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社会人ドクター生活

先日、ドクターの最終審査会がありました。
主査、副査の先生方にお集まりいただき、最終的に合否が発表される場。
ドキドキしながら会場に入りましたが、無事合格をいただきました。

途中、「審査結果を話し合うから離席するように」と言う一幕もありちょっと驚きましたが、先生方で合意の上での卒業orもうちょっと在学と言う判断をするようです。

3年ちょっと前に、ひょんなことから編入学を決意し、苦しみながらの3年間ももう終わりかと思うと、感慨深いものがあります。残念ながら、自分の勤めている会社は博士課程に進学・修了することをそこまで推しておらず(業務上、博士号取得にそれほど有益性がないこともあり)、学費も持ち出しとなります。国立大学なので、3年間で入学金合わせて180万程度。
しかも、通常業務が軽くなるわけもなく、平日の夜や土日も論文執筆、発表準備に充てたりで万人におススメというものでもないのが正直なところ。それでも、3年間の割と負荷のかかる生活を経験して得たものもあります。
研究分野に関する専門知識、は当然なのでなのでそれ以外に思うことをつらつら書いてみます。

・錆びついていた英語運用能力がちょっと回復

社会人になってからほぼ使うことのなかった英語。まさかのゼミの発表が質疑を含めて全部英語でした(泣)。資料の作成にはDeepL様に大いに助けられました。複数の翻訳サイトを使ってみましたが、自分の分野(土木)がたまたま相性が良かったこともあるのか、言いたいことを日本語で入力して出てくる英訳の修正の量が、他のサイトと比べて少なかったです。
まず、日本語で資料を作成→DeepLで英訳しておかしなところを修正
というのが基本的なフローになりました。一から和英辞典でやってたら確実に死んでいました。深謝。
ちなみに、私は課金をせずに画面の左手側のウインドウに日本語を入力し、右側のウインドウに出てくる英語をコピペ、という流れで作業をしていましたが、課金すればpptファイルをそのまま英訳できるのだとか。すごい時代になったものです。

・ボリュームのある書類の作成技術

博士論文は約150ページになりました。その辺に売っている書籍で150ページというと、薄い部類に入るかと思いますが・・・こんなページ数でもまあ大変です。
目次をどうするか、図表の一つ一つをわかりやすくするにはどうしたら良いか、日本語に間違いはないか、引用している文献の内容を誤読してないか・・・
一度、書籍に匹敵するボリュームの文書を作り上げる経験をすると、「作り手側」の気持ちがよくわかるようになります。
自分が作成する技術自体が向上したこともメリットですが、それ以上に「作り手側の視点」を手に入れられたことが大きかったように思います。
他の書籍や論文を読むときに、「あ、この人この情報隠してる」とか、「この章とこちらの章を入れ替えた方がわかりやすくなるのにな」といった、ちょっと引いた視点からインプットができるようになりました。


・ものの見方の多様化

象牙の塔とか揶揄されることもある大学の世界。少なくとも、自分が所属していた大学(研究所)は、純粋に研究や学生のことを考えている先生が多かったように思います。
で、限られた人しかなれない大学の先生というポスト。さらに長年にわたる専門分野での経験。私なんぞの若造とは経験も知識も頭の良さもレベチなわけです。社会人になってから、発表時のコメントでフリーズすることはほぼなくなったのですが、大学の発表では凍りつく(?)場面も数回・・・そうくるか!という感じ。
当たり前のことかもしれませんが、世の中のことは正解はひとつじゃなく、見方もたくさんあること、場合によっては多くの見方の人々を説得・納得させる必要があることを改めて感じました。


一時期、なぜ自分は高い学費を払って、自由時間を削り、先生方からの厳しいコメントを受けているのだろう?ただのドMではないのか?と冷静に考えていたこともありました。もう一回同じ経験をしなさい、と言われたら悩むかもしれませんが、この3年間は振り返ると充実していたように思います。
冒頭にも書きましたが、お金・時間の面から万人にはお勧めしませんが、ドMな人、チャレンジ精神に燃えてる人等は選択肢として考えてみてはいかがでしょうか。大したアドバイスもできませんが、こちらの世界?に来られることを応援しております。


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