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小説「素ナイパー」第30話

 全てを知る女。手に馴染んだトカレフ。父の意図はすぐ理解する事ができた。掟の通りに知子を殺せと言っているのだ。

 大きな瞳を潤ませながらもがく知子を見つめると直哉はその覚悟が自分にはまだ備わっていない事がわかった。
 しかし、彼女を殺す事は避けられない事も理解していた。自分の正体を知り、危険な思想まで持つ人物を生かしておく事は殺し屋として沖田家の人間としてできるはずもない。
 直哉はゆっくりと知子の口のガムテープを剥がした。

 「ありがとう。助けてくれるのね」

 その声は直哉が自分自身で作り出し待ち焦がれた知子像を呼び起こした。躊躇がトカレフの撃鉄に掛かっていた指の力を失わせる。

 「全部仕事の為にやったことなの。私はあなたと一緒にいたいだけなの」
 「仕事の為?」
 「そうよ。ここであなたと再会した時、運命だと感じたわ。ずっと私はあなたを探していた。本当よ。高校の時からずっと」
 「探していた?俺はずっと、東京のあの家に住んでいたよ」
 「あなたにはあなたの人生があると思っていたの。何も言わないでいなくなった私なんてとっくに忘れてると思っていたから」
 「忘れた事なんてないよ」
 「私達は思い合っていたのね。なのに・・・こんな事に」

 すると知子の大きな瞳から涙が溢れた。綺麗な涙だった。しかしその美しさが直哉に疑念をもたらした。殺される可能性のある状況下で、人はこれほどまでに美しい涙を流す事ができるのだろうか。

 「あなたが殺し屋だって知った時、確かに驚いたけど何よりもあなたに会えたことが嬉しかったの。騙す事に罪の意識がなかったわけではなかったけど、抱かれてる時は本当に幸せだった」


 知子の吐く言葉の一つ一つが芝居じみて見えた。自白剤を飲まされ、欲望のままにしたSEXのどこに愛があったと言うのか。
 事が済んだあとのあの背徳心はその証明じゃないか。そこには自分が焦がれた知子はいなかった。そして愛を感じている女もいなかった。

 (そう。何もなかったんだ)

 直哉は自分に言い聞かせるとトカレフを知子の眉間に向けた。すると一瞬にして知子の頬を伝っていた美しい涙が蒸発していった。

 「直哉君。やめて。同級生なのよ」 

 「もう、あの時の君はいない」

 「やめて。やめてよ。私は関係ないのよ。指令だったの。仕方がなかったの。あなたも楽しんだでしょ?また楽しめばいいじゃない。て言うか、私も仕方なくあんたと寝たんだから。騙されてた一人なのよ!」

 直哉はトカレフを構えたままでいた。その心は決まっていた。


「何が殺し屋だよ!同級生まで殺すのかよ!この人でなし!」

 その瞬間に直哉は引き金を引いた。同時にその心には乾く事のない傷が現れ殺し屋としての覚悟が刻まれた。
 サイレンサーの先に散った火花は、闇夜の中に儚く瞬いた。そして港沿いの公園にはしばらく青春が終った事を告げる沈黙が流れた。

僕は37歳のサラリーマンです。こらからnoteで小説を投稿していこうと考えています。 小説のテーマは音楽やスポーツや恋愛など様々ですが、自分が育った東京の城南地区(主に東横線や田園都市線沿い) を舞台に、2000年代に青春を過ごした同世代の人達に向けたものを書いていくつもりです。