落ちこぼれ
先日、茨木のり子さんの詩にメロディーを重ねて歌われている引田香織さんをnoteで紹介させていただいた。
それを機に改めて茨木のり子さんの詩集を開いてみた。
茨木のり子さんの詩は、力強く、魂に迫ってくるものがあり、引田香織さんがそれを曲にされたこともとても納得がいくものがある。
メロディーと重なることで、それがリフレインのように残像として残っていく感覚がある。
「落ちこぼれ」の詩を味わうと自分自身、そして次男の姿と重なる。
落ちこぼれという言葉のニュアンスには、否定的なものではなく、ユーモラスな明るさと落ちこぼれで何が悪いんだという自負のようなものを感じる。
普遍的な要素が含まれているからこそ時代が流れても、読者と重ねられ、読者の心を打つ力をもっているのだろう。
最後の「華々しい意思であれ」に社会のレールから落ちこぼれた者こそ
逆に世間の月並みな幻想に囚われることなく、自分の太陽を輝かせて生き抜いていける励ましのエネルギーを感じた。
落ちこぼれの詩の後にこの詩を味わうとさらに味わい深く感じさせられる。
落ちこぼれたことで、真実のことが見えてくる。
マドモアゼル愛先生も繰り返し語っておられるが、月並みな権威、宗教、学問には倚りかからない、先ずは自分のフィルターで味わい、自分の感覚を信頼して選択していくという姿勢が、まさに今、一番、必要なものではないかと感じるのである。
今の次男の姿から、その月並みの幻想から抜け出し、自分らしく輝いていくことにもがき苦しんでいる。
私も次男と同じ年頃で、親子関係で苦しみ、自律神経系の病気となり入院した。太陽魚座の次男の姿は、まさに私の内側のもう一人の自分が鏡として映し出されていると感じる。
私の12室は惑星はなくハウスカスプ山羊座で支配星土星が働き、12室は魚座の場所でもある。12室の秘密、隔離されたもののキーワードが象徴するものが、まさに太陽魚座である次男の山羊座要素からの脱却の姿ではないかと感じた。
ソーラリターンは、自分の誕生日から次の誕生日までのエネルギーを示していると知り、既に3か月経過していたが今年の5月の私のソーラリターンを調べた。
牡牛座太陽は魚座12室にあり、その太陽と10室の魚座海王星(火星と合)、8室の山羊座冥王星がミニトラインを形成している。
頂点の魚座海王星の度数25度のサビアンシンボルは「聖職の浄化」であり
無意識から働いてくる激しいエネルギーに8室山羊座冥王星のエネルギーも重なり、私のそして家族の浄化が進んでいるという感じがした。
病む人はやさしき人よ草の花
※インスタグラムで写真/俳句日記を毎日更新中
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