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覚醒と模索

こちらのnoteに文章らしい文章を書かなくなって、2週間くらい経過。

気が付いたら、4月になってました。

今年は、桜を沢山眺められてよかった。
おもいがけず、四国八十八か所巡礼もはじめられて、
なんだかんだと日々を過ごせている。

体調も安定しているし、
この調子で、じりじりと、元の生活に戻っていけるのでは?と思ってます。

ただ。やはり、あとあとから感じるに、
肉体の変化は精神にも大きく影響を及ぼすんだなあ、と。

自分では気にしていないつもりでいたけど、
状況の変化に、
やっぱり戸惑って、混乱している部分もあるんだなと、時々感じる。

そういう自分の弱い部分を、発見して、受け止めて、
それでもいいと受け入れていく過程も、大切だなと。

早朝覚醒と、お金や仕事に関する気づき


もっと具体的に言えば、たとえば、このごろは早朝覚醒してしまう。

ステロイドが減ったとはいえ、
3月上旬から3週間近く30mg飲んでいて、
先週から25mgだけれども、
体のなかに蓄積した量がそれなりになってきているから、
興奮作用があるんだろう。
不眠気味というか、夜中にトイレで起きて、そのまま目が冴えてしまう。

今朝も2時半くらいに目が覚めて、そのまま眠れなくて、
お布団の中にいたけど、全然眠くならないので、
起きてしまった。

早朝3時から朝活って、いくら何でも、早すぎ(;^ω^)。

4時か、5時くらいなら、ちょうどよくて、
それはそれで活動したら、充実しているんだけど。

これは、次回の診察の際に主治医に相談して、
睡眠導入剤なりなんなり出してもらうしかないなあと思っている。

あまりに睡眠時間が短くなっていくと、
やはり体にも影響出てくると困るので。

ステロイドのせいというのもあるけど、
たぶん、夜中に目が覚めると、
ふっとした漠然とした不安感があって、そのまま起きてしまうこともある。

そこで漠然とした不安感というのは、
なにから来てるのか、自分なりに考えてみた。

いよいよ
「自分の生活や生き方を変えよう、変えるぞ!」と思ったものの、
「本当に、そんな風にできるのかな?」とか、
「そんなんで食べていけるのかな?」とか、
マインドが作り出す不安感が大きいと、気づいた。

こういうのも、結構、自分自身の思い込みが強いんだなあと、
気づかされる契機になっている。

例えば、職業を変えることに、すごく抵抗がある自分に気づいた。

なぜなら、ずっと非正規社員で生きてきて、
やっと念願かなって正規社員になれたのが今の職場なので、
それを手放す、やめるということに、抵抗や怖さがある。

それなりの収入と安定がある今の職業を、
自分から辞めるのは、
少し前の自分では考えられなかった。

今と同じくらいの収入と安定が得られる転職ならいいけど、
職業をもたない……つまり無職なんて状況も、
考えられない自分がいると気づいた。

過去にシングルマザーをしていた時、
経済的不自由や不安定、貧しさを味わった経験があり、
自分で稼げなくなるって、怖いというか、
ああいう貧しい思いはしたくないという気持ちが強い。

このお金や経済的なものに対する思い込み、
不安というのは、
この10年くらいの間、自分のなかで自然に形成されていたようだ。
こうなってみて、うーむと、あらためて自覚した。


今描いている、未来のイメージ


いま、私が未来に対して抱いているイメージ。

それは、自分の家で、自分のペースで仕事できるライフスタイル。

たまに、週3日ほど外で働いたとしても、
フリーランスにちかい状態で暮らしたいと思っている。

そうイメージしてみて、はたと気づいたのだけど、
私の場合、周囲に、自由なライフスタイル・働き方でやっている人が、
少ない。

自分の親世代も、私の今の周囲も、
みな、なにかしらの会社組織に属して、そこで契約し、
会社員・雇われている人間として働き、生計を立てている人がほとんど。

自営業やフリーランスな人が、ほとんどにいない。

知り合いのなかでフリーランスや自営業の人を探すと、
女性で結婚していて、旦那さんもいて、自分はお店をやっているとか、
独身だけど、若いころから修行して技術を身につけ、お店を経営している人とか、
なにか事情があって、複数の職場で非常勤で働いているとか。
そういうのが、多かったと。

こうやったら、こうなれるよ、の実践例が、あまり見つからない。

なので、これは、
自分で模索してしかないんだなあと思い始めている。

すでにそれを実践し、
そうやって暮らせている人を探して、参考にしようと。


では、どんな仕事をしよう。


そうやってフリーランスになるにしろ、
何かしら、買ってもらえる技術なりサービスがないと、
成り立たないというのは、自分でもわかっていて……。

自分は何を提供できるのか、模索する必要があるなあと。

これまでの職業の延長線上の技術なら、提供できるかもしれない。

でも、それも苦痛になってしまったら、
これまでと同じになるから、いやだなあと思う。

こんな風に、おもむろに、体に爆弾を抱えることになり、
生きている時間はほんと大切だと思ったし、
苦痛なことをしてまで、お金をもらって生きていくのではなく、
自分にできることで、自分も楽しくて、相手も喜んでくれることで、
仕事をしたいと、あらためて感じている。

仕事をしている時間って、
たぶん、人生の時間の、
三分の一くらい費やすことになるんじゃないかな。


今は思いつくままに……

とはいえ、
今、思いつくままに、自分がしたかったことをしています。

仕事やなにかで追われて、
ずっと思っていたけど、できていなかった、趣味の部分。
プラスアルファの部分を、充実させたら、
何か見えてくるんじゃないかと。

子どものころを思い出して、スケッチしたり、イラストを描いてみたり。
粘土をこねてみたり。
気になっていた書道を、自分なりにやってみたり。
はてまた、西洋占星術のテキストを取り寄せて、勉強をしてみたり。

小説講座の小説は、目標50枚が、
20枚で止まってしまっているので、先生に連絡して、延長宣言して。

小説講座を受けてみての収穫は、
私の場合、
頭で考えると、余計に書けなくなるタイプだと、わかってきたということ。

設定をがっちり考えてから書こうとすると、
頭で考えてから書くことになり、
設定を考えたらもう、だんだん、お腹いっぱいになってしまう。
最初の勢いや自然な流れみたいなのか、途切れる感じ。

おまけに、プロット練っている間に、こうやったらウケる?とか、
ひねりは?とか考えるから、
最初の意図と異なってきてしまって、
最初のアイディアの情熱が搔き消えてしまう。

で、結局、半分以上から進めなくなったりする。

なので、これからは、
いろいろな手法を試そうかなと今は思ってます。

模索する中で、
「自分は、この方法ならば、書ける」
というのを、見つけるしかないのかな、と。

それはもしかして、
私がおもってきた「小説」じゃないかもしれない。

もう、難しいことを考えたり、
高みを目指したりするのが、だんだん馬鹿らしくなってきてしまった。

いかに、力まず、自然体で書けるか。

そういうところへ、行きたくなってきた。

これまでの自分は、
どれだけ思い込みが強くて、
理想が高くて、憧れが強すぎたんだろうって、今は思ったりします。

今回、心身ともに一番しんどかった時、
一番こころにしみてきたのは、正岡子規の随筆でした。

小説の文体よりも、
随筆的な文章のほうが、
私は好きなのかもしれないと、あらためて気づかされました。

そういう意味でも、
自分の中の無理無駄を脱ぎ捨てて、より自分らしくできる形を、
あらためて模索していきたいなと思ってます。














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