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ホラーが苦手な私は心から叫んだ「それを早くいってくれ」。



怖い話は好きですか?――現代ならではの注意事項。


私はホラーやミステリー、流血もの、残酷描写が苦手です。

映画でも、なるべく、そっち系のジャンルは避けて通ってきました。ゴシックホラーみたいな「ホーンテッドマンション」や「スリーピーホロー」は、世界観が好きだからなんとなく見てしまうけど。基本、ホラーは苦手です。

「なのに、」である。

今書こうとしている小説が、どうしてもそっち系のことを避けられない。

手っ取り早くネットでちょこっと調べてたら、どんどんそっち系の情報が出てきて、こわーいやつの方へ方へとつながってしまう。

猟奇的殺人事件や、ブラックな世界のお話。

え?うそ?ほんと?と思うような、身の毛もよだつ……。

「信じるか信じないかは、あなた次第です」
と笑っているユーチューバーたちは、よく客観的に解説風に話せるなあ。

都市伝説好きの夫にその話をしたら、
「かれらは鈍感だから大丈夫だよ。なんも感じないでしょう。まあ、何かしらあるだろうけど。
場合によっては、ちゃんと本職の祓える人とコラボして番組やっている人もいるし、俺はそういう使い分けできている人の番組を選んで観ている」
だそうです。

話のついでに、寝る前に、今日はこんなもの見て、あんなもの見て、すごく怖かったという話をしたら、本気で嫌がられた。

その日、私が見た動画の中に、ヤバいっぽいものも入っていたらしい。

ヤバいというのは、こういうことである。

夫曰く、電波はエネルギーや霊的なものが伝わりやすいので、特に動画などはダイレクトにくるので、選んで観た方がいい。夫の場合、現実っぽくないもの、作り物っぽいものを選んでいる。再現VTRだったり、ストーリーや設定もぼやかしてあって、直接的に引用していないものなど。
ユーチューバーの動画の中には、現実の出来事からそのまま引いてきていたり、加工度が低いものもある。そういうものは要注意なのである。

ここで私は心から思ったわけです。
「それを早く言ってくれ!!」

見えないものを信じている人間としては、そういうネタを話しているだけで、何かが寄ってきてしまうような気がしてしまう(単なる怖がり)。

でも大丈夫。
「お守り、いっぱい持ってるし、般若心経の唱える冊子も持ってるし、いざとなったら唱えるし。とにかく、ありとあらゆる神仏に自分は守られている!!」
と、心の中で強く念じておく。

すると、はてまた不思議なことに、なんとなく怖い気持ちが薄らぐのです。

もともと小さな頃から怖がりで日ごろからやっていた習慣(おまじない?)だから、それが切り替えスイッチになっているのかもしれないです。

(まあ、苦手ならば、そもそも避けて通るのが一番で、怖いものを意識すると余計に気になってダメだから、逆に神仏のほうを向いていれば、神仏のことばかり意識がはいるし、結果的にお化けが入る余地はない……というのが、私の考えです。)


なぜだろう。それでも、気になってしまう心理



しかし、私が避けて通ってきたような人・物を、小説の中で書こうとしていること自体も、不思議といえば不思議。

ふと思ったのは、
自分とは真逆だからこそ、かえって惹かれる世界や要素もあるんだなということ。

先日観た映画では、キアヌ・リーブスがエクソシストを演じた「コンスタンティン」の世界観が面白かった。天使と悪魔の描かれ方が興味深くて、現在でも実際にいるというエクソシスト(悪魔祓いをする神父さん)や、天使や悪魔について少し調べたくなりました。

ああいう映画を見ていると、世界を構成している要素を理解するためにも、光と闇と、両方知りたいと思う。

この世の悪という存在も、神様が作り出しているものなのかどうか、とか……昔から議論されてきた定番のネタなので、私ですら「本当のところは、どうなのかな?」と素朴な疑問を抱いたりします。

これまで、文学や映画でも、そういうモチーフはしばしば描かれてきた。

そのテーマについて、自分なりの解釈や理解があって、それをさらに進めるためにいろいろ知りたいと思うんです。

もっと話の次元を変えてみれば、私の行動パターンや人生のパターンとしても、時折ものすごく真逆のものに惹かれることがありました。

ただちょこっと観察するだけなら、人生経験になって「世界がひろがったなあ」くらいで済むのですが。まともに首を突っ込むと、まあ失敗する。

ちょっと骨にひびが入った程度のダメージで、元の世界に戻ってこられてよかったなあと、今でも思う体験もあります。

今となっては、世界のコントラストを知り、そこから自分を知るために、そういう経験を通過したんだなって思います。
そういう経験も、いつか小説の種にしたいと思っています。

小説や漫画における、闇の効かせ方



「そんなもの、最初から首を突っ込むな」と夫にまた言われそうですが、私が思うに、文学は闇もないとリアリティが生まれないし、人の心に残らなかったりする。

毒ばかりもダメだけど、毒も効かせないとだめなのでは?と。

この頃思うに、芥川賞をとった作品を読んでみると、たいてい、どこかしら闇が描かれていたりする。

自分の感想もそうだし、他の人の感想を読んでいても、衝撃的で印象に残るのは、愛や光といったハッピーなことよりも、陰と陽だったら、陰の要素や側面(人間の闇、世界の闇、モヤモヤ、孤独、ゾッとすること)も多い。

これは、漫画の世界でもそうで、すごく話題になってアニメ化・映画化されているものは必ず闇設定(私がそう呼んでいる設定)が上手だったりする。

話が広がりすぎて、うまくまとまらない。

自分なりにどこか繋がっているのですが、まだ整理しきれていないんです。

文学や漫画と毒については、また別の機会に考察したいと思います(*_*;。

以上、怖がりレポートでした。


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