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「文章力」と「生き方」

こんにちは!
じゅんじです。

二日間くらい記事の更新を開けておりました。

約2年間ぐらい長文の投稿を書いていたので
少し間が開くと文章を書きたくなる体になってしまいました。

文章力や言葉の表現が不得意なので
長文を書くことに抵抗がありましたが
2年も経ってしまうと
慣れてきて楽しめるものですね。

文章を書き続けて2年も経ってくると、
"自分の文章" の書き方がわかってきます。

"自分の文章"とは、自分にとって書きやすい文章です。

例えば、僕が書く文章では、
「私」という一人称ではなく
「僕」と表現しています。

それと「なのだ。」「〜である。」を使うのではなくて
「〜だと感じています。」とか、
断定的ではない、自分のニュアンスを表現する使い方。

どうしても自分の文章じゃないと
書き続けることにしんどさを感じたり、
上手にスラーと文章を書けないんですよね。

僕のこの記事以外にも
長文でとある広報誌に月に一度、自分の文を寄稿していますが
その際も一人称を「僕」として投稿しています。

一時期、「私」や「~である」という文章で投稿しましたが、
「じゅんじくんらしさが欲しい」と言われて
再寄稿したことがあります。

自分の文章じゃないと読んでいる側にも伝わりづらさや
人気の無さを感じてしまうようです。

なので自分の文章を持っておくと意外といいなーと
と感じています。

人を乗せる文章力

文章力って、それでいいんじゃないかなーと思っています。

「それでいいんじゃないかなー」とは、
いわゆる正しい文章だけが文章力ではなくて、
自分の言葉を文字として白紙に乗せた文章を良しとすること。

そして自分の文章で伝わりやすくすることが
文書力として認知されてもいいじゃんって思ってるんです。

僕がここまで書いた文章を
AIで正しい文章に書いてもらうと
おそらく僕の記事をいつも読んでくださる方々は
継続して読む気がなくなると思います。

文章という人を感じられないものに
人の感じを乗せていきたい。

だってこれを書いているのは
生きている人間だしね。

意味の無さで生きる豊かさを

これからますます文章を書くという能力が
乏しくなっていく傾向(AIが代用してくれる)がある中で、
文章を書くことに意味がなくなると言われてきています。

意味なんて持たなくていい。

文章で表現する心が養えれば
AIでは代用できない、
豊さを感じれるゾーンを広くすることができます。

そもそも意味を持たせすぎたら
つまんないじゃん!

意味のない生きる豊かさを
養っていきたい。

そんなこんなでここまで読んでいただき、
ありがとうございます!

メンバーシップですが、
3250円から980円に変更します。

詳しい内容は明日ぐらいに投稿しようかな。

[追記]  
今確信したところ、価格の変更はできないみたい…
ということは3250円の価格に見合った成果を出すということか。
やったろけ!!!(8/5 19:30編集)

お問い合わせ
junji1996.s@outlook.jp

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