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第六話 春陽会というところ 1

 1922年に創立された春陽会という公募展団体に初めて5点出品して
「雪後」というタイトルをつけた水彩画が入選した。
40号(80×110㎝)3枚と20号2枚を出品した。
この会の良いところは、大きさにこだわらず小さい絵もよく見てくれること、油絵、水彩画、と区別せずに審査してくれることだ。

勢力のある公募展団体は大きさがモノを言う。大作主義がまかり通っている。毎年100号~150号以上の大きさを出品しなければ通用しないのだ。
150号(227×181㎝)の大きさを会員になるまで10年20年と毎年3枚以上は出品するのではないだろうか。会場では大きな絵に圧倒されるが、絵画愛好者との乖離を感じる。

私は会員に推挙されるまでの10年間、40号大の作品を4枚か5枚出品し続けた。30代で体力も気力も充実していたため継続できたが、絵を描くために中小企業の正社員の道を選んだため、10年の間には絵には専念できない、いろいろな支障や問題が発生した。
描くうえでも逡巡があり、常に迷いや疑問がわき、創作の苦しみを味わい尽くした。
けれども悪戦苦闘の10年が経過すると、何か光が射してくるものだ。
「会員になる」という目標と「会員になったらこうしたい」と未来に希望があったからだ。

初入選した時には中川一政も、版画家清宮質文も出品していなかったが、「春陽会」の体質を受け継ぐ会員作家たちの真摯な作画の心構えにずいぶん学んだ。春陽会の良識ある眼に厳しくさらされ、見守られ、成長できたことを心から感謝している。



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