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星読みの仲間と


マドモアゼル愛先生の月セミナーを学んだ仲間での星読みのお話会に毎月参加している。
メンバーは月によっても変動するが多くても数名で、気心の知れた星読みの仲間で、安心して語り合える。

私はネイタルチャートの土星が山羊座11室(友人関係の部屋)にあり、対人関係はとても狭く、友人は信頼できる俳句仲間と星読み仲間に限られる。

俳句も季語という日本の文化が象徴された言葉を使って限られた形式で表現するためお互いその余白を感じ合うということがベースになっている関係である。
星読み仲間も同様で12サイン、10の惑星もギリシャ神話から紐づく象徴性のあるイメージをもとに、自分自身やトランジットから象徴されるイメージを感じ、それをベースに語り合う場である。

従い、言葉として表現される以前のその人が醸し出す情熱、スピード感、静けさ、ゆったり感などをお互い感じるということが先ずありきで成立しているように思う。

その証拠に話題が途切れて、しばし沈黙が生じても気まずい感じにはならず、誰かが話したいという衝動が生まれればそ最初の流れに従うという感じ。
そして、皆さん、それぞれに様々な体験を経て、ホロスコープと出会ってこられた方ばかりなので、話が机上の話ではなく、実体験のリアルな肌感覚が伴うので説得力がある。

Mさんは太陽獅子座で、最初の頃はその雄叫びに圧倒された感じであったが、だんだんとMさんの魚座的な要素、乙女座的な要素などをインスタなどから感じていくことで多面的なMさんの要素を感じてきた。

このことは、まさにお互い様で、誰も太陽星座以外の惑星のコンビネーションに応じた濃淡が生まれ、それにより思考、行動パターンが生まれていくのだと思う。

Mさん以外にもnoteをフォローし合う方もおり、お互いの表現のパターンの違いを感じることが多い。

私はアセンダント水瓶座で社会全体に意識を向けている反面、表現においては、蟹座金星と牡牛座水星との連携もあり、はじめて読む人への配慮という点においては欠けており、自分の中の太陽牡牛座の衝動で表現しているというイメージがある。
反面、YさんかKさんの文章には、ホロスコープを知らない方が初めて読んでもらうことを配慮した表現であることに気がつかされた。
Yさん、Kさんは他者に開かれた形のエネルギーがあるのに対して、私においては私自身の内側の衝動に任せて表現しているごつごつ感を感じた。

言うまでもないが、どちらがいい、悪いということではないが、その表現の奥に流れるエネルギーの違いを感じれたということが新鮮であった。


今日もエゴラッピンのこの曲で


頬杖をつきて神話を春の星

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