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青春の道化師(冒頭)

花火の夜
東京の七月は暑かった。梅雨が終わったかと思うと、またじとじとと降り出し、蒸し暑い夜が幾日も続いた。

当時、私は友人二人とともに北海道から上京して東武線沿線の下町に共同で一軒家を借り、そこから大学に通っていた。
 他所からやってきた学生たちが自由気ままな生活を始めたのを見て、はじめのうちは、近隣の住人たちも少々戸惑ったようだった。

けれど、なぜか私たちは近所の子供らに気に入られてしまい、やがて、格好の遊び相手として絶大な人気を集めるようになった。
 なにしろ、引っ越してきた数日後には、もう子供達からあだ名で呼ばれるようになったのだ。

友人の西島は背が高かったので「足ながおじさん」、男谷はなかなかの美男子だったので「かっこいいおじさん」と呼ばれた。
 私だけ「クマおじさん」で少々不満だったが、やはり子供は素直だと思わざるを得なかった。

これを見て大人たちも少しずつ私たちを受け入れるようになり、貧乏学生に差し入れを持ってきてくれたり、時には食事に招いてくれたりするようになった。

いつにも増して蒸し暑い七夕の夜、我々は「納涼花火大会」と称し、近所の子供達を集めて花火を楽しむことにした。
 私は、嬉しそうにはしゃぐ子供たちに混じり、線香花火の火の玉が、ちかちかと火花を散らす様子に見入っていた。そして、昔同じようにして遊んだ事や、その頃のことを思い出したりしていた。

この花火大会は子供たちに大人気となり、夏の間、暑気払いの目的もあって何度か催した。

子供たちの中に、K子という、十三歳になる少女がいた。向かいの家に住む三姉妹の長女で、私は頼まれてこの娘の家庭教師をしていた。
 男兄弟がいなかったこともあってか、K子は私によくなついた。
 二人で勉強をしているときなどは、年の離れた兄に甘えるようなそぶりを見せたし、私も彼女を妹のように可愛がっていた。

そんなK子も、花火の最中は、他の子供達の前で大人びた振舞いをして、あれこれと指図をしたりしていたが、それも私にしてみれば微笑ましい光景であった。

ある晩、いつものように家の前で花火をしていたとき、一人の子が指に軽い火傷をした。
 K子は、「そらご覧、あまり振り回すからだよ」とその子を叱りながら、玄関先の水道の蛇口をひねり、小さな指に辛抱強く水をかけてやった。
 私はその手際のよさに感心し、じっとその様子を観察していた。彼女はそんな私の視線を感じたらしく、いよいよ大人びた口調で、火傷した子に説教をするのだった。

その時出し抜けに、彼女の背後にいた子供が手にした花火から炎が勢いよく噴きだした。

K子は驚いて飛びのき、その拍子で石か何かにつまずいて転んでしまった。
あわてた私はすぐ彼女に駆け寄り、急いで抱き起こすと、髪についた砂埃を払ってやった。
 少女の髪から風呂上がりの石鹸の香りが漂い、私の鼻腔をくすぐった。と同時に、うなじの辺りから仄かに匂い立つ甘い香りが私の心を不意にかき乱した。

私がその香りにひるみ、埃を払う手を休めていると、苦痛に顔をしかめていた彼女がふと顔を上げ、私を見た。愁いを含んだ、美しい瞳だった。
 妙になまめかしいその瞳と体臭は、もう少女のものではないように思えた。そう、少なくともその瞬間は。

私はそんな思いを払いのけようとして、そそくさと少女の髪の汚れを取り除き、「大丈夫か」と、なかばぶっきらぼうにつぶやいた。

「うん」と返事をしたまま、K子は目を伏せていた。
 二人の会話は、周囲ではしゃぐ子供たちの喧騒にさえぎられてはいたが、私たち二人の関係は、この瞬間から今までのものではなくなってしまっていた。それからK子は、花火が終わるまで一度も口を開かなかった。

花火がなくなり、友人や子供たちが三々五々家に向かって帰りはじめても、K子はぐずぐずとそこに留まっていた。私は知らぬふりをして下宿に戻ろうとしたが、背中に、はっきりと彼女の”思い”を感じていた。

・・・予期したとおり、少女は私を呼び止めた。そして、私が振り向いた時、つかの間、じっと私の目を見つめた。

私は唐突に、K子に対して性欲を抱いた。

その途端、少女は私の胸の中に飛び込むと、両手を私の背中に回して抱きついた。

私はなすすべもなくその場に立ちすくんでいた。

やがて

K子は素早く私から離れると、そのまま振り返ることなく走り去った。

独り取り残された私は、眩暈にも似たとまどいを感じながらも、心だけは妙に弾んでいた。

(終わり)


ここまで読んでいただいて、ありがとうございます。

これは、僕が大学に入って間もなく書き始めた『青春の道化師』という小説の冒頭部分です。
 いかにも小説風な表現をしようと頑張っている反面、どうにも稚拙な箇所もありますが、とても懐かしい文章です。

溢れ出る(?)熱情を抑えて淡々と描こうと努力しているようですが、少女に対して唐突に性欲を抱く場面などは、おそらく、この頃読んで感動した火野葦平の『黄金部落』という小説の影響を受けているのでしょう。

なお、この物語は、「僕が出会った風景、そして人々」にそこはかとなくリンクしています。

というか、もしかしたら現在の僕にも。

いつまでたっても大人になれないなー。

(終わり。いや、もしかしたら、続くかも・・・)



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