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共存するということ(3)

上の写真はLower Manhattanにあるウクライナ博物館
当時、入った時には閑散としていたが、今ではどうなのだろう。
多くの観光客が訪れているのではないだろうか。
ちなみに、この周辺にはウクライナ料理を楽しめるレストランもある。


NYには様々な民族の人が集まっていて、祖先の多くは何らかの理由で祖国から逃れてきた人々だ。

宗教の迫害、貧窮、政治的な抑圧等々。このことがNYを他のいかなる都市にも形容できないユニークな街を作り上げている。

ユダヤ人が典型かもしれないが、”自分達しか信じられない”、というような切迫感があり、同じバックグラウンドの人々が肩を寄せ合いながら同じ地区に住んでいる。

多様な社会というのは、決して交じり合うのではなく、各々のアイデンティティを持った社会の共同体、ということに気付かされた。

これは新しい発見だった。


ロンドンに住んでいた時、ロンドンでは、例えば、異なる人種のカップルが歩いていることは特に違和感なかったのだが、NYは不思議と同じ人種同士で固まっているような感がある。

日本人には、この感覚は戸惑うこともある。人種に対するsensitivityに緩いというか。

個々人のベース、拠り所、つまり、アイデンティを確り持つ
これ、日本人が不得意とするところではないか。
端的にいうと、海外の人から「日本のことを語ってくれ」、と頼まれた時に、戸惑う日本人が多いのではないか。

確かにNYだけでなく、海外には日本人街が極めて少ない。(これは、日本人が豊かな国に住んでいる、国を追われる必要がない、という証左でもあるのだが、NYでは中国街は勿論のこと、韓国人も大きなコミュニティを持つ)

確かドナルド・キーンだったと思うのだが、日本人はNationalismとPatriotismを共に愛国心と訳すから不味い、と語っていた。
なるほど、と思った。

人種という切り口で共存するということの意味に触れてみたが、もっと広げて考えると、異なるバックグラウンド(宗教、性別等)を持つ人々といかに共存するか。
本当に基本的なことだが、それを意識して生活するか否かの違いがとても大きいと思っている。


Lower ManhattanにあるLittle Italy。
Lower Manhattanには移民のルーツを見つけることができる場所が残っている。

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