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また乾杯がしたい。

俺は今現在、諸般の事情によりアルコールを飲む機会はない。
ある種の【アレルギー】とでも言おうか、一応今後もアルコールを口にすることはない。その上で【また乾杯しよう】そんな話を綴っていこうと思う。


もう5年になろうとしている。

沢山の友人が俺のそばに居てくれた。自分勝手な俺に構わず、彼らは、彼らの方から俺から離れることは決してなかった。離れるのはいつも俺の方からで、それは突然で、一方的で、身勝手の極みだった。
その中でも親友と言っていい友人の1人の話。
何度も酒を酌み交わし、お互いの将来を語り合い、その当時の【今】を嘆き、時に不甲斐ない俺を支え、助けれくれた友人。
その友人と飲む酒はいつも美味かった。

そんな友人と会わなくなって5年になろうとする。
この5年間、その友人と話したのは1度だけ。それも俺の昔の悪い生き方、都合よく助けてもらおうという【利用する】思惑で。

その友人はいつも突然いなくなる俺の為に『電話番後は変えない』と言っていた。そしてそれは事実だった。繋がった先の声。歓喜と涙と安堵が籠る声。俺はドキりとした。あの時点で2年ぶり、だっただろうか。
俺の近状を伝えると『良かった』と何度も繰り返す。その安堵の奥に、まだ別のトーンの暗さが垣間見え、聞かずにはおれなかった。

どうやら、当時の友人は随分と精神的に参っていた調子だった。
その近状を聞くと、俺は自分がその友人を利用するつもりで電話を掛けた事を後悔する他なかった。相も変わらず【自分勝手】な野郎だと。
当然だが、利用する気など失せてしまった。自分の行動を、その理由を恥じた。

そのおかげだなんて言ってはならないのだが、その日からしばらくは最悪の一手を切ることはなかった。

電話を切る際、また連絡すると俺は言った。友人は『必ずな』と言う。
その言葉が鉛の様に、苦く冷たく重たかった。
友人の言葉が重たかった訳ではなく、受け取る俺の心が、濁りと冷たさに重みが増したのだ。

それから約3年。一度も連絡を取っていない。幸か不幸か、その友人からも連絡はない。連絡をしない理由は何とでもなる。【正当】とされる理由もバカみたいに積み上げられる。

『今はまだその時ではない』そんな言い訳を今日も続けている。

【コロナウイルス感染拡大】
コイツは俺が思う以上にしぶとい。
状況が一向に改善に向かわないこともそうなのだが、沢山の事を考えるきっかけをこれでもかと与えてくれる。

この友人との事も1つである。
単純に大丈夫だろうか?と体調もそうだが、あの時以上に精神的に参ってはいないだろうか。
遠い所から、何不自由なく、健康そのもので、
『今日一日だけを生きながら』
自分勝手に友人を、誰かを、また一方的に想うだけ。


『卑怯だ』とは思う。心配するだけなら誰にだってできる。
フリでさえできてしまう。
今こうして画面と向かい合っている時だけ、その友人を想う。

行動を起こさない限り、何も始まらない。何も変わらない。
『その時』は起こさない限りやっては来ない。

ありがたいことに、今、俺の電話番号は変わっていない。
あちらの番号はどうだろうか?
結果はどちらでも構わない。どういう結果が返ってこようとも、今の俺なら受け入れる努力は出来る。

今は無理だけど、許されるのならまた時間を共有したい。
『また乾杯がしたい』いや『また乾杯しよう』
俺は酒は飲まないが、どうかお前は飛び切り美味い酒を飲んでまた、陽気に未来を語って欲しい。

あの現実にはできなかった未来の話を、今度はより現実味を持たせて、将来共に時間を過ごす、そんな未来の話をしよう。

乾杯へのコール。後は『その時』を起こすだけ。

【狼蓮】

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