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夢の記憶を

夢日記をはじめて、かれこれ1年半になろうとしている。
1年目は月ダイアリーの右側に記載していたが、今年から20年近く使用していないハードカバーの余白の多いノートに記載するようになった。
枕元にそのノートと鉛筆を置いて眠る。
夜中に目が覚めた際に夢の記憶が残っていれば何か書いておく。
夢の記憶が流れこみやすいように、環境は、自分自身の状態も余白が多くなるように意識してきた。
マドモアゼル愛先生の夢分析の本も時々、気になった際は開くこともあるが、大抵は、夢の記憶を辿るだけでいい加減な感じで続けてきた。

心理学者の河合隼雄氏も夢分析のやり方としてある程度の期間を通してどういう場面が多いとか、どんなイメージかを掴んでいくと良いというような話をされていた。

50代頃までは仕事上でのストレスが強く、誰かに追われる夢をよくみた。
逃げて逃げて隠れても追っ手に見つかってしまうというパターンで、追っ手はまさに自分自身のシャドウであったのだろうと思う。

最近は、仕事のストレスはなくなり、親族での軋轢はあるが、追われるような夢をみることはなく、比較的穏やかな夢ばかりである。
大抵は職場の同僚や上司と新幹線や列車に乗り換えたりして移動したり、工場での仕事をしている夢が多く、その関係性でも特に感情的なものを含んでいるものは少ない。

昨夜の夢は今までになく不思議な夢であった。
祖先を弔うワークショップに参加し、その指導者らしい人から円形の木彫りのようなものを手渡され、それに触れて、身体のどこかに何か感じるものがあれば伝えてくださいと言われた。私はあまり霊的な世界には入りたくなかったが、素直にそれを感じようとしていた。
しばらくして、その指導者が、やや大振りの白っぽい石を持ってきて、この石を持ってみてくださいと。その石を手渡されたところ、大きさ以上の重さがあって驚いていた。
石が重たくなることと祖先の浄化に関係するような話をされた。
ちょうど、実家の家系図を取り寄せようとしており、そのこととも関係しているかもしれない。

20代から40台にかけては、何度かスピリチュアルな世界に入り、痛い目を受けてきたが、スピリチュアルへの向き合い方が、現実逃避的な要素が強く、現実と統合していくという要素が欠けていたかと思う。

ホロスコープを学び、スピリチュアルな海王星的な要素に対しては、その海に入りこんでしまい過ぎないように牡牛座、乙女座、山羊座的な地のエレメントの要素を意識していくことの大切さを学んだ。

海王星を意識して使うというよりも結果として使っていたという感じが強いと思うが、夢日記やタロットカード、意識の学問としてのホロスコープもそうであるが、現実的な日常とバランスよく統合していくという視点はとても大切のように思う。

意識のエネルギーの質感が変わることで、現実との向き合い方も変わると思うので、かならず海王星の要素をもつものと現実的なものと両輪で歩んでいくことを意識したいと思う。



真っ白な石の重さよ春の夢

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