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小説「素ナイパー」第21話

 光沢のある黒いワンピースを着て髪をアップに束ねた知子は店のエントランスを抜けて入ってくると、

 「ごめんね。遅れて」

 と、毎日のように一緒に登校していた学生時代と全く同じ口調で同じ言葉を発した。

 「大丈夫だよ」

 直哉もそれにならってあの頃と同じ台詞で知子を迎えた。しかし、瞬時に昔の、10代の二人に戻ったような感覚を取り戻せたわけではなかった。テーブルを挟んだ知子との距離は会わなかったこの数年の時の隔たりを表しているように感じた。
 

 慣れた英語でボーイのエスコートを受け高級な店に瞬時に馴染んでゆくその姿を見ているとまるで別の人間と相対しているような気がした。すべての所作の中にあれからの知子の様々な過去が匂った。それは自分自身の過去と比べるととても大人びているものであるように思えた。
 

 闇に包まれたバッテリーパークで再会した時と違う完璧な照明に照らされた知子は確かに美しかった。あの頃と身長は変わらないが身体は女性らしさが増していてドレスの着こなしも洗練されていた。
 しかし自分が待ちわびていた知子とはどこか違った。いや、成長の差に慄いただけかもしれない。時を止めたままでいた自分に比べて、知子はしっかりと時計を進めて成長していると。

 「卒業してからはどうしてたの?」

 日本の寿司をイメージした彩り鮮やかな前菜をシャンパンと一緒に食べ、濃厚なチーズを使ったフィットチーネ、キノコのリゾット、メインの肉料理を高校時代の思い出話と共に赤ワインで流し込んだあと過去を懐かしむような表情で知子が言った。   

 「あの後は・・・普通に卒業して大学行ったよ。それで就職した」
 「その間に彼女は?」
 「ああ。まあ何人か」
 

 あれ以来、ちゃんと付き合った彼女はいないとは言えなかった。

 「ふーん。どんな人と?」
 「どんなって、普通の子だよ。それより、そっちは?彼氏はいるの?」
 「今はいないわ、みんな退屈だから」

 もしも自分も退屈だと思われていた?知子の答えは喜びよりも直哉に不安を与えた。


 「ねえ。仕事はどう?旅行会社に勤めてるんでしょう?やっぱりいろんな国に行くの?」
 「え?ああ。うん。そうだね」
 「いいなあ。でも直哉君、なんで旅行会社なの?そんなに海外とかに興味あった?確か英語の授業は全部寝てたよね。なのにいつも私より成績良くて、結構悔しかったんだから」
 「それは知子のノートのおかげだよ」
 「そうかなあ。影ですごい勉強してて、なのに学校ではしてませんってそぶり見せるいやらしいタイプの人だったんでしょ?」
 「違うよ。たまたまだよ」

 知子の白い肌は赤く染まり、酔ってきたせいで口振りも最初の頃より滑らかになっていた。

 「昔から直哉君って不思議な人だったよね。なんかいつも心の奥に何か隠してるっていうか・・・」
「そんな事ないよ。普通だよ。俺は。そっちこそ隠してただろ?」
「え?何を?」

 あの時、知子は何も言わずに自分から離れて行った。そのことがずっと直哉の心に引っかかっていた。あの体験は直哉にとっての枷だった。あれから、女性に対して自信を持って接することができたことがなくなってしまったのだ。


 「あの時、なんで何も言わずに留学したの?」
 「だって。言いづらかったのよ。何となく。なんか直哉君怒りそうだったから」
 「そんなこと。怒ったりなんてしなかったのに」
 「ごめんね。でもまた会えたからいいじゃない?」

 艶かしく笑った知子は自分と違って紛れもなく今を生きていた。しかし自分は過去にしがみついていた。ずっとあの頃の彼女の姿を追って。目の前の知子との成長の差に愕然とすると直哉はワインを煽った。いつの間にか知子に会えた喜びは消えていた。目の前にいるのは別の知らない女性のような気さえした。


 「ねえ、場所変えない?」
 

 ワイングラスを置いた知子が唐突に言った。

 「そうだね」

 直哉はもう何も考えまいと会計を頼んだ。ウエイターが料金の書かれたレシートを銀の皿に乗せてテーブルの脇に置いた時、直哉は財布を出そうとする知子を見て慌ててカードを出しウエイターに手渡した。

 「いくら払えばいい?」
 「いやいらないよ」
 「そう?ごちそうさま」

 直哉は再び明細書のサインを貰いに来たウエイターからカードを受け取ると財布にしまい立ち上がった。その時には知子はもうコートを着て外に出ていた。

 「どこに行くの?」

 タクシーを拾おうとする知子に聞くと「うん。いいところ」と直哉を見ずに答えた。

 これでは昔と変わらない。彼女はまた自分の行き場所を知っていると言うのに僕は・・・それでもまだ直哉はあの頃の、教室で恋に落ちた時の知子の横顔の記憶を捨てきれなくて、そしてまた彼女を失うことが怖くて離れることができなかった。例え彼女がもう自分の求めた人ではないとわかっていても。

僕は37歳のサラリーマンです。こらからnoteで小説を投稿していこうと考えています。 小説のテーマは音楽やスポーツや恋愛など様々ですが、自分が育った東京の城南地区(主に東横線や田園都市線沿い) を舞台に、2000年代に青春を過ごした同世代の人達に向けたものを書いていくつもりです。