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『僕が出会った風景、そして人々』⑦

舎人ふたたび

このシリーズは⑥をもって終了し、番外編に移行したはずであった。
けれども、その後少しずつ当時のことを思い出したりしているうちに、もう少し書き足してみたいと思ったのである。

ということで、番外編を続けながら、時々思い出したようにこのシリーズも続けることにしよう。数少ない愛読者諸氏よ、今後ともどうかよろしくお願いします。

はじめに住処すみかありき

舎人に住み始めたとき、友人たちと共同で一軒家を借りたことは前に述べたかと思う。
 ごく普通の2階建て住宅で、1階には8畳の和室とダイニングキッチン、トイレ、風呂場があった。
 2階に上がると、長い廊下の突き当たりにもう一つトイレがあって、廊下の左側に6畳の洋間が3つ並んでいた。
 家賃は月々3~4万円で、それを皆で出し合っていたと思う。やがて一人減り二人減りして最後には僕とI(アイ)の二人になり、僕が2階の6畳間を借り、Iが下の8畳間に住んでいた。
 大家さんがとても親切な人で、人が減った分、家賃を下げてくれたので助かった。

そこに住んで間もなく、ゴキブリに遭遇したこと、水道水が臭かったことはすでにお話ししたが、もう一つびっくりしたのは、風呂場に苦手なカマドウマ(馬ではありません。昆虫です)が出没することだった。

カマドウマは、中学時代に怖い思いをして以来、大嫌いだった。 
 どんな思いかって?仕方ない、ご披露しよう(気の弱い人は決して読まないでください)。

恐怖体験

・・・ある日曜日、僕は畳の上でうたた寝をしていた。
 ふと、顔の上に何か軽いモノが乗ったような気がして、無意識にそれを手で払った。
 「なんだなんだ?」という感じで起き上がると、畳の上にハラリ・・・と、黒っぽい繊毛が生えた、殿様バッタの足のようなモノが落ちた。
 「ゲゲ、こ、これは?」
 ふと見ると、畳の上に不気味な虫がノソノソと這っているではないか。
 大きく発達した後ろ足。長い触覚。黒っぽいシルエット。そして、なにより不気味なのは、腹の部分が妙にむっちりと白っぽいことだ。
 「カ、カマドウマ⁉」
 僕は昆虫図鑑でカマドウマのことは知っていた。しかし、眼前のそれは、図鑑で見るよりずっとずっとおぞましい姿をしていた。
 不気味と言えば、その飛び跳ね方もたいへん不気味であった。
 「ぴょん」ではなく、「ぴよん」と飛ぶのだ。
 この感覚、おわかりだろうか?
 そう、こいつは飛び方さえ尋常ではないのだ。

後年、僕はカマドウマに関する一編の詩を書いた。心底、気持ち悪い詩だ。

残念ながらその詩は残っていないが、怪しく暗く、不安に満ちたものであったように記憶している。

そういえば最後のフレーズだけは覚えている。

「黒き大きな竈馬よ」

まるでエドガー・アラン・ポーの「大鴉」ではないか。

そういえば、当時はポーのほかに、アンブローズ・ビアスにも強く影響を受けた。

親友O君にぜひ読むようにと勧められて『悪魔の辞典』を読んだのだが、すっかり虜になってしまったのだ。

世に知られた書物なので、よくご存じの方も多いと思うが、辞典のようにさまざまな単語を並べ、それぞれにビアスが再定義を行ったものだ。

それらの定義は時に風刺的であり、冷笑的であり、どきりとするほど鋭く本質を突いたものだった。

中でも特に僕が気に入ったのは、「友情」という項目だった。

今、手元に本がないのでうろ覚えだが、「友情とは、晴れた日には二人乗れて、嵐の日には一人しか乗れない一艘の小舟」といった内容だったと思う。

僕はこの本に刺激されて、創作ノートに以下のような小文を書き連ねた。恥ずかしいのを我慢して、原文のままでご紹介しよう。

~妙に饒舌で、しかも妙に文学的なエッセイ集~

《嗅覚について》
人間の嗅覚は、他の動物の嗅覚と一般的に変わるものではないが、二者には根本的な違いがある。
 それは、人間の嗅覚には、物の匂いを嗅ぐだけでなく、自分をとりまく環境の変化に対し、微妙に知覚・対応する力があるということである。

《屋根の上のサワン》
僕は今、井伏鱒二の「屋根の上のサワン」を思い出しているところだ。
 というのは、先程家の外で、「クワッ、クワッ」という声がしたからなのだ。
 そして、僕は「山椒魚」の事まで思う事が出来た。
 僕はあの山椒魚と蛙が大好きだ。

《咳について》
冬の外気に触れてみたかったのと、
珈琲を飲みたかったので、外に出てみたら忽ち咳が出だした。
 咳というものは確かに邪魔物ではあるけれど
 全然しないとなるとかえって寂しいものだ。

《エッセイ》
特に今僕が書いているものに対してのみ
 あてはまると思われる。
 小生意気に洒落た、駄文。

《20才》
嫌な言葉。
 20才になって最初の朝、自分が
 何もしていない事を
 特別感じる。

《真面目》
使いたくない言葉だが、
 この言葉が嫌いな者は
 きっと真面目だろう。

《恋について》
何時でも出来る
 又は
 何時でもしているもの。
 人によって、重要な場合と
 あまり重要でない場合とに
 別れる。

《狂気》
崇高な存在かも知れぬ。
 何を考えているのか
 わからないのだから。

《妥協》
人間にとって、
 なくてはならぬもの。
 空気や水の次くらいに
 大切。

《愛について》
僕はまだこう思っている。
 神聖なもの
 大切なもの
 忘れてはいけないもの。
 これ以上はちょっと書けない。

《女性》
まだ僕にはよくわからない。
 ただ、今は、
 とても必要なもの
 とだけ書いておく。

《◎◎◎》
×(注:フロイト的言い間違えである)な時に出てきた。
 非常にやっかいなもの。
 とにかく今は、
 少女の名とだけいっておく。
 つい今しがた
 彼女を見かけたのだ。

《芸術》
今の人間には
 あまり必要ではないもの。
 だから僕には必要だ。
 僕はおそらく
 このために生きようと思う。


・・・ああ恥ずかしい。まだあるけどこのくらいにしておこう。
 当時はこんなことを一生懸命書いていたんだな。
 稚拙で、独りよがりで。
 けれど、悲しいぐらい純粋だった。
 そう、僕も、僕の周りの友人たちも。 

(続く)
 



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