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小説「素ナイパー」第12話

 待ち望んだチャンスや出会いは、いつも忘れた頃にやってくる。しかし後で考えてみるとその前にしていた行動や思考がまるでパズルの最後のピースのように、機会やチャンスを繋げる要因になっている時がある。
 直哉は待ち焦がれていた再会が訪れてから数日経った今、あのマーカスの瞼を見て幼少の頃の記憶を蘇らせた事がその最後のピースだったのだろうと考えていた。自分を過去へと繋いでくれた最後のピース。

 ニューヨークのバッテリーパークに忽然と姿を現した知子は直哉の記憶にあった知子とは少し違っていた。
 茶色いロングヘアーだった髪は肩までに切りそろえられていて、短かった前髪は長くなり耳にかけられていた。張りのありふっくらとした頬は少しこけ、湿気を含んでいるようにも見えた。
 月日の移ろいによる変化があるのは明白だったが喜びと期待を断絶するような事はなかった。変らずにいた少し薄い色素の茶色い大きな瞳と厚い唇。そして髪の香りは美しい記憶とこれから訪れるかもしれない待ち侘びた未来を予期させた。
 

 あの時、殺し屋としては事の一部始終を見られていたかもしれないという警戒心を抱くべきだったがそんな事、微塵も考えることはできなかった。
 突然現れた奇跡への喜びが、彼の殺し屋としての自覚を失くさせた。寝言のように「知子?」と愛しい名前を口にした時、腰に隠していたアーミーナイフに手を伸ばしていた淳也はその動きを止めた。
 「目撃者である可能性のある人間は殺す」それは沖田家のルールだ。淳也は彼女の存在に気付かなかった自分の不甲斐なさを呪いながらそれを実行しようとした。しかし直哉が目撃者に向かい名前を発した事で戸惑いが生まれた。日本で育った息子にニューヨーク在住の知り合いがいる事など想像した事もなかった。しかしこんな場所で日本の同級生と再会などありえないのではないか?
 策略の匂いががした。だとするとどうしても殺さなくてはならない。女に溺れ死んでいった同業者を淳也は何人も見ていた。四六時中浮かぶ女への情念は人を殺す瞬間に現れる事さえある。生きようとする人間にそれを見抜かれた瞬間、立場は簡単に逆転してしまう。淳也自身もその経験があった。

 淳也はもう一度アーミーナイフに手を掛けた。すると直哉がすがるような瞳で言った。

 「大丈夫だから」

 直哉は昔から手間の掛からない子供だった。訓練のおかげもあったがジュースやお菓子を強請り駄々をこねることなどなかった。そんな息子が初めて、言う事を聞かない駄々っ子のような表情をしていた。その表情を見た時、淳也の背筋に悪寒が走った。
 初めての懇願を突き放した時の息子の悲しみの様は、想像も及ばない程の深い闇を思わせた。

 (ならいっそ今・・・)

 やはり殺そうと知子に近づいたが女と自分を遮る様にして立った直哉に阻まれると諦めの表情を浮かべてその場を去った。

 「え?」

 その時の知子の表情は明らかに自分が誰であるか分からない様子で直哉は少し傷ついた。

 「俺だよ。高校の時に・・・一緒だった」
 「直哉君?」
 「そうだよ。久しぶり」
 「何やってるの?こんなとこで」
 「うん。ちょっと出張で来てね。散歩してたんだよ」

 直哉は知子に近づいた。月明かりに照らされ直哉の顔がはっきり見えると知子は警戒心を解き満面の笑みで「やだ。まさかこんなところで会うなんて」と嬉しそうに言い、授業が終るのを校門で待っていてくれていたあの頃と同じように直哉の腕を掴んだ。

 「お連れの人は?」
 「お連れ?」
 

 すかさず直哉はとぼけた。

 「え?隣にいた人。年上の・・・」
 「ああ。あれは知らない人だよ。それにしてもこんなところで会うなんて」
 「うん。びっくりした」
 

 しばらく思い出話をしながら公園を歩き、知子をタクシーに乗せた。

 「ねえ。次はいつニューヨークに来るの?」
 「来月かな」
 「じゃあその時にご飯食べに行こ」
 「わかった。あ、LINE教えてくれる?」
 「うん」

 奇跡とも呼べる出会いの後、直哉は眠れずに知子との過去に浸った。しかしいつもの過去のへの回想には切なさはなかった。
 この回想の果てにまた新しい未来があると思うと人生がやっと前に進み出した気がした。


僕は37歳のサラリーマンです。こらからnoteで小説を投稿していこうと考えています。 小説のテーマは音楽やスポーツや恋愛など様々ですが、自分が育った東京の城南地区(主に東横線や田園都市線沿い) を舞台に、2000年代に青春を過ごした同世代の人達に向けたものを書いていくつもりです。