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あの人と、あの場所と、交流の輪を創りたい。JTB、公式noteを開設しました。

こんにちは!JTB公式noteです。

最近、多くの企業がnoteをスタートさせていると耳にしますが、私たちJTBもこのたび、noteを始めることになりました。
さっそく開設した理由や、編集部の意気込みを語りたいところなのですが、まずはクイズを一つ。

 「JTB」って、何の頭文字をとっているかご存知ですか?



さて、その答えあわせもかねて、まずは少しだけ、JTBの歴史についてお読みいただけると嬉しいです。

 

JTBの歴史

JTBの前身である「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」が誕生したのは、明治の終わり。いまから111年前、1912年までさかのぼります。

ビューロー創設時の記念写真、時代を感じますね・・・!

当時は、外国人を観光客として日本に誘致することで、日本文化への理解促進や外貨獲得による国家繁栄を実現するという「外客誘致論」が提唱されていた時代。その担い手として産声を上げたのが、ジャパン・ツーリスト・ビューローでした。(以下本文では「ビューロー」)

さっそく神戸、下関、横浜や長崎などから案内所を設立し、大正前半には海外の主要都市にも案内所網や支部をはりめぐらせていきます。特に長崎案内所は、上海や香港から長崎へ避暑に来る外国人が多くいたため、披露状を2,000通も出すほど活況でした。

「汽車時刻表」は今年でなんと98歳!
根強いファンの皆さまのおかげで超ロングセラーとなっています。

1925年には、のちのJTB時刻表となる「汽車時間表」を創刊。国内のお客様への鉄道切符の販売を皮切りに、さまざまな切符や小切手などの取り扱いを開始しました。いわゆる「切符(交通)や宿泊券の代売」が、事業の中心となっていきます。

「命のビザ」を持ったユダヤ人の斡旋ルート。

 やがて世界は第二次世界大戦へ突入。ビューローはナチスの迫害から逃れようとしたユダヤ人の移動を支援することになりました。当時、駐リトアニア領事代理であった杉原千畝氏が「命のビザ」を発行したことは有名ですが、そのときビューローでは、ウラジオストク~日本への船の手配や添乗員の役割を担っていたのです。当時の時代背景から様々な問題も懸念されましたが、数千人の命をつないだエピソードとして、いまも語り継がれています。

その後、ふたつの大戦を挟んで組織を変えながら、1963年には「株式会社日本交通公社」へ改称。(このときに英文名称も「Japan Tourist bureau」から「Japan Travel Bureau」となりました!※冒頭のクイズの正解はこちらです!)

1964年には、東京オリンピックに多くの外国人が訪れることを見越した、訪日外国人向け商品「サンライズツアー」の運行を開始。
さらに1990年代にかけては、パッケージ旅行が主流になり、今も多くのお客様にご参加いただいている私たちのパッケージツアー、海外旅行の「ルックJTB」、国内旅行の「エースJTB」が生まれました。個人のお客様の旅行はもちろん、修学旅行の浸透など旅行の裾野を広げ、ツーリズム産業が大きく発展した時代です。

「エース」や「ルック」の名前は知らなくても、
JTBの店頭でこんなパンフレットを目にしたことのある方は多いのでは。

 そして2000年代以降、「旅行」の枠にとどまらず、お客様の満足や法人の課題解決につながる幅広い商品やサービスの提供を開始。事業ドメインからも「旅行」ということばはなくなり、「交流創造事業」へ変わりました。

また、経営理念は「地球を舞台に、人々の交流を創造し、平和で心豊かな社会の実現に貢献する。」とし、お客様と約束することとして、以下のブランド・プロミスを設定しています。

・私たちは、地球を舞台に自然、文化、歴史とのふれあいや人々の交流を創造し、お客様にとっての感動や喜びと成果の実現を追求します。
・私たちは、お客様と共に歩んできた100年を大切にし、これからも「価値ある出会い」を創造し続け、サステナブルな社会の発展に貢献します。

―― JTBグループ 「ブランド・プロミス」

2023年4月からは、「交流を創造し挑戦し続ける、多様性あふれるダイナミックなブランド」へ進化することを目指し、リブランディングを始動。赤のイメージが強かったJTBですが、ロゴは単色表示となり、背景は12色となりました。これらの色は、JTBが大切にしている大地や自然など地球が創り出す色からとったもので、多様性や可能性を表現しています。

12色で表す多様性と可能性。皆さんはどれがお好きですか?

なお余談ですが、リブランディングにともない、社員は名刺の色を、これらの12色から選べるようになりました。どれを選んだか、なぜそれを選んだのか・・・で盛り上がったり、社外のお客様との会話のきっかけになっています。

 で、結局JTBってどんな会社なの?

と、だいぶ長々と語ってしまいましたが、実はこの歴史のとおり、私たちは決して旅行「だけ」に関わってきた会社ではないんです。人々の移動や交流を創り、支え、人、場所、モノ、コトをつないできた会社なのです。そのことを知っていただきたくて、noteをはじめたといっても過言ではありません。

 以下は、先日、社長の山北が社員に向けて語ったものです。

「私たちはモノを作る会社ではない。ストーリー、そして感動を創る会社である。」

「JTBは旅行代理店ですか」という問いを受けることがあります。
我々はずっと以前から旅行代理店という看板は捨て、「交流創造事業」を行うソリューションカンパニーであると言っています。しかしながら、旅で言うと飛行機や鉄道を走らせているわけでもなく、宿泊施設を運営しているわけでもなく、もちろんそれらの事業パートナーとともに旅を創る会社であるという意味では中間事業者であることには変わりありません。
例えば航空券を代わりに売っているという事実だけを捉えると、誰かの代理でモノを売る「代理店」ですが、私たちのビジネスの目的はそこにはありません。
私たちが目指すのは旅や交流をとおして、個人、法人など全ての旅をするお客様と、旅人を迎えるデスティネーション、そして法人や地域に対して、それぞれの課題に向き合い価値を創り出していくことです。
だから私たちは、人、企業、行政、学校、組織を「つなげる」。モノ、コト、情報、時間、場所を「つなぐ」仕事をします。モノを作るわけではなく、代わりに売るわけでもない。お客様の課題解決、目的達成、そして未来に「つなげる」ストーリーをつくり実行する会社なのです。そしてただ単に「つなぐ」だけでなく、様々なことを「つなげ」感動を生み出すのです。

私たちはnoteを通じて、この「交流」を創り出す会社としての「JTB」を、もっと皆さんに知ってほしいと思っています。「旅」のプロだからこそお届けできる情報はもちろんですが、JTBグループの新しい挑戦や、葛藤する社員の素顔、海のむこうで奮闘する姿など、このnoteでめいっぱいお伝えしていきたいと思っています。 

そして、もう一つ、私たちからお願いがあります。ぜひ皆さんの「交流」に関するエピソードや思い出も教えてください。私たちは交流が、相互理解につながり、相互理解がひいては世界平和につながると本気で信じています。だから交流の魅力を伝えたいし、相互理解の輪を広げたい。できれば一緒に発信してほしい。皆さんの感動のそばに、いつもいたい。そんなふうに思っています。

至らぬところも多々あるかもしれませんが、一緒に「交流の輪」を創っていただけると嬉しいです。これからどうぞよろしくお願い致します。

JTB公式note編集部

今日8月30日は「冒険家の日」。1965年に同志社大学の遠征隊がアマゾン川源流からのボート下りを成功させたほか、1970年には冒険家の植村直己がマッキンリー単独登頂成功し、世界初となる五大陸最高峰制覇。そして1989年には海洋冒険家の堀江謙一が、世界最小の外洋ヨットで太平洋単独横断に成功しています。
皆さんも、世界を冒険してみませんか。


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