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【片翼の蝶と白昼夢】第4章

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◆ 第4章

 昨日の『K255』との会話の中で、話さなかったことがある。
 小学校1年生の頃の話だ。あの頃は、私にも友達と呼べる人がいた。

 小1の終わりに、私はその友達を失った。
 失ったといっても、別に死んだとかそういうわけではなく、単に遠くへ引っ越しただけだ。
 だけど連絡する手段も持ちあわせていなかった当時の私にとっては、永遠の別れのように思えた。

 昼下がり、私は懐かしい夢を見た。
 それは小学校1年生の頃の、友達との思い出だった。

  *

 幼稚園から小学校に上がって、私が感じた大きな変化は、名前で呼ばれなくなった、ということだ。
 先生はたいてい、私たちを名字で呼んでくる。それだからかクラスメイトも、私のことを名字で呼んだ。

「へぇ。君、僕と同じ名前なんだね」
 そんな中で、同じクラスの彼だけは私のことを名前で呼んだ。
 自分と同じ名前で、女子にしては珍しい名前だからか、彼は私に興味をもったようだった。
 私も、自分と同じ名前の彼に親近感を抱いた。
 ほかのクラスメイトや先生たちに感じていた壁を、彼には感じなかった。

  *

 私にとって彼は、ほかのみんなとは違っていた。
 名前で呼び合うこともそうだけど、もう一つ、見た目で明らかに、私ともほかの人とも異なるところがあった。
 彼の右腕には、人間のものではない腕がつけられていた。
「その手どうしたの?」と訊くと、彼はこう答えた。
「交通事故でね。肘から下を切ったんだ。これは義手っていうんだよ」
「事故」とか「切った」とか聞いて、私は怖くなった。話には聞いたことがあるけど、どれくらい痛い思いをしたんだろう。
 しかしそんな私をよそに、彼は右腕を見せながら平然と続けた。
「でも病院で手術したらすぐ治った。今は義手があれば何の問題もなく生活できるよ」
 右手を握ったり開いたりする彼の表情は、どこか退屈そうに見えた。

  *

 ある夏の日のことだった。
 彼がしゃがみこんで、地面を見つめていた。
 気になって覗き込んでみると、彼はしきりに「がんばれ、がんばれ」と言っているようだった。
 彼の足もとには、一羽のアゲハ蝶がいた。
 よく見ると、左の翼はちゃんとした羽の形をしているのに、右の翼は歪な形をしていた。左の翼より、明らかに小さかった。
「こいつ、翼が片方しかないんだ。だけど必死に飛ぼうとしてた。だから今、がんばれって声をかけてた」
 右の翼がないアゲハ蝶に、彼は右手がない自分の姿を重ねたのかもしれない。優しいんだな、と思いながら、私は彼の隣にしゃがみこんだ。
 アゲハ蝶はひくひくと、体を震わせているように見えた。
「飛べるよ。がんばれ」
 彼がエールを送る。私も真似して声をかけてみた。
「がんばれ。がんばれ」
 私たちの言葉が通じたのか、やがてアゲハ蝶はよろよろと、ふらつきながらも低く飛んだ。
 綺麗に舞う蝶のイメージとはかけ離れてなんとも心許なかったけど、それでもたしかに飛んでいた。
 不格好に羽ばたくアゲハ蝶を目で追いながら、彼は立ち上がった。
「知ってる? アゲハ蝶って2週間くらいしか生きられないらしいよ」
 知らなかった。「そうなんだ」と、素直に答えた。
「それなのに羽が千切れて、飛べなくて。でも、ちょうちょたちは短い命を懸命に生きてる」
「うん……」
 彼の横顔は、いつもよりずっと大人びて見えた。
 顔を見ているのが気恥ずかしくなって、私は彼の向ける視線の先に目を向けた。
「あのちょうちょを見たら僕さ、生命力の強さというか、命の輝きみたいなのを感じた。すごくいいよね、ああいうの」
 難しいことを言ってるな、と私は思った。ときどき彼は、私の頭では理解できないことを話す。
 そしてそんな彼を見ていると、私は彼にも置いていかれるんじゃないかと、ほんの少しだけ、不安になる。
「ちょうちょは未だにほんの数日しか生きられないんだよね。……人間は何年でも生きられる時代になったのに」
 手についた鱗粉を払いながら彼は言った。

  *

 彼とは毎日のように遊んだ。
 当時の私は彼としか遊ぼうと思わなかったし、彼くらいしか私と遊びたいと思う人もいなかったようだ。
 だから、小1の終わり、彼が転校すると聞いたときは、一晩中泣いた。次の日からは1週間くらいずっとふてくされていたと思う。

 引っ越しの日も、彼は私に会いに来てくれた。大きな荷物を抱えながら、彼は泣きじゃくる私に別れを告げた。
「じゃあね、つばさちゃん」
 ツバサくんは笑って、義手の右手を振った。
 私は、めちゃくちゃに溢れ出る感情に押しつぶされそうで、彼の名前を呼び返すことができなかった。

 私が『イモムシ』と呼ばれるようになったのは、その数カ月後の話だ。

  *

 あれから11年。
 私のことを名前で呼んでくれる人は、ツバサくん以外にはいなかった。
 私に友達ができなかったのは、ツバサくん以外とのつき合い方をろくに覚えようとしなかったからだけではない。きっとそれ以上に、別れの悲しみをもう経験したくなかったからだ。
 ツバサくんがどうしているのかは、今でもわからない。

  *

 目が覚めた。
 ここは『自殺幇助推進組合』の施設の図書室。本を読みながらうたた寝をしていたようだ。
 ──あと三日で、私は死ぬ。

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