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ザ・丸の内 オススメの勤務地にして娯楽街。5分で読めます。

皆さん、わたしのnoteにご興味をいただき、ありがとうございます💁

昨年の夏に、懐かしい丸の内に、およそ、20年ぶりに行ってきました。
かつてのビジネス街のイメージが払しょくされて、どらかというと、
オシャレな娯楽街としてのエリアに変貌していました。

ここで、8年間、わたしの20代を過ごした思い出を込めて、各所を訪れてみることとしました。

小生の記憶だけでは、心もとないため、Wikipediaなどの資料にも頼りつつ、
ザックリと「丸の内」について、まとめていこうと思います。

丸の内とはこんな街

丸の内(まるのうち 、: Marunouchi)は、東京都千代田区町名
現行行政区画は丸の内一丁目から丸の内三丁目。
住居表示実施済みの地域。郵便番号は100-0005。

隣接する大手町有楽町八重洲日本橋京橋とともに、日本最大のビジネス街を構成している。東京駅周辺における西側一帯の代名詞でもあり、東側一帯を指す「八重洲」と対比される。
居住していると思われる人口は、わずかに5世帯で6人。

丸の内の概要と今世紀からの歩み

およそ皇居外苑東京駅に挟まれた地区で、北に隣接する大手町や南に隣接する有楽町日比谷)と共に日本屈指のオフィス街超高層ビル街として発展し、東京の中心業務地区(CBD)として機能している。

大手銀行メガバンク)の本店大企業の本社ビルが建ち並び、日本の金融経済の中心地の一つとなっている。

三菱財閥総帥岩崎弥之助率いる「三菱社」が国から払い下げを受けた約10万坪の草地であったことから明治期には「三菱ケ原」と呼ばれ、三菱が広大な荒地をロンドンシティを模範とした大規模なビジネス街として開発していった。

そういった歴史的経緯から三菱グループ(旧三菱財閥)各社の本社が集中し、「三菱村」とも呼ばれている。

特に三菱グループの御三家といわれる三菱UFJ銀行三菱商事三菱重工業の本社は全て丸の内に位置している。

現在でも三菱地所が丸の内一帯に30棟ものオフィスビルを所有しており、俗に「丸の内の大家」とも言われている。

丸の内一丁目には日本の中央駅である東京駅が位置している。
多数の在来線新幹線の起点となっており、東京を代表するターミナル駅である。 赤レンガ造りの丸の内口駅舎は辰野金吾らが設計したものであり、1914年に竣工、2003年に国の重要文化財に指定されている。

丸の内駅舎は太平洋戦争中の東京大空襲により被災したが、2012年に完全に元の姿に復元された。

丸の内二丁目の明治安田生命保険相互会社本社本館(明治生命館)は国の重要文化財に指定されている。

帝国劇場(帝劇)もこの地区にある。

1991年新宿区西新宿二丁目に移転するまで東京都庁舎も丸の内に所在していた(都庁跡地は現在の東京国際フォーラム)。都庁の一部があった場所を含め、東海道線の線路の東側にも丸の内に属する部分が一部存在する。

マンションなどの住宅や終夜営業の飲食店・居酒屋や商業施設が殆ど無いため、昼間人口と夜間人口の差が極端なのが特徴。

平日昼間サラリーマンOLで賑わうが、深夜は行き交う人も疎らである。2000年代初頭までは昼間であっても週末祝日は閑散としていたが、低層部に商業店舗が多く入居する丸の内ビルディング(丸ビル)が2002年に完成して以降は再開発が進み、平日夜の早い時間帯や休日の人通りが大幅に増えた。

2000年代に入ってからは上記のように丸ビルなど老朽化したビルの建て替えや、地区の中心を南北に通る丸の内仲通りにある高層ビルの低層階に高級ブランド飲食店を誘致するなど商業機能を強化し、三菱地所主導の再開発で盛り返している。

また東日本旅客鉄道(JR東日本)主導で東京駅も東京ステーションシティとして再開発を行なっており、地下にある駅ナカ商業施設が充実している。

三菱地所の調査によると、再開発に伴い丸の内では、店舗数が約280店(2001年)→約870店(2017年)、土日の訪問者数は約4万6000人(2002年)→約11万4000人(2016年)と大幅に増えた。

ビルの建て替えや店舗の増加で街全体の魅力が高まり、企業の転入・回帰も進んだ。2014年時点の事業所数は約4300(1996年比で1.2倍)、従業員総数は約28万人(同5万人増)となった。

大手町・丸の内・有楽町をあわせて、大丸有とも呼ばれる。無料巡回バスである丸の内シャトルが本地区を中心に、大手町地区から有楽町地区までの範囲を周回している。

2000年代に入って丸の内の再開発が急速に進み、2002年8月に竣工した丸の内ビルディングは開業から4か月足らずで入場者数が200万人を突破するなど、一躍観光スポットとなった。

その後も2004年9月14日日本国有鉄道(国鉄)本社跡地、JTB本社跡地、東京中央ビルヂングの跡地に丸の内オアゾが、その3日後の9月17日に重要文化財の明治生命館を保存しつつ周囲を再開発した明治安田生命ビル(丸の内MY PLAZA)が、さらに2007年4月27日には新丸の内ビルディングがオープンした。

2009年4月30日、丸の内最初のオフィスビルである三菱一号館が解体から41年を経て三菱一号館美術館の建物としてレプリカ再建された。


主なビルと入居企業・団体


下記の企業は、わたしと上司、先輩、後輩らと担当を振り分けて、
ほぼ日参で訪れていました。

全てが、徒歩、10分圏内にあるため、各企業の人事部や秘書室からお呼びがあれば、即、出向けるメリットがあり、長居しても、仕事に差し支えはありませんでした。

特に思い出深いのが、明治生命(合併前)、東京海上(合併前)、古河電気、
三菱商事、三菱重工業、三菱電機、旧東京都庁、出光興産、日本郵船、東京會舘(新築前)、旧丸ビル、旧新丸ビル、東京中央郵便局
あたりでしょうか。

なお、東京會舘については、辻村深月さんの「東京會舘とわたし」という著作に詳しく説明がなされています。

因みに、勤務先の会社が所在していたのは、2丁目の岸本ビルヂングで、
三菱地所所有。夏には屋上で、ビアパーティーが毎年実施され、大いに盛り上がっていました。

また、定期的に仲通りでは、「グランマルシェ」というイベントが開催され、美貌のコンパニオンらが大挙として現れるのですが、彼女たちに逆ナンされるという珍事もしばしばありました。
丸の内のエリートと結婚するのが夢と申しておりました。
かくいうわたしたちは、三菱関係ではないと申しても、「そんなのどうでもいいの。丸の内で働いているという事実があればそれでいい」という、
まったく根拠のない、いい加減な理由を述べる女性が多かったですね。

丸の内で勤務されている会社員は、エリートというイメージはおよそ間違えではなく、
アルバイトや派遣社員を除けば、最低でも、MARCH以上の高学歴。
役員さんや部課長クラスは東大と早慶が多数派。
女性もまた、それに準じたレベルでした。

ここで、働くには「学歴フィルター」を突破する必要性がありそうです。
全ての企業がそうとは限りませんが、少なくとも弊社ではそうでした。

それでは、個々にビルと企業を見ていきましょう。

丸の内一丁目

丸の内二丁目

丸の内三丁目

観光

名所・旧跡・商業施設


いかがでしたでしょうか。

丸の内で勤務したあとに、どこの地域へいけども、

「丸の内と比べると、ショボイ、ダサイ、威厳がないなぁ」と思いました。

もう、街としての風格や、権威がまるで違うのです。

さすがは、日本一、富が集中しているオフィス街です。

勤務する人間の質や、ザ・三菱ですよーーーー、みたいなハイソ感がよそには皆無なんですね。

渋谷、六本木、新宿、池袋、銀座、上野などのような、

ギラギラ感や成金感がまるでない。品格が違うんです。

中には、お上りさんとかもいますけど、田舎者ならわたしだって同類ですから、アッパー感を味わい人には、実に馴染みやすい街だと思います。

これは、余談ですが、丸の内で働いている、
もしくは、働いていた、という威力はスゴイですよ。

取引先にも、転職先でも、婚活でも、ドえらい武器になりました。

『丸の内ですか、スゲー!!』みたいな。

ブランディングするには、もってこいだと思いました。

丸の内勤務だから→一流大学出身ですよね?

丸の内勤務だから→一流企業ですよね?

丸の内勤務だから→高収入ですよね?

こんなことを勝手にイメージしてくれます。
どこへ行っても、そんなこと言われました。
経団連とか、自民党とか、東大ですら、
そんなこと言ってくるんですから、笑えるんですよ。

わたしのような、無能で取り柄のない人間にとっては、
コスパの良すぎる勤務地なのでした。。。







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