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あなたがいなくても生きていけるけれど

3年ほど会ってなかった友達と遊ぶことになった。学校を卒業して数年間会ってないということは『学生の頃は仲良かったけど特に理由もなく疎遠になった友達』ということだ。かなり気まずい。 前日の夕方、3人のうち1人が来れなくなった。正直言ってその時点で(中止になるか、会っても微妙な空気になるだろうな)と思っていた。 疎遠になった友達と遊ぶのは小さじ程度の不安が付きまとう。変わってしまった友人と向き合うことは、美しき過去を穢されるとすら言えるからだ。 駅で落ち合い、再会のハグをして

    • 『同性の友達を気軽に誘えない』

      日記を書くのは苦手だ。日常にオチなんてないし、風呂敷の畳み方が分からない。 それでも思ったことをまとめないまま、散らかしたまま、書いてみようと思う。思考整理ではなく、思考の痕跡として。 『同性の友達を気軽に誘えない』 幼少期から社会への漠然とした不安と、私を受け入れない周囲を外から眺めるような感覚で過ごしてきた。 “私を受け入れない周囲” それは私の自意識世界で長年大事にされてきた確固たる認識だったが、事実としては周りから私への特別激しい忌避など存在しなかった。 結局

      • 幻聴が聞こえ始めてまるっと一年が経った

        1行目を書いている今は1月1日で本当にまるっと1年なのだが、果たしてあと20分ですべてを書き終わることが出来るだろうか。まあ信号も点滅していようが一歩でも踏み出しておけばセーフなんだから問題ないだろう。  幻聴が聞こえ始めてまるっと1年が経った、ということに1日が終わる20分前に気が付いた。 1年前は、外の世界に嫌気がさしていたわたしの鼓膜を破るように、おおきな音楽が鳴り響いていた。両手でふさいでも音量はちっとも変わらず、どれだけ叫んでもかき消すことはできなかった。その音

        • 【日記】2020.10.18

          残り僅かになった絵の具を、捻り出して、可能な限り水で薄めて絵を描いている。早く買いに行かなければと思うととても泣きたくなる。思うことが鬱なのであって、捻り出した絵の具は好きな色であるはずなのに、水で薄めるといつもと少し違っていて、その微かな濃淡さえも私が悲しくなる要素へと変わっていく。 溶け込ませることに必死になりすぎて、ほんとうに好きで居続ける努力を怠っていたかもしれない。すべてを愛そうとした結果、道標になるものを見失ってしまった。いつも終わってから気付くのだけど、わたし

        あなたがいなくても生きていけるけれど

          a.m.3:59

          友達との記憶が入ったSDカードを、取り出して、伸ばしたり引っ張ったりしてしばらく遊んでいるうちに、はて、これにはなにが入っていたのか思い出せなくなって、処分するか と折り曲げようとしたとき、店員さんから早くSDカードを挿入してくださいと声が掛かって、言われた通りにするために中を覗くと、もうそこには別のSDカードが刺さっていた。