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今日一日を新たに生きていく2-2

いざ梅雨が明けてみると、その暑さに参る。降参しようにも、そんなことでは気温は下がらない。そういう無力さの中で、今日も冷気の中で生きています。

<前回のあらすじ>
自身の同性愛への自覚。主に幼少期に起こった、変化。女性への好意に対する恥の感情と男性への興奮。センセーショナルな出来事についての雑記。

今回はその続き。15歳の時に起きた大きな変化。生活環境の変化。交流社会の拡大。大人への憧れと今の自分へと突き動かす【大人たちの身勝手な誘惑】について綴っていく。

奪われた思い出と与えられた後悔の種

15歳の春まで住んでいた場所もそれなりには栄えていたと記憶している。あのくらいの年齢なら生活に困ることはなく、全て自転車で事が足りていた。
たまに乗る電車は楽しい出来事だったし、自分の属していたコミュニティはその地域にほぼ収まっていたと言って良い。

しかし、前回にも記した通り、15の春。学年が繰り上がったばかりの自分に転校・引っ越しというイベントが発生した。
はっきりとした理由は今でも分からない。動物を飼っていたので、それに関する苦情があったのは知っていたが、それが引っ越しの決定打になったのかは定かではない。

当時の俺は、そのイベントに対して良い思いはしていなかった。
高校受験の事を考えると受ける校区が変わるので、それに対応することがまず面倒だったし、長年の付き合いである友人と離れるのも嫌だった。
そしてこれは引っ越してすぐに分かったことだったのだか、転校先の中学校では2年生の内に修学旅行を済ませており、元居た場所では3年生で行くことになっていたのだった。

今、コロナウイルスの状況で修学旅行へ行けなくなった学生たちの気持ちが俺には良く分かる。とても大切になったであろう思い出が丸々1つパーになったのだ。大人というか親はどう思うか知らないが、そのショックが消えるまでには、それなりに時間を要することになる。
(もちろん今はもう、その事実を良い様に捉えられるようになっている)

そういう俺のショックを見越していたのかは分からないが、兄弟3人(俺が長男)の中で俺には一人部屋が与えられ、携帯電話が与えられた。
この事態によりショックや憂鬱さが消えた訳ではないが、自身の人生の方向性をあらかた決定づけた事柄であったのは違いない。
※この2点について、後に両親は深く後悔することとなった。

馴染めない新生活と馴染まないという選択

中学3年生の新学期が始まって間もない。このヘンテコなタイミングで俺は転校生としてクラスに加わることになる。前居た所は詰襟の学ランだったのが、こちらではブレザーで、教室の一室で誰かのお古の上下を宛がわれる。殆ど急だったため、先生側も慌ただしく作業を進めていく。
(これも理由が分からないが、引っ越してから数日間学校へ行くことが出来なかった)

着慣れない制服に、まったく知らない顔が約40。先生も俺の事を知らないのだから当然、その紹介もぎこちない。俺自身の自己紹介もたどたどしい事この上ない。よくある漫画やドラマのようなトークタイムもないまま、さっそく授業が始まることになる。

これは経験したからこそ、分かり得た事なのだと思うが、都道府県や市区町村が違えば、使う教科書も違うし、授業内容の順番も大きく異なる。
転校して初の授業が理科だったのだが、やったことのある内容から始まり、やったことのない内容が既に終わっていた。
これには当時相当に困惑した。国語はともかく、大抵の教科でこの事実にぶち当たり、そのことに関するサポートなんて受けた記憶はなかった。

さらに厄介だったのが、自身の主観に過ぎないのだが、引っ越した校区は勉強ができる子が多い印象を受けた。勉強の出来ない子、というのはどこにでも一定数いるのだが、それを置いてもできる子が多い印象を受け、授業もハードな気がしてならなかった。本来ならそんなことは関係ないのだが、俺自身の元々良くなかった学力がさらに落ちていく理由の1つになってしまった。

人間関係はというと、当然順調とはいかなかった。何人か仲よくしてくれる子はいたし、彼らのおかげでこの一年を乗り越えられたようなものなのに、俺の意識は常に元居た場所にあり、よくあちらの友人に連絡を取っていた。
結果的に、卒業した学校での人間とは、その後一切連絡を取ることも、合うこともなかった。

こうやって振り返ると、本当に申し訳のないことをしたと思う。そしてこの時から俺の思考は穿っていたのだと思う。親への恨みや怒りが、学校内での無感情や意欲のなさに転嫁されていた。そして、ない物ねだりばかりで与えられた物を素直に受け取る事が出来ず、心を閉ざしていたのだと痛感する。

最初は新しい場所に馴染めないという感情を持っていたが、時間の経過に連れて、この場所に【馴染まない】という選択を俺自身が意識的にも無意識的にも行っていたのだった。

大人への憧れと簡単過ぎた出会い

結局は自分自身が努力することなく、意図的に苦痛を感じ日々をやり過ごした学校生活。その勝手に作られたストレスは、自分の生活圏の外に向けられた。都市部から少し離れた場所に住んでいたので、繁華街ですら自転車で行けたし、更なる賑わいを持つ場所へも電車一本で行くことが出来た。

一応受験勉強はしていたが、元居た場所の友人らと遊ぶことも多かったし、自然と行動範囲が広がっていた。
そして何より携帯電話とインターネットが我が身にあることが一番の原因である。

中学3年生の頃には、女性への興味は全くと言って良いほど無くなっていた。しかし、かといって学校内の誰かに好意を抱くということもなかった。
あまり同学年に興味を惹かれなかったのだ。
これは単純に、学校への嫌悪感と苦手意識が故だったと思う。

となると好意の対象となるのは、【大人の男】であり、これもまた単純に、ない物ねだりの大人への憧れに過ぎなかったのだな、と今は感じる。
大人への憧れとはこれ即ち【現実逃避】のツールだったのだ。
現実を知らない子供が「大人は良いよな」と金と自由を得ている姿に勝手に幻想と希望を抱いていたに過ぎなかった。

そして、近くの人間よりも遠くの人へ憧れを持ったのも、インターネットとメール機能を通して、あまりにも簡単にその【大人】とのコミュニケーションが取れたからに過ぎない。

【ゲイ】【掲示板】という単純なワードを検索欄に入力することで、簡単にコミュニケーションに繋がるサイトに繋がった。
今もだろうが、年齢制限・認証に関するプロセスがあまりにもお粗末で、中学生の自分でも簡単にアクセスでき、メールを送受信することが出来た。
そして、そこで知り合う大人たちは、俺が中学生であることなんてお構いなくやり取りを行うのであった。

つづく

こうやって振り返ると、中学3年生の14歳から15歳のこの一年、非常に沢山の出来事が自身の人生を取り巻いていることが分かる。
本当に色々な事があったんだなぁ、と打ち込みながら感慨に耽る。
そして長くなったので、一度箸を休める事にする。



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