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長編小説【三寒死温】Vol.21

第三話 型破りな中学校教師


【第六章】真実をしたためる従兄

しばらくの間、あたしの無言に付き合ってくれていたおじさんが、おもむろにショルダーバッグを開けた。また煙草を吸うのかしらと思っていると、彼が取り出したのは一つの封書だった。
そしてジッパーを閉めると、ぽんぽんとバッグを叩いてから言った。

「ところで、俺の友人に中学生の従妹いとこがいるヤツがいる。そいつの話を少ししていいか?」
おじさんが発した「いとこ」というフレーズを聞いた途端に、あたしは心臓が大きく弾けるのを感じた。
「ちょうど、キミたちと同じ歳なんだよな。」
そう言いながら、おじさんはフリスクを噛み砕いた。
そして、自分から承諾を求めてきたにも関わらず、あたしの返事を待つことなく勝手に話を始めた。

「そいつと俺は、学生時代からの友人なんだ。学部もゼミもまったく違うんだが同じサークルに入っていたことで、知り合った。
最初から仲が良かったわけじゃなくてな。一人の女を取り合ってから、一緒につるむようになった。」

まだあたしの心臓は大きく弾けたままで、元には戻っていない。
「同じ女の子を好きになって、どうして仲良くなれるわけ?」
自分の声なのに、まったく耳慣れない音に聞こえる。

おじさんの話に出てくる「従妹のいる友人」という人は、きっとおじさんと同じくらいの年齢なのだろう。
だって、おじさんの学生時代の友人なのだから。
従妹と従兄。
どうしても、岬の従兄と頭の中で映像が重なってしまう。

「そんなの簡単だろう。理由は一つしかない。」
「もしかして、二人とも振られちゃったわけ?」

そう言いながら、あたしは心の中で「そんなはずはない」と何度も唱えていた。偶然に違いない。だってあたしは、まだおじさんに岬と彼女の従兄の話はしていないのだから。

「今からどれくらいかな、もう半年も前になるか。去年の夏休みに入る少し前くらいに、そいつと飲みに行ったんだ。会うこと自体がそれこそ一年以上ぶりだったかな。」
「ふうん。」と相槌を打ちながら、あたしはおじさんに気がつかれないようにゆっくりと正面を向き直し、深呼吸を繰り返した。

「そいつにはお前らと同じくらいの従妹がいて、勉強をちょくちょく見てやってたらしいんだが、その子に惚れられて困っているなんていう話を聞かされた。」
ようやく収まりつつあったあたしの心臓が、そこでまた大きく弾け飛んだ。

「その従妹とは、家族ぐるみの付き合いだったらしい。
まあ、家族といってもそいつにはまだ子どもはいなかったから、奥さんくらいのものだけどな。というのも、どうやらその従妹っていう子は、母親の再婚相手とあまり上手くいっていなくて、自分の家庭の中ではかなり疎外感を味わっていたんだそうだ。」

似ている。
似ているけれど、やはり岬のことではない。
岬の従兄に奥さんがいたという話は聞いたことがないし、岬のお母さんがバツイチだったなんて話も、お父さんとは血がつながっていないなんて話も、聞いたことがない。

「だからまあ、そいつも何となく従妹が自分に対して好意を寄せていることは感じていたらしいが、親代わりというか兄代わりというか、そういう一種の憧れみたいなものだと思っていたんだな。
寂しまぎれとでも言おうか、時が来れば次第に冷めるだろうと。」
おじさんは一呼吸置いて、小さな咳払いをした。
「ただ、そんな乙女の淡い恋心が、いじめにつながってしまった。」

そこで三度、あたしの心臓が大きく弾け飛んだ。

「その従妹って、おじさんの知っている人?」
「いいや、知らない。顔はおろか、名前も知らない。」
「岬のこと? じゃないよね?」
「分からない。」
「でも、そっくりじゃん! おじさんだって、そう思ってるんでしょ?」
「分からない。」
「そう思ってるから、あたしに聞かせてるんでしょ?」
おじさんは何も言わずに、ショルダーバッグから取り出した封書をあたしに手渡した。

◆ ◆ ◆

突然、こんな勝手な手紙を送りつける無礼を、許して欲しい。

お前がこの手紙を読んでいる時点で、俺はもうこの世にはいないということになる。ありふれた告白手記のような物言いに、自分自身でも呆れるが、真実なのだから仕方がない。自分の亡骸なきがらが人に迷惑を掛けぬよう、可能な限り配慮するつもりではあるが、もしお前に手間を取らせるような事態になっていたら、本当に申し訳ない。

先日、俺の従妹の話をしたのを覚えているだろうか。酒の勢いも相まって、半分は笑い話のつもりで打ち明けたのだが、どうやらそんな悠長なことを言っていられる場合ではなくなってしまったようだ。

彼女は今、学校でいじめに遭っているらしい。
そして、その原因というのが俺だ。

去年一年間、俺は彼女に数学と英語を教えていた。まあ、仕事柄不得手ではないから、家庭教師の真似事のようなことをしていたわけだ。母方の親戚ということで、断りづらかったというのもある。

それに家庭教師とはいっても、二週間に一度、土曜日に彼女が我が家に来て勉強を教えていただけだ。当然、妻もいたわけだし、実際に勉強が終わった後などは、妻と楽しそうにお茶を飲んでいたこともある。
途中から、彼女の俺に対する好意は感じていたが、恐らく兄、もしくは父親の延長としての、親愛のようなものだと思っていた。

酒の席でも少し話したが、俺の伯母には離婚歴があって、従妹は最初のご主人との間にできた子どもだ。だから従妹にとって今の父親は義父ということになる。それでも伯母が再婚した当時、従妹はまだ幼かったから慣れるのも早く、特に問題はなかった。伯母自身も子宮筋腫を患っていて、新しい旦那さんとの間の子どもは諦めていたらしい。

しかし、随分と年月が経ってから、諦めていたはずの子どもを授かった。しかもそれが男の子だった。その結果、決して許されることではないが、伯母の旦那は実子として生まれてきた男の子の方を積極的にかわいがるようになり、伯母もそれに追随した。従妹は、自分の家の中でかなり寂しい思いをすることになってしまっていたわけだ。

そのような事情もあって、我々夫婦は、彼女のことを積極的に受け入れていた。しかし、どうやらそう思っていたのは俺だけだったようだ。
いや、このように書くとまるで妻が彼女のことを受け入れていなかったという風に捉えられるが、そうではないんだ。妻にとっても彼女の存在は好都合だったのだ。何と言えばいいか、どうにも俺の説明は回りくどいな。

済まない。単刀直入に書く。

実を言えば、従妹の存在を抜きにして、俺と妻の関係はすでに破綻をきたしていた。妻には俺のほかに男がいたんだ。いきなり下世話な言い方になってしまったが、本当のことなのだから仕方がない。
情けない話だが、俺は妻に浮気をされていたのだ。このままいけば、離婚は避けられない状態になっていた。

恐らく妻は、従妹が俺に淡い恋心を抱いているのを知って、自分に都合のいい既成事実を作ろうとしたのだろう。「お互い様」という方向に持っていこうとしていたのだ。もしかしたら、完全に俺の責任としてなすり付けるつもりだったのかも知れない。

従妹が学校でいじめを受けている原因は、彼女の援助交際疑惑だった。
そしてその相手というのが、俺というわけだ。
そもそも援助交際というところからして間違っているのだが、援助という言葉が付こうが付くまいが、誓って俺は従妹とそのような関係にはない。

確かに俺は、従妹の成績アップのご褒美として、彼女に付き合って一緒に映画を見に行き、食事をしたことがある。
勉強を教えていた時には、部屋で二人きりだったというのも事実だ。
例え、家の中には妻がいたといってもな。

そんな情報を俺の妻が従妹の周辺にリークし、一人のクラスメイトの女の子の知るところとなった。詳しい方法は分からない。偶然なのか意図的なのかも不明だ。しかし俺は、偶然ではないと思っている。
なぜなら、そのクラスメイトにとって従妹は邪魔な存在だったからだ。
そのクラスメイトが想いを寄せる男子生徒に告白した際、「好きな人がいる」と断られたらしいんだが、その「好きな人」というのが従妹のことだったようだ。偶然ではなく、妻が意図的にそのクラスメイトにリークしたと考えるのが、自然だろう。

俺の存在を知ったそのクラスメイトは、数人の仲間を引き連れ、従妹に対して援助交際を親や学校にバラすと脅しを掛けてきたそうだ。
初めは金の要求だったらしい。
まったく、いつの時代も子どものやることは大して変わらないものだな。
しかし彼女は取り合わなかった。事実ですらないのだから当然だ。

それに、どうやら小学校から一緒だった気の置けない友人がいて、その子が従妹の傍についてくれているようだ。
金魚の糞みたいな雑魚どもに囲まれていい気になっているいじめグループのリーダーなどより、たった一人でも本当の友だちがいる自分の方が幸せだと、本人が言っていた。

そして、彼女の俺に対する好意が、父親や兄の延長線上ではなく一人の男としてのものだということを知らされた。
正式な告白を受けたということだ。
まだ子どもだと断ったが、私が大人になってからでも構わないと言われた。
妻帯者だからと断ったが、それなら離婚するまで待つからと言われた。
しかし、残念ながら俺には、彼女の気持ちに応えてあげることはできない。それは彼女が子どもだからでも、俺が妻帯者だからでもない。一人の男としてという話なのだが、彼女にそこまでは言えなかった。まだ中学生だ。

いずれにしても、このまま彼女のことを放っておくわけにはいかず、俺は妻を問い詰めた。

そして今、目の前にいる妻は、息をしていない。

恐らく我々夫婦が消え去れば、物事は自然と元の位置に収まるだろう。
これが正しい責任の取り方なのかと問われれば自信はないが、従妹を巻き込むようなことだけは、どうしても避けなければならない。更に辛い思いをさせてしまうかも知れないと思うと忍びないが、まだ中学生だ。一時の魔法から目を覚まし、どうにか立ち直ってくれることを祈っている。
いずれあの世で会えたら、土下座してでも許しを請うつもりだ。

だから申し訳ないが、俺とお前の付き合いはこれで終了だ。かなり不自然なきっかけだったが、友人となってくれたことに本当に感謝している。
ありがとう。

最後まで「申し訳ない」ばかりで済まないが、このことは他言無用で頼む。

つづく(第三話 第七章へ)


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