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アラフォーOLがキャリアについて振り返る 3

今日も一日お疲れ様です、おうちOLです(`∀’)ノ
やっと1週間が終わり、3連休が始まりますね!
お盆休みにも差し掛かろうとしているこの時期に、地震があり不安な気持ちもありますが、
慌てず防災について見直す機会にしていけたらと
自分に言い聞かせております。

さて、前回は私が以前履いていた
草履コレクションを紹介したところで
終わりました。
何のこっちゃと思った人は
こちらをご覧くださいね。
前回のお話


旅行業界との出会いー 宿泊業界

大学を休学してドイツに行っていたため、
半セメスター分丸々大学の卒業時期がずれました。
9月に卒業式が終わり、
相変わらず複数の草鞋を履きつつ
ダンスに明け暮れていた毎日。

ふと、「英語を使ってホステルで働きたいな」
そう思い立ちました。
何でそう思ったかは、
今となってはもう思い出せない。
ここで言うホステルとは、
イマイチ結びつかないかもしれませんが、
バックパッカーが泊まるような、安宿、
ゲストハウスです。

ドイツに滞在していた頃、国内を旅行した際に
初めてユースホステルなる宿に宿泊し、
楽しかったことを思い出したのです。

日本にもホステルはあるんじゃないか?と
調べてみると
駅近に丁度あるじゃあないですか!ゲストハウス。
しかもバイトではあるがフロントスタッフを募集している!
募集基準の一つに、「ひとり旅経験があること」とある。

わくわくっ

by アーニャ (Spy Family)
癒されたい時に何回もリピするスパイファミリー

なんて素敵な募集条件、、、!面白そう!
とすぐに履歴書を書き、応募しました。

実を言うと、当時TOEIC700点という募集条件に
30点ぐらい足りてませんでした。
英語を学んできたと言うのに(笑)

でも無事書類は通り、オーナーとの面接が決まり、
面接ではドイツひとり旅経験を全面にアピールしました。
オーナーは日本人の方でしたが、
突如何の前触れもなく英語の面接に切り替わり、
私は慌てふためきました。

が、何とか面接を終え、最後にオーナーから
「何か質問や言いたいことはありますか?」
と言われた私は
「面接ではあまり自分を100%出せなかった
ように思うがやる気だけはあります!」
みたいなことを言いました。
(ちょっと正確には思い出せないが、
イマイチな受け答えをしたが
私はもっとできます的な事を言ったのは
覚えている。)

正直、自己評価で面接の出来は最悪だと思っていました。
結構鋭い質問をされたように思うし、
将来の夢は?とか聞かれて
しどろもどろになったりで
上手く答えられなかったんですよね。

しかし、面接が終わって2-3時間ぐらいした頃に
オーナーから直接電話がかかってきました。

「’本当はもっとできるんです’といった
あなたの言葉を信じて人柄も考慮し、一緒に働いてもらいたいと思う。」と。

このように、ワタクシはなんと
お人柄採用をしてもらいました。
英語力とか経験とかで
採用してもらったワケじゃないです(〃ノдノ)

「本当はもっとできるんです」みたいな事
よー言うたな!て今も思いますが、
当時の私はそのホステルで
どーーーーーしても働きたい!と思って
何でもアピールしてみる!と言う心境でした。

また、当時はまだゲストハウスなんていう存在は
かなり希少でした。
なので、ここで落ちたらチャンスが
なかったんですね。

何だろう、
この私のもうお尻に火がついた時の力(笑)
大学受験の時と同じ。
そんなこんなで、初めての旅行業界(宿泊)へ突撃したのでした。

ダンス生活の終焉

ゲストハウスでの仕事は接客だけではなく、
予約の管理や調整、清掃サポート、発注業務、
レジ締め作業ナドナド多岐に渡りました。
アルバイトでは本来やらせてもらえなかったタスクを「やってみたいです!」と言って任せてもらえたこともあります。

通算10年以上はアルバイトで
週4,5回勤務をしていました。
アルバイトでいることに拘ったのは、
ダンスの仕事もあったから。
時間の融通が効くため、アルバイトという勤務形態で長年お世話になりました。

また、様々なアクセントの英語や
英語が通じない時のコミュニケーション
そして言いたい放題主張してくる旅行客への
対応等、このゲストハウスでコミュニケーション力を鍛えられたと思います。

ボカシで申し訳ないですが、様子だけ公開。

さすが、スタッフは全員一人旅が好きな人たち。
同年代のスタッフが多く、
価値観がものすごく合いました。

世界中からのお客さんとの接客はもちろん、
スタッフの中にも住み込みの外国人がいたり、
お客さんとかスタッフの垣根が
あまりないような環境で、こんなに恵まれた
人間関係はなかったなと今も思います。

ホステルを去って
早くも10年ぐらい(ヽ(;゚;Д;゚;; )ギャァァァ)
ですが、ここで知り合った皆んなとは
今も付き合いが続いています。

そして、ここでそれこそ色んな人(痛客含む)
出会うことにより、
何より人を見る目も養いました(笑)
本当にネタには困らない
数多くの珍騒動があったので、
何かの機会でこれも記事にしたいなと
策略しています。
(警察のお世話になる人とか結構いました)

こういった人との縁をきっかけに、
私の中でダンススタジオとの関係性に関して疑問が
生まれてきたのは、ゲストハウスで働き始めて4年ぐらいたった頃ですかね。

ダンスインストラクターとして長く在籍していた
ダンススタジオでの上下関係に
「何かおかしくない?」と疑念を抱き、
それが確信に変わっていったのです。

そして、それをスタジオ側に感じられたかのように
一転してダンスとの関係を終わらせる事を
決意した出来事がやってきました。

卒業する時期の見極め

私が師事していたダンススタジオの先生は、
その時代の先駆者と言いますか、
まだ治安の悪い80年代のアメリカ(ニューヨーク)に
単身ダンスを勉強しに行くパイオニアでもありました。

そんな人であるからこそ、学ぶことが非常に多く、
ドイツへ行けたのはこの先生のおかげです。
価値観が変わり、今や外国の友人たちに
「おうちOLは日本人ではない」と良いのか悪いのか分からない褒め言葉?(と信じたい)を貰うことがあるのもダンサー時代に培ってきた経験が影響しています。

でも、師弟制度というか、お家元制度というか。
先生や先輩たちが毛嫌いしていた
この関係性、制度が、実際私たちもそういう制度になっているよね?という
矛盾した環境になってきつつありました。

それは、ダンス真っしぐらだった私が、
ゲストハウスのオープンな環境に触れたからこそ
わかったことでした。

紆余曲折多々ありまして、
「もうここは卒業しないと行けないってことだな」と思う出来事がありました。
金の切れ目が縁の切れ目とよく言ったもんです。

ちょっと信頼を裏切られるような
胸糞悪い出来事があり、
私はスタジオを去る事を決め、
1年後にカナダへワーホリへ行く!と決めたのでした。

すみません!何か匂わせな感じで書いてしまって。
結構特殊な環境のショッキングな出来事だったので、ここでオープンにさらけ出すにはちょっと難しいです。
一つだけ言えるのは、ちょっとカルト集団のように
なっていたのがきっかけとも言えます。

この件に関しては
「どうしても気になるじゃないの!」
という方向けに、有料記事でシェアしたいと思っています。
(お時間ください。)

結局ダンススタジオを辞職した私は、
そのままバイトという名の草鞋を増やし、
1年後にカナダへ飛びました。
よかったら見てみてくださいね👇

こうやって振り返るとキャリアも何も
あったもんじゃないですね、、、
でもゲストハウスで働いたことから
私の旅行業界キャリアが始まり、
今となっては旅行会社の社員で働いている
ワケですから、人生面白いですし
何とか点でしか見えてなかったことも、線になってきているんです。

全然エリート街道じゃないけど、
こんな道もあるよってことを
知ってもらえたらな〜なんて思っております。

「あなた誰?」と思った方。
よかったら自己紹介記事をのぞいてやって下さい👇

次回はカナダから帰国後編。
よろろすお願いするます!

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