チカムリオ(その④)
三
僕たち3人を乗せたタクシーは静かに走り(?)続けていた。
窓の外は相変わらず濃い霧がかかっていて、まるでミルクの中を進んでいるような感覚だ。
しかし、窓に顔をぴったりとくっつけるようにして目を凝らすと、霧の中に未来の光景が見えてくるのだ。それも、どうやら自分に関係した未来だけが見えるらしい。
一度、3人で同じ側の窓から一緒に覗いてみたのだが、見えたものは3人とも違っていた。それで、自然と僕たちはそれぞれが座っている位置から一番見やすい窓から覗くようになった。
キヨシは左側の窓、僕は右側で、真ん中に座っているユミは体の向きを変えて座席シートに両膝をつき、伸び上がるようにして後ろの窓から見ている。
運転手のおじさんがスピードを上げてからは、外の光景の移り変わりが少し早くなった。
中学校の制服を着た僕が見えた。・・・おや、少し太ったかな。隣に中学生のキヨシとユミがいる。キヨシはずいぶん大人っぽくなった。ユミも急に背が伸びたみたいだ。バレエのおかげだろう。
学校での様子も見えた。運動会、遠足、テスト。点数も見てしまった。がっくり。
次に見えたのは僕の家だ。皆で荷物を運び出しているところを見ると、引っ越しでもするのだろうか。ああ、やはりそうだ。キヨシとユミが寂しそうな顔をして、僕に何か贈り物のようなものを渡している。
3人の様子からすると、ずいぶん遠くへ引っ越してしまうようだ。どうしよう・・・。
僕の心配をよそに車は動き続け、外の景色もめまぐるしく変化していった。近くに目の焦点を合わせると変化の度合いが少しだけ遅くなるので、じっくり見たいときは手前を、先へ飛ばしたいときは遠くをといった具合に、僕たちは次第に未来を見るやり方に慣れていった。
窓の外では、高校生の僕、大学生の僕(大学に入るんだ!)が現れては消えていった。
だんだん大人になっていく自分の姿を傍から見るのは、何とも不思議な感覚だった。
ふと車の中に注意を向けると、ユミの声が耳に入ってきた。
「あっ、キヨシ君とデートしてるわ。いつのまにか私たち大人になってる」
ふうん・・・。
キヨシを見ると、「うん、うん」と満足そうにうなずいている。
「公園でボートに乗ってるね」
どうやら今ふたりが見ているのは同じ光景らしい。同じ未来・・・。僕はとてもうらやましいと思った。
ふたたび窓の外をのぞき、少し目を細めて遠くを見るような感じにしてみた。
すると、そこにはすっかり大人になった僕の姿があった。大人の僕はお酒を飲んでいる。30歳ぐらいだろうか?
うわっ、ずいぶんたくさんお銚子が並んでいるぞ。まるでうちのお父さんみたいだ。そういえば、僕の顔つきも何となくお父さんに似ているようだ。隣で飲んでいるのは、もしかして大人になったキヨシだろうか?
そうだ。あの神経質そうな表情はキヨシに違いない。ってことは、僕は遠くへ引っ越すけれど、また3人は出会うってことなんだ。そいつはいいぞ。
ところで、僕たちは何か言い争いをしているようだ。僕が熱心に話しかけて、キヨシが不機嫌そうに首を横に振っている。
キヨシは背広にネクタイ姿だ。会社の帰りだろうか。
それに比べて、僕は何となくだらしない格好だ。大人の僕はまともな職業につけないのだろうか。
と、場面が変わって、僕は綺麗な女の人と楽しそうに歩いていた。この人が僕のお嫁さんになるんだろうか。大人の僕は案外うまくやっているようだ。
しばらくして、ふたりしてどこかの家に住んでいる光景が見えた。
隣の部屋では小さな可愛い女の子がおもちゃで遊んでいる。ああ、僕たちの子供だ!
無精ひげを生やした僕は、机に向かって煙草をプカプカさせながら、原稿用紙に何かを書いている。やったぞ!僕はやはり小説家になるんだ。
・・・でも、部屋の様子からするとあまりお金持ちではないみたいだな。
奥さんも何だか疲れた顔をしているみたいだ。ひょっとすると、売れない小説家なのだろうか?
いやいや、きっと売れ出す前の姿なんだ。そうに違いないよ。
あれあれ、おかしいぞ?
突然、窓の外の光景が消えてしまい、もう僕がいくら目を凝らしてみても、何も見ることができなくなってしまった。
僕の横では、まだふたりとも夢中で窓の外を見ている。
機械の故障だろうか?
僕はあれこれ迷った挙句、思い切って運転手さんに聞いてみた。
「あの、僕だけ外の景色が見えなくなっちゃったけど、どうしてですか」
運転手のおじさんは、少し間をおいてから、静かな声で答えた。
「すべて見てしまわなくてもよかろう。お後は明日のお楽しみ、というところだよ。いずれ再び、見る機会が訪れるかもしれない」
「そうですか」僕は一応うなずいてはみたものの、本当は少し不満だった。
仕方ないので、キヨシたちの会話に耳を傾けたり、運転席のメーター類を眺めたりしていたが、やがて、運転手のおじさんといろいろ話がしてみたいと思い始めた。
僕は、運転の邪魔にならないように遠慮がちに話しかけてみた。
「あの、おじさんがこのタイムマシンを作ったんですか?ええと、もしかして偉い科学者?」
運転手さんは少し笑ったようだった。
「自動車の形をしているところが変わっていますよね」
「うむ。いわば、現代風にアレンジしているのだよ。これは、場所によって、あるいは時代によって様々な形をとることになっている。例えばある国では馬車だったり、またある国では船の形をしていたり。この国でも、昔は牛車だったこともある」
「ぎっしゃ?」
「牛に引かせる車だよ。君たちの時代より千年以上も昔のことだがね。」
千年?外国?どうなっているんだろういったい。
と、そのとき突然、僕の頭にある考えがひらめいた。僕は思い切ってそれを口にしてみた。
「おじさんは、もしかして・・・神様?」
運転手のおじさんはまた少し微笑んだようだった。そして、直接僕の質問には答えず、こんなことを言った。
「君は神が存在すると思うかね」
「ソンザイ?」
「そう、存在さ。つまり、この世にいるかどうかということだよ」
僕はどんどん緊張してきた。僕の心臓は、いつもよりずっとはやく動いている。まるで徒競走でスタートのピストル音を、今か今かと待っているときのようだ。
「お父さんはいるって言うし、お母さんもたくさんいるって。それで、子供の頃によく一緒に遊んだりしたこともあるって。嘘かも知れないけど、僕にはわからない。いるかもしれないけど。でも、やっぱり神様はいた方がいいな。あと、天使とか妖精とかも。悪魔とか幽霊は怖いけど」
僕は、考えたことをできるだけ正直に話した。途中で話をやめるのが怖いような、変な気分になりながら。
「君のお母さんたちは嘘をついてはいないかもしれないよ。夢の中で見たものを覚えている場合もあるのだから。子供だったら誰でも一度は|これ《》に乗るのだ。誰もが皆、夢の中で」
「夢?じゃあ、これも夢なの?」
「君たちは例外だ。まあ、ごく稀にこういった手違いが生じることがあるのだよ。過去にも幾度かあった。それで、その体験が書物などの形となって残っているのだ」
おじさんは、そう言うと何かのスイッチを押した。
「ヴーン・・・」という低い、不思議な音が車内に響き渡り、外の霧が次第に晴れ始めた。
「いずれにしても、君の疑問も時が経ち、再びこれに乗るときに解決されるだろうよ」
・・・再び?では、僕はいつの日か、もう一度この車に乗ることになるのだろうか?
「さてさて、3人とも気をつけたまえ。これから先は、外の光景をあまりじっくりと見ないようにすることだ。めまぐるしく変化する時間と空間の奔流に心を流されぬようにな」
「・・・ほんりゅう?」
「あっ、あれを見て!」
「ああっ!」
「すごい!」
前方の霧の晴れ間から、うすぼんやりと黒くて大きな丸いものが見えてきた。そう、それはとても大きなトンネルみたいだった。
「ウオー・・・ン」
僕たちを乗せた車は、その真っ黒い穴の中心に向かってまっしぐらに突き進んでいた。そして・・・。
(続く)
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