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アーティスト志望の若者の青春。カウボーイの世界:GW中にみた映画の感想

連休も残り二日。ありがたいことに、10連休だったので、しっかりと心身ともにリフレッシュ、リセットできました。

この連休でみた映画の中でも、何作かは、なかなか良い作品で、久しぶりに文章を書きたくなりました。

映画って、1本で1冊の本を読んだくらいの手ごたえや内面的な影響、感情の振動を与えてくれるんだ、と久しぶりに思いました。

この微細な揺れや振動を残しておくために、感想を書こうと思います。

  • 「tick,tick…BOOM!:チックチックブーン!」(Netflix)

  • 「The Power of the Dog」


「tick,tick…BOOM!:チックチックブーン!」

Netflixの会員になってから、どれにしようかな~と、家で映画を選ぶ時間が増えましたが、その中でストックに入っていたのが、この映画。

ミュージカル映画やミュージカルドラマは、結構好きなほう。全く受け付けないという友達もいたりするのですが、私は違和感なく入れる。最近のドラマや映画は、編集や脚本もすごく巧みで、ミュージカルでも自然に感じられることが多い気がする。

あの有名な「RENT」の作者のデビュー以前を描いたミュージカル映画ということで、夢を追いかける若者、しかも作家やアーティストとの青春となると面白そうだなと思ったら、その通りでした。

もともと、本人が作った「tick,tick…BOOM!:チックチックブーン!」というミュージカルの脚本があって、それを映画化したせいか、作中の曲や歌詞もとても魅力的で自然な感じでした。

主人公の感情や言葉のセンスがすごく良かった。日常のなかに発見や気づき、変化があって、それを巧みに言葉や比喩、歌にしていくのが良かった。

まだ、何者にもなっていないアーティストの、作ること(創造)への探究が如実で。見てて、自分の中の何かも揺れ動かされました。

言葉のセンスが特によかったです。日常のなかにポエジー(詩)は散らばってるんだよね、とあらためて思った。

特別な誰かが、特別ななにかをひねりだすのではなくて。

詩というのは、日常生活のこまごまとした感情や出来事のなかにあって、それをどう掴まえるなのだなって。

新鮮で柔軟で、のびやかな感性のまま、感情をおさえることなく味わって、その中から詩や歌を紡ぎ出していく主人公のさまに、共感しかなかった。

いつでも小さなメモ帳をもっていて、町中のあらゆるところから、言葉を拾っていた。私もひさしぶりに、小さなメモ帳を鞄に入れてみた。


一方で、まったく異なった感動で、エキサイティングだったのが、こちらの映画。

「The Power of the Dog」

久しぶりに、本格的映画の面白さやエキサイティングや、スケールの大きさ、クオリティの高さを感じたのが、『パワー・オブ・ザ・ドッグ』。

後で知ったのには、この映画の監督は、『ピアノレッスン』の女性監督だったんですねー。色んな意味で納得した作品でした。

ミステリー風で、あらすじだけだと西部劇調のハードボイルド?とか思っていたのですが、だんだん物語に引き込まれて行って、中盤から、登場人物たちの細部がからみあって、思いがけない展開になっていく感じが、非常にエキサイティングでした。

そこへ行きつくまでは、何が起こるんだろうっていう感じで、緩慢な流れなのですが、中盤から「どうなるの?え?どうなるの???」って、感じでしたね。

色々書いてしまうと、ネタバレになってしまうので、書きにくいですね。

よって、以下からネタバレで書きます。これから本作を観る方は読まないでください。

*******ここから、ネタバレ********

おっとこ臭いフィルは、カウボーイたちに尊敬される男の中の男って感じなのですが、最初っから、ホモソーシャル、ミソジニーとホモフォビアの匂いがプンプンで、私はそういう記号としての「マッチョな男」を描いてるのかな~と最初から感じてました。

アメリカ映画、欧米の映画では、いかにもザ・パワーみたいな感じの、マッチョな思想、マッチョな生き方の男性キャラクターって登場するので、批評的に登場させてるのかなと。

でも、そのフィルが、無意識のホモソーシャルではなく、同性愛的傾向のある人物として描写が出てきて、その後、ストーリーがそれを裏付ける流れになっていったとき、逆にフィルに同情すらしそうになりました。

ピーターに心を開いた後、フィル側から世界を見ると、フィルの言い分や洞察力、人間理解は、むしろ職人のような手堅い経験から裏打ちされているものでした。フィルが言っていることは、何一つ間違っていなかった。本質をついていた。なるほど、生きる知恵にたけているカウボーイで、尊敬されるのもわかる。

でも、彼がそれほどにミソジニーで、一見すると嫌な男で、人間関係としては不器用で武骨なのかといえば、おそらく、、、、彼は自分が同性愛であることを自覚しており、絶対に隠さなくてはいけない弱点だったからだと推察します。

なのでピーターに心を開き始めたあとのフィルは、硬さを失い、非常に人間味があり、むしろあたたかな血の通った人のように見え始める。そこが、すごいところ。俳優さんも演技力に評価の高い人らしく、なるほど演技力も素晴らしかった。

カウボーイ同士の恋愛を描いた作品で印象的だったのが、『ブロークバック・マウンテン』。

私は『ブロークバック・マウンテン』も結構好きだったし、評価高かったので、『パワー・オブ・ザ・ドッグ』もそんな展開か???と思いながら見ていたら

本作は、・・・・エンディングが、残酷で悲惨で。そこには、映画監督の意志を感じましたね。

ピーターというキャラクターが、とても現代的な若者で、もう一人のユニセックスな人物をあんな風に登場させたところに、監督のセンスや芸術性、批評性の高さがあると思いました。

私が思うに、ピーターだけはあの映画の中で唯一異質で、時代背景的にも異質だし、現代のLGBTQの人物からインスピレーションをもらっているのでは?と思うのです。

性や暴力にまつわる様々な力関係、力学、文化記号を、網の目のように用いながら、繊細な銀細工を織り上げていくような、そんな巧緻な作品でした。

大自然の風景描写や荒野のきびしい風景、馬、牛、それらを生業とし糧としている人間たちの生活。生臭さや不気味さ、神秘性。
描写がすごく上手だった。現代アートを見ているようでしたね。

西部劇の時代設定を借りながら、その道具立てを用いながら、実は社会への本質的な批評を行っている、、、、と私は理解しました。時代劇でありながら、一人一人の人物を象徴として読めば、十分に現代的な批評精神を受け止められる作品。

調べてみたら、『ブロークバック・マウンテン』は男性の映画監督。『パワー・オブ・ザ・ドッグ』は、ジェーン・カンピオン監督。

かなり作品とするには実は難易度が高く、文化性の高いものを作っているなあと、単純に感心しました。

ふりかえれば、『ピアノレッスン』でも決して予定調和ではないストーリーで、芸術性が高かった。言語化できない何かを、たくみに映像やストーリーで感じさせる表現だったなあ。

観た後に爽快感は残らない映画だけど、作品全体のクオリティという意味で、小説を書きたいと思っている私にとっては、大きな刺激となる作品でした。

たとえストーリーがすっきりしないとしても、登場人物の内面や人物像をしっかり描けていれば、十分に観客(読者)に何かを残すことができるのだな、と。逆に、いかに人間を描くか、人間の内面をあぶりだすかなのだと。


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