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世界を再構築するってどういうこと?― エンジニアのための「隠喩としての建築」読解with GPT4o

【前回より】
本稿は、新人バックエンドエンジニアが柄谷行人さんの「隠喩としての建築」(講談社学術文庫)の難解な文章をGPTに助けてもらいながら読み解き、未来に必要なものづくりのヒントを探っていく記事です。
今回は「隠喩としての建築」26ページからつづきを読んでいきます。
出来上がった物を見たときに誰にでも起こる「誰がこれを作ったのだろう?」という素朴な問いの向こう側にいくことの提案がなされます。

あなた:
「ヴァレリーは言っている。
”私はこの拾いもの(貝殻)を生まれて初めて 眺める。私はその形について すでに述べたような事柄を認め 当惑する。そこで私は自ら問う一体誰がこれを作ったのか、と。
一体誰がこれを作ったのか、と素朴な精神は私に問う。私の精神の最初の動きは作るということに思いをいたすことであった。

作るという観念は、最初の、最も人間的な観念である。「説明する」ということは 作る 1つの方法を述べること以外の何者でもない。すなわち それは 思考によって作り直すことに他ならないのである。この観念の要求するものに他ならぬ、なぜ 及び いかにしてという問いはことごとに割り込んできて 何を置いてもこれに満足な答えを与えよ と命ずるのだ。形而上学と 科学のなすところは この要求を無際限に発展させること以外のものではない。”( 「人と貝殻」 )

だがこの問いに「答えて」はならない。
「誰が作ったのか」という問いは、「作る」という視点が必然的に要請する見せかけの問い だからである。
たとえば ヘーゲル にとって あるものを知るということはそれを自覚したり 概念と結びつけたりすることではなくて それを 思考によって作り直すことに他ならなかった それゆえに ヘーゲルの言う「精神」は心理的な「意識」や 認識論的な「主観」とは区別されねばならない。ヘーゲルは決してこの世界が 思考の産物だと考えたわけではない。彼にとって、精神とは「建築への意志」そのものであり、したがってそれは西洋においてのみ 覚醒してきたと考えられたのであり、『精神現象学』は「意識の経験」というよりもそのような「建築への意志」としての精神の決断に他ならない。その意味でよく指摘されるように、『精神現象学』は 永劫回帰的であって決して 根拠をもちえない 精神の絶対的 な肯定なのである。

ChatGPT:
この部分は非常に興味深いですね。ヴァレリーの「人と貝殻」からの引用を通じて、「作る」という行為に対する深い哲学的考察が展開されています。いくつかのポイントを整理しながら解説してみます。

1. 「作る」という観点と説明の本質

  • ヴァレリーは「作る」という行為を、人間の最も根本的な観念として捉えています。貝殻を目の前にして「誰がこれを作ったのか?」と問う行為は、人間の思考が「作る」という視点に根ざしていることを示しています。

  • 彼にとって「説明する」とは、ただ情報を与えることではなく、思考によって何かを「再構築」すること、つまり「作り直す」ことに他ならないと言っています。この点は、科学や哲学が世界を理解する際の根底にある「作る」というメカニズムを示唆しています。

2. ヘーゲルとの関連

  • ヘーゲル哲学では、「知る」ということは単なる認識ではなく、対象を概念的に「作り直す」こと、つまり思考の中で再構成することと捉えられます。

  • この「作る」意志は、単なる心理的な意識や主観的な認識ではなく、世界を形成し理解するための根源的な活動である、とされています。

3. 建築への意志と精神

  • ヴァレリーとヘーゲルの考えをつなぐ重要なテーマは「建築への意志」です。ここでの「建築」は、物理的な建造物という意味を超え、概念的・思想的な構築を指しています。

  • ヘーゲルの「精神現象学」は、精神がこの「建築」の意志として現れる過程を描いたものと解釈されています。この精神は単なる主観的経験ではなく、自己の内から世界を構築し、絶対的な存在を肯定する決断の連続として理解されます。

4. 「問いに答えてはならない」とは?

  • 「誰が作ったのか」という問いは、一見すると意味深いものですが、ヴァレリーはそれを「みせかけの問い」と見なします。つまり、この問い自体が私たちを誤った方向へ導く可能性があるということです。

  • ヴァレリーにとって重要なのは、問いに答えることではなく、問いを通じて思考を動かし、世界を「再構築」する行為そのものなのです。

考察と結びつけ

この引用部分は、単に「知る」ことではなく、主体的に「作り出す」行為の重要性を強調していると感じられます。また、この「作る」という行為が哲学や科学の根本にあるだけでなく、システム開発やDXの文脈にも応用できそうです。現代における「建築への意志」は、単なる技術的な構築ではなく、社会の複雑性に対応した新たな価値観やシステムの創造に向かうべきだというヒントを提供しているようにも思えます。
何か補足が必要な部分や、さらに深く掘り下げたいポイントがあれば教えてください!

(続く)

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