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天才との境界線。

先日飲んでる時にマネジメントの話になって、
「もっと上を目指して努力してほしいけど、何でできないんだろう?」
という話を聞いた。

この言葉はとても示唆に富む話題を複数、意味してるなぁと思いながら、
別にバチバチにマネジメントについて激論を交わしたい訳ではなかったので、
酒の肴程度に、天才との境界線についての話をしてみた。
(備忘録:いつか「天才と天才性」についても書く)

結論、人によってその境目は異なるんだろうけど、
きっとその人には理解できない、
「何でそんなことが思いつくんだろう?」とか
「何もしてないはずなのに何で出来ちゃうわけ?」とか、いろいろあって。

今回の話題で出てくるシチュエーションでいうと、

・トレーナーは、スキルと経験を持ち合わせ、唯一無二感がかなりある
・プレーヤーは、20代前半、たしかに一般的。まだまだこれからという段階
・トレーナーいわく、プレーヤーの努力が足りないという
・プレーヤーいわく、トレーナーは天才で、そんなレベルを目指せないという
・トレーナーにとっての天才は別に存在していて、その人こそ理解不能

今回はこのプレーヤーがどうこうについては
引くほどほったらかして、天才について。

プレーヤーにとっての天才という表現が意味するものと、
トレーナーにとっての天才は、当然ながら異なります。

で、シンプルに、
「彼女にとっては、あなたが天才なんだよ」
と伝えるわけですが、

「私は努力の積み重ね(つまり地続き)でこうなっているから、天才じゃない。天才は、地続きにはいない」
と言うわけです。

これはこれで堂々めぐりなわけで、
天才とそれらを分ける境界線は、
理解不能な側が異物とするために線引きをして
「これは別世界だから」と拒絶していることに
他ならないのです。

そのため、天才側からすると、
「え、全然、地続きじゃん、普通に。」と
ギャップが生まれ、その溝は埋まらない。

悩ましいのが、そうした能力などは
たしかにモノサシ上で測られるような
ただひとつの数字の多寡ではないものばかり。

何だったら、生きている次元、ルールが違うようにさえ感じるわけで、トランプみたいなもんだろうなと。

初級編としては、1-10まではわかるねと。
ただ10の人は思うわけです。
「もうさすがにマークを描けるとこないから、
10がMAXでしょw」
と思ったら、まさかの絵柄が登場。
J.Q.K(11-13)となり、ようやくトランプとなる。
(ルールが成立する)

ただ、そうやって決めた(つもり)が、
ポーカーのルールでは1はAで最強なんですという。
Kからしたら、「ふぇ!?」という状態。
ポーカーからしたら「いやいや、そうでしょ」
と、これまた堂々めぐり。

気がつけば大富豪では、
まさかの2が最強になっていて、いよいよ理解不能。

さらには、スペ3(♠︎の3)が2を上回る、
最弱、最強のカードだと言い出す始末。

ルールを知ってる者にとっては何てことはない理屈も、
そうでない人からすると、10よりJが強いって言われてもわからない。
(だって11だって書いてないんだから!)

変態的な天才性を有している人は、
スペ3のような、ローカルルールのようなものもありますが、
トランプをやるからにはJが11であることは基本ルールであって、
ルールを知らない10からするとJは天才っぽく見えるけど、
Jは天才とまではいかないってのが、きっと多数派でしょう

世の中も意外とこんなかんじになっていて、
社会の仕組みとか、世の中の流れとか、
デザインのセンスだったりコミュニケーションだったり、
それぞれにルール(縛る意味ではなく、論理みたいなもの)があって。

それがわかる人とそうでない人、めちゃくちゃわかる人を、
人は天才とかって形容する。

っていうことを書いてみておきたかった。

▽追記
福本さんの天才に関するツイートが本当にその通りだと思いました。
天才は理解不能なんじゃなくて、理解不能なものを説明できてしまうことだって話。
基礎、つまり本質、ルールを深く理解してるってことだ。

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