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僕が出会った風景そして人々(番外編その⑩’)
僕の記事を読んでいただいている皆さんへ。
ごめんなさい。その⑩を、書ききらないうちに公開しておりました。。
改めて書き直したものを、⑩’としてアップいたします。
したがって、これは⑩の改訂版となります。⑩の方も加筆しましたが、まぎらわしいので削除します。
・・・ということで、まことにお手数ですが、よければもう一度読み直してください。
どうかよろしくお願いします。
では、⑩’の始まり始まり・・・。
T坂遺跡のこと
さて、新しいメンバーを迎えてT坂遺跡の調査が開始されたわけだが、当時はバブル絶頂期ということもあり、M市内でも宅地開発などが盛んに行われ、それに伴う発掘調査も多忙を極めていた。
僕が所属した遺跡調査会も、常に複数の現場をかかえており、それぞれをベテラン調査員が担当していた。
T坂遺跡の調査スタッフは以下のとおり。
調査員:K主任(M市役所社会教育課職員)、N上(リーダー)、A=僕(サブリーダー)
調査補助員:Tムラ、G藤、H川、H原、S戸、K島、B氏、ほか数名
室内作業員:O、Y
調査員3名と補助員のTムラ、G藤氏については前回までにご紹介した。新メンバーのうち、主立った人物について記しておこう。
H川氏:某劇団所属の俳優。若かりし頃に「○○の少年」という映画に主演したことがあるが、本人はあまりそのことに触れたがらない。明るく可愛らしい奧さんとの間に子供が3人。劇団の公演期間中は発掘の仕事を休み、芝居に没頭する。大酒飲みである。
H原君:常に物静かな青年。現場に来た時はインド旅行から帰ったばかりだったと記憶している。日に焼けて、本物のインド人みたいだった。
S戸君:スタッフの中で最年少。髪の毛を脱色し、光り物を身につけたいわゆるヤンキー青年。俳優志望。ずる賢さと純粋さ、人懐っこさと粗暴さを、上手くコントロールできずに悩んでいた。しかし、もしかするとそれらはすべて芝居であったのかもしれない。
B氏:名前が出てこないので仮にB氏としておく。ちょび髭を生やしており、面接時の話では拳法の達人とのこと。強さを奥に秘めた、寡黙な青年。
K島君:大学卒業後、普通に就職したが仕事に馴染まず退社、発掘のアルバイトをしながら何かの資格をとろうとしていた。バイトの身でありながら美女と結婚し、周囲から羨ましがられていた。
Oさん(♀):四国は瀬戸内海に面した某市出身。20代半ば、独身。一重瞼でハスキーボイスの美女。小柄な見た目に似合わぬ大酒飲み。
Yさん(♀):某アングラ(?)劇団のお抱え脚本家。20代半ば、独身。常に黒い服をまとい、頭にリボンをつけている。Oさん同様、大酒飲み。
こう記してみると、なんとも多士済々、いかにも何か起こりそうな雰囲気ではないか。
そう、事実この現場では、涙あり笑いあり、喧嘩ありロマンスありと、波瀾万丈の人間模様が展開していくのだった。
遺跡調査のこと
さて、この後の出来事については次回に述べることにして、このあたりで少々、遺跡の発掘調査に関する真面目なお話もしておきたい。
今回は、調査で発見される遺構を、どのように確認してどのように掘るのか、その具体的な方法をご紹介しよう。
遺構確認と掘削方法(縄文時代)
①遺構確認(プラン確認)
調査区を少しずつ削り下げていき、確認面と呼ばれる黄褐色の面に到達する。この面は、縄文時代の生活面に近い面である。
②その時点で、何か遺構がある場合は、確認面に遺構のプランとして検出される。(下写真)
![](https://assets.st-note.com/img/1647851616496-q66R3LH4Wz.jpg)
上の写真でわかるように、遺構(地面を掘りくぼめた穴)がある場合は、その部分だけ黒っぽく見える。写真では、遺構プランの輪郭に沿って移植ゴテの先端などを使い、線を引いている。こうすると、より遺構のプランが確認しやすくなる。
また、複数の遺構が重複している場合は、線を引くことによって先後関係が分かりやすくなる。下の写真を見ていただきたい。
![](https://assets.st-note.com/img/1647851616589-1JY8FabHtZ.jpg?width=1200)
いかがだろうか?下手な絵で恐縮だが、なんとなく遺構の先後関係がおわかりいただけたなら嬉しい。
上の絵は重複関係がわかりやすいように濃さを変えているが、実際にはもう少し微妙な場合が多い。Bが埋まってからAが掘り込まれるまでの期間が長ければ長いほど、(遺構に入り込む土の色が違うので)先後関係がわかりやすくなるといえる。
とまあ、こんなことを、現場で這いつくばりながらやっているわけである。
遺跡の発掘調査を行っていると、通りがかりの人に「なんでそんな穴が掘れたんだね?何千年も前に掘られた穴の形がわかるのかね。適当に掘ってるんじゃないの?」などと、よく言われたものだ。
そんなときは、上のような模式図を書いて説明すると、ある程度理解してもらうことができた。
当時、発掘調査に携わる人たちは皆、プロ意識を持って作業に取り組んでいた。もちろん今もそうだろう。
やがては開発行為によって破壊されてしまう遺跡を自分たちの手で調査し記録することで、かつてそこに暮らした人間たちの生活や精神文化を推し量り、その情報を後世の人々に託すことが自分たちに課せられた義務であると信じていた。
と、同時に、当時じゅうぶんに若かった僕たちは、それぞれが個人の苦悩と不安をかかえながら日々を過ごしていた。そのことが、現場で繰り広げられる人間模様を魅力的なものにしていたのだろう、きっと。
さてさて、張り切りすぎてノドが渇いた。
今回はこのぐらいにして冷たいビールでも飲むとしよう。
ではまた。
(続く)
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