チカムリオ(その3)
「さてそれでは、過去回りでいくかね、それとも未来回りにするかね」
(前回のつづき・・・)
この運転手はいったい何を言っているんだろう。
僕はこの車に乗ったことを次第に後悔し始めていた。
『この人は誘拐犯人かもしれないぞ。きれいな目立つ切符をあちこちに落としておいて冒険好きな子供達をおびき寄せ、誘拐して外国に売り飛ばすつもりなのかも。もしかしたら、あの幽霊屋敷の住人なのだろうか?ああ、やっぱり来なきゃよかったんだ。今すぐ家に帰って、暖かい布団の中に潜り込めたらいいのに・・・』
ほかの2人も同じようなことを考えているのだろう。僕たちは不安そうに顔を見合わせた。
やがて仕方なく、僕は「あの、未来の方でいいです」と、まるで肉屋さんでひき肉でも買っているときのような返事をした。
「未来ね」
運転手さんがそうつぶやいてギアを入れた。
「ウィーン・・・」という音がして、車はゆっくりと動き始めたようだ。
窓の外はまた霧が深く立ちこめてきたのだろうか、景色がよく見えない。僕はたまらず声に出した。
「チカムリオって遠いの?僕らはお弁当を1回分しか持ってこなかったんです。親にも内緒で出てきちゃったし。あっ、でも、えーと、もちろん後でわかるように、僕の部屋に置き手紙はしてきたけど」
キヨシも僕に合わせて発言した。
「悪い人に誘拐されたりしたら困りますから・・・あの、もちろん運転手さんのことじゃありませんよ」
僕たちの声は少し震えていたのかもしれない。運転手のおじさんは、ちょっぴり優しい声になった。
「時間の心配をすることはないのだよ。目的地までどのくらいの距離かと聞かれても、それに答えるのはちと難しいがね。ただ、この車の中でずいぶん時間が経ったと感じても、帰って外に降り立ったときには、乗った時から数分程度しか経過していないのだから」
相変わらず話の内容はちんぷんかんぷんだが、この人はどうやら悪い人ではないようだ。それに、車内は暗くて顔は見えないが、声の様子からすると、意外に年をとっているみたいだ。
車の外は深い霧だ。僕の頭の中も、不安や運転手さんから聞かされた不思議な話がごちゃまぜになって、なんだかもやもやしていた。
でもそのうち暖房が効いてきて、だんだんゆったりとした気持ちになってきた。
3人の真ん中で、さっきまで小さくなって不安そうに目をぱちぱちさせていたユミも、持ってきたバスケットの中身を僕たちに見せてくれたりしている。バスケットの中にはおいしそうなサンドイッチや果物が詰まっていた。
キヨシは少し神経質な顔をしている。そういえば、月曜日に塾のテストがあると言ってたっけ。キヨシは将来きっと忙しい仕事につくだろう。僕は小説家か囲碁、将棋のプロがいいと思っている。なぜって、座っているだけで仕事になるからだ。
「ねえ、この自動車動いてるの?」
ユミが誰にともなく尋ねた。
キヨシが小声で「僕もそう思っていたところなんだ。全然揺れないんだもの。音は出てるけどね」
僕も何か言わなきゃと思って、思い切って運転手さんに尋ねてみた。
「あの、今、どのあたりを走っているんですか?」
「たぶん、3丁目の交差点のあたりかな」キヨシが言った。
「僕が通っている塾があるんだ。あ、そういえば明日単語の試験があるから、勉強しておかなきゃ。100個も出るんだ」
「窓から外を見たまえ。明日の君たちの姿を見ることができるだろう。遠くに目の焦点を合わせるようにすれば少し遠い未来が、近くに合わせると近い未来が見えるって寸法さ」と運転手のおじさんが言った。
・・・冗談を言って僕らを笑わせるつもりだろうか?でも、あまりおかしくないけど。
それでも僕たちは窓の外を見た。冷たい車の窓に額を押し当てて外を見ると、今まで視界をさえぎっていた霧が一部分だけ薄れて、ぼんやりと人の姿が浮かんできた。驚いたことに、それは僕自身の姿だった。
反対側の窓から外を見ていたキヨシが叫んだ。
「あれ?あそこにいるのは僕だぞ。テストを受けている。・・・あ、今度は答案用紙を受け取っている。96点だ!はっきり見えるぞ!」
「何のテストなの?」とユミが尋ねた
「英単語のテストだよ」
「え?じゃあ明日の?」と僕が聞き返すと、キヨシはこちらを振り向いて真剣な顔でうなずいた。
「じゃあ、明日起きることが見えたのね!」ユミが瞳を輝かした。
不思議な話だけど、どうやら本当らしい。僕もさっき見えた自分の姿をもう一度見ようと車の窓に額を押しつけて、光が入らないように両手で顔のまわりを覆った。
今度はさっきよりもはっきりと自分の姿が見えた。
体操着を着て、体育館でマット運動をしている。・・・ってことは、明日は雨が降るのか。このところ、晴れるとグラウンドでソフトボール、雨だと体育館でマット運動というのが僕たちの体育の授業なのだ。
僕はマット運動が苦手なのでがっかりした。しかも、窓の向こうに見えてるもう一人の僕は、倒立に失敗してみんなに笑われているようだ。
反対側の窓でキヨシと一緒に外を見ているユミが嬉しそうに声をあげた。どうやら明日、誰かにぬいぐるみか何かをプレゼントされるらしい。
キヨシは96点、ユミはぬいぐるみ、そして僕は苦手なマット運動。
ちぇっ、明日はついてないぞ。
と、窓を見ながらそんなことを考えていたら、後ろからキヨシが背中をつついて囁きかけてきた。
「これは、この車はタイムマシンだよきっと。ねえ、運転席をごらんよ。スピードメーターがないだろ。その代わりに、変なメーターがついている。あれはきっと、時間を示す装置だと思うんだ」
そういえば、運転席は普通の自動車のものとは全然違うようだ。複雑なスイッチや計器類がたくさん並んでいて、その中に大きなメーターが2個、ぼうっと緑色に光って特に目立っている。
キヨシの説明によれば、一つは年代を示すもので、もう一つが月日や時間を示すものだということだった。
すごいや。タイムマシンが本当にあったなんて。
「タイムマシンってなあに?」と、僕たちに挟まれて聞き耳を立てていたユミが口を挟んだ。
僕たちは、SFについてほとんど知らないユミに、代わる代わる説明してやった。
「過去や未来を自由に行き来できる乗り物さ」
「自分が生まれる前の時代にも、1000年先にだって、自由に行けるんだよ」
これで運転手さんの言っていたことの謎も解けた。このタクシーは普通のタクシーではない。過去へも、未来へも行くことのできるタイムマシンなんだ。
では、チカムリオとはいったいどこなんだろう。あるいは、いつと言ったほうがよいのだろうか。どちらにしても、いずれわかるだろう。
いよいよこれから待ちに待った冒険旅行が始まるのだ。僕たちは胸の高鳴りを押さえつつ、窓の向こうを注意深く見つめた。
「さあ、少し速度を上げるとしようか」
運転手のおじさんが、僕らの期待に応えるかように声をかけた。
(続く)
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