてもしょうがない。

実際に、目の前の生活を前向きに生きていこうと励まされた。


🏥


今日は半年に一度の大学病院の検診だった。7年前に網膜剥離と黄斑前膜の手術をしてからずっと通院している。

まだ、とりあえずなんとか見えている👀

ありがたい💫

私の眼👀に感謝しながら、自分を大切にしてこれからは前向きに生きていきたい✨


🩷sakuさんへ
このたびはsakuさんの素敵な記事を紹介させていただきました。
ありがとうございました🩷



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