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イスラエルに反対するユダヤ教徒に直接会って話を聞いた。ネトゥレイ・カルタ2016年インタビュー(前半)


※長文に及ぶため、前半と後半に分けました。

タイムズスクエアからNYの田舎へ

2016年に遡る。当時、大学院に在籍していた私は、調査でアメリカ、ニューヨークに来ていた。お世話になっているゼミの先輩の提案で、「ネトゥレイ・カルタ」という正統派ユダヤ教徒のグループに話を聞きに行くことになった。

年末カウントダウンなどで有名なタイムズ・スクエアがあるのは、マンハッタン。そこから、4時間列車に揺られてニューヨーク郊外へ向かった。
大きな荷物を抱えて帰省する人々の中に埋もれ、終着駅で下車した。

静かな住宅街にある、アメリカらしい大きな一軒家。インターホンを鳴らすと、黒のスーツに黒の帽子をかぶったラビ(ユダヤ教の指導者)が現れた。

東欧のユダヤ教徒の伝統料理 ラトケ

リーダーラビが来るのを待つ間、奥さんが、潰したジャガイモを揚げ焼きにした伝統料理と、フルーツなどを出してくれた。

いよいよリーダーのラビが到着した。部屋に入るなりすぐさま、彼はパレスチナ連帯の「ハッタ」を首にかけた。お世話係のメンバーが彼の言葉を収めるためにカメラを回し出した。

ネトゥレイ・カルタとは?

「シオニズムは政治運動、ユダヤ教は宗教」
「シオニズムとユダヤ教は正反対のものである」

上のようなスローガンを掲げて、街頭デモに参加するユダヤ教徒がいる。
手にはパレスチナの旗を持っている。

彼らはユダヤ教の立場から、ユダヤ教の律法(トーラー)の教えに矛盾するシオニズム思想と、それに基づくイスラエル国家の存在を真っ向否定している。

パレスチナ問題が話されるときに、「アラブ対ユダヤ」またはイスラム教とユダヤ教の「宗教対立」などと説明されることがよくあるが、それでは彼らの存在を説明することができない。

ネトゥレイ・カルタの多くは、アメリカやイギリスに拠点があるが、実際、聖地エルサレムには数世紀にわたり多くの同胞が異教徒とともに暮らしてきた。シオニズム運動の台頭とともに、ユダヤ教内でどのような変化が起こったのか、そもそもユダヤ教とは何か、ユダヤ教の「選民思想」とはどう理解されるべきなのかなど、ネトゥレイ・カルタのラビ2人に伺った。

話し手の紹介①ラビ・ベック

ラビ・ドーヴ・モシェ・ベック(Rabbi Dov Mosh Beck):ハンガリー、ブダペスト出身。ナチス台頭以降、独ソ戦によるソ連勝利まで、ハンガリーに身を潜めて暮らしたが、1948年、建国後のイスラエルに移住。1950年代後期にネトゥレイ・カルタに参加。その後、敬愛する師ラビ・タイテルボイムの助言により、1970年代にニューヨークに移り、ネトゥレイカルタ・アメリカの中心的リーダーとなる。

話し手の紹介②ラビ・ウェイス

ラビ・イスロエル・ウェイス(Rabbi Yisroel Weiss):ニューヨーク出身。ネトゥレイ・カルタの中でも特に精力的な反シオニズム活動を行い、世界中のムスリムコミュニティを訪問している。

翻訳にあたり

※インタビューは、2016年にニューヨークで行った。
※ラビ・ベックの会話はラビ・ウェイスがイディッシュ語から英訳し、その後筆者が和訳した。
※表記方法:英語の「Jew(Jewish)」は日本語で「ユダヤ教徒(の)/人(の)」を意味する。正統派ユダヤ教の彼らは、ユダヤ教徒(字義通りユダヤ教を信仰する者)の立場から、”民族としてのユダヤ人”を否定するのだが、ラビ・ベックは、「Jew」の定義をユダヤ人の母を持つ血縁者と、ユダヤ教への改宗者の両方から説明している。ラビ・ウェイスにおいては、会話中で「非信仰的なユダヤ人」という表現も用いているところから、文脈によっては「ユダヤ教徒」と「ユダヤ人」はほぼ同義で使われている。そのため、翻訳にあたり、シオニストが創造した国民国家の概念に繋がる「民族としてのユダヤ教徒/人」を「ユダヤ民族」と記して、区別している。


ラビ・ベックのはなし

ユダヤ教とは?

3000年前、ユダヤ教徒は神に選ばれました。神はモーゼを介して私たちにトーラーを与えました。ユダヤ人と世界の人々との違いは、私たちがトーラーの教えを受け入れ、神を信仰しているという点です。ユダヤ人の母に生まれた者はユダヤ人の地位を相続しますが、神との契約を受けいれた者[ユダヤ教への改宗者]は誰であろうとユダヤ人です。

また、特別な戒律があります。私たちはすべての者を愛し、友となり、親切を忘れず、救済せねばなりません。もしユダヤ人が神との契約を遵守しない場合、彼/彼女はユダヤ教から除外されます

神との契約以来3000年間、ユダヤ教徒は自分たちの生活、規則、所有物、すべての価値を神に委ね、神との戒律を守り続けてきました。私たちは神の起こす奇跡を通してのみ、土地を手にすることができます。トーラーの法を順守しない者は、聖地の土地の外に追放されます。

神は、私たちを聖地から追放し、聖地への帰還を試みてはならないという厳しい誓約を課しました。個人として、その場を訪れることが許されていても、集団運動としての行いは、罰を受けることになります。

神が私たちを聖地に帰すという預言は、人間のいかなる介入もなしに実現されるべきものです。この時、神の栄光は世界中にいきわたり、すべての人々が救われます。ユダヤ教徒はこのことを全面的に信じていて、すべての人々が、ユダヤ教徒か、あるいは、同じひとつの神を信じる人となることを、静かに待望し、祈っています。私たちユダヤ教徒が遵守しているトーラーには、諸々の民が神への信仰を受け入れるようになると書かれているからです。

ユダヤ教の「選民思想」とは?

今ラビ・ウェイスと世界中の人々とユダヤ教徒との違いを話していました。神との契約が何を義務付けているのか。私たちにはいわゆる、「選民」という考え方があります。これは、私たちが、パナソー[罪の償いのための行動]を受け入れたという意味です。つまり、一日24時間、すべての行動において神に奉仕するということです。この契約を受けいれることがユダヤ教の核です。世界中のすべての人々が神に仕える者という点では同じですが、この核に従う必要はありません。

「神に抵抗する」シオニズム

では、シオニズムとは何かついてお話します。
シオニズムは、およそ100年前に生まれました。この運動とイデオロギーの創始者は、神に抵抗する異端的存在でした。

シオニズムとは、新しいタイプのユダヤ民族を生み出す闘争に、人々を駆り立てるための計画です。シオニストは、トーラーの戒律や、何がユダヤ教徒を意味するかの思考過程における規定と行動、これらすべてを投げ捨て、次世代に誇示しました。ユダヤ教はもはや障害ではない、我々は自らの道に立っているのだ、と。

この新たな民族概念は問題となりました。ユダヤ教の偉大な指導者たちは、シオニズム運動の創始期に、この運動から多大な苦しみを被るであろうと予言しました。この苦しみが意味するのは、ユダヤ教の慣習にシオニズムの文化が注がれること、そしてもちろんトーラーを棄て去ろうとすることです。いずれの場合も多いなる悲劇です。

シオニズムとは、ユダヤ人は[神、戒律からの解放によって]自己充足的な存在となって団結すべきであるという運動であり、自らの土地に自己を確立しようとするイデオロギーです。

トーラーの根本的な教えは、神と、トーラーの戒律を守ることで、自らが仕える英雄を勝手に生み出してはなりません。私たちは、神によって生み出された追放状態を受け入れますが、シオニズムは、この信仰を放棄しました。彼らの思考回路にある、神への抵抗の姿勢ゆえに、ユダヤ教の多くの指導者がシオニズムに反対したのです。

シオニストが用いた2つのトリック

悲しいことに、一部のラビたちは、シオニストの新しい思考を受け入れ、吸収し、自己充足的な存在を目指し、追放の概念を放棄しました。上のようなラビたちの存在によって、シオニストたちは世界中のユダヤ人共同体に到達できたのです。

じつは、新しい国家建設の計画を進める際に、そこが聖地であるかどうかは、シオニストにとって対して重要ではありませんでした。しかし、シオニストは、パレスチナへのユダヤ人の集団送還が、世界中のユダヤ人からの後援なしには不可能であると自覚していました

そして[動員のために]ユダヤ教の基本的な教えから、2つのトリックを用いたのです。
一つ目は、ユダヤ人と聖地パレスチナとの密接な関係についてです。
[シオニストが入植する以前から]実際にその場に向かった者は少なかったにもかかわらずです。
二つ目は、私たちがいつか神の奇跡によって生じると信じる、「贖罪」(しょくざい)の概念の使用です。シオニストは、「彼らの運動こそが、まさにトーラーに言及された贖罪である」と主張し始めました。
これら二つのトリックはうまく機能し、ユダヤ人の多くを困惑させました。彼らが設立した基金には、支援者が集まりました。人権、慈悲心という言葉に惑わされた、信心深い人々はシオニズムを受け入れました。しかし真の指導者を欠いた、その脆い民族は、言うまでもなくパレスチナ人の何世紀にもわたる生活の犠牲の上にあるのです。 

ラビ・ウェイスのはなし

シオニズムによって生じる2つの問題

ラビ・ベックがお話した通り、シオニズムとはユダヤ教と根本的に矛盾する概念です。
今日、シオニズムを抱えることによって生じる問題が二つあります。
第一に、彼らはイスラエルにおいて正当性と主権を勝ち取るため、ユダヤ教やユダヤ教徒のアイデンティティを偽って使用しています。自分たちの世界を形にするという、本来神のみに与えられた任務を我々は担っているのだと言わんばかりに。
第二の問題は、容赦のない暴力です。このシオニスト国家は基本的人権を無視しています。私はイスラエルの公的機関―警察、政府、軍隊―について話しているのです。例えばエルサレムでデモを行うと、私たちのメンバーは暴力の対象にされます。

シオニスト、反シオニスト、それぞれの宗教共同体

私たちの宗教共同体の中核、代表を担っているエーダ・ハレーディトという組織があります。私たちのコーシャー(ユダヤ教の食事規定)や婚姻の決まりは、現在もエーダ・ハレーディトに委ねられています。
エーダ・ハレーディトの名前の由来は、Edah=共同体(community)、Chreidis=神を怖れる、で「神を怖れる共同体」という意味です。

エーダ・ハレーディトが結成された一世紀以上前、事実ユダヤ人共同体の全体が、反シオニズムの態度をとっていました。つまり、シオニズムを自然に受け入れることはなかったのです。

しかし、シオニズムの登場により、私たちは宗教、共同体、ユダヤ人共同体にとっての脅威を認識することになりました。対シオニズムを宣誓し始めたとき、ネトゥレイ・カルタはシオニズム運動への抵抗を明確に表明する組織となりました。

他方、シオニストたちは、エーダ・ハレーディトとは別に、ラビ最高評議会(Rabbinate)をつくりました。その最高指導者は、自らのスローガンを実現するために、ユダヤ教という名でうわべを飾っているだけです。

聖地にはそこで暮らすエーダ・ハレーディト、そしてシオニストがいるのです

活動家としてのネトゥレイ・カルタ

デモの様子をみると、ネトゥレイ・カルタとエーダ・ハレーディトが共同していることが分かるでしょう。メンバーは実際のところ互いに属する者で重複しています。イデオロギーにおいて、トーラーとその教えを遵守している点で、私たちは同じ考えを共有しており、違いはありません。

ただし、エーダ・ハレーディトの全員がネトゥレイ・カルタの活動を同様に実行したいと考えているわけではありません。メンバーの中には、パレスチナ人とのデモ行進に不安を感じている者がいることもまた事実です。その不安の大半はシオニストによって宣伝され続ける強力なプロパガンダに起因します。パレスチナの人々は私たちが彼らの苦しみに共感していることを知っています。[私たちが自らデモに参加することで]ユダヤ教に対する凝り固まった嫌悪を取り除くことができます。パレスチナ人にとって、ユダヤ人は皆、シオニストを支援しているように見えるでしょう。しかし、彼らと行進することで、むしろユダヤ人は、自分たちの身を守ることになるのです。信仰心が深いほど、より反シオニズムの共同体なのです。これは国境を越え、どこに行こうが、真実です。

シオニストの影響力

デモ参加によって、身体への危害だけでなく、様々な形で攻撃を受けます。デモ中、シオニストは写真を撮って回ります。例えば、特定の会社や法人に勤める参加者を認知するとします。会社は物を売り、顧客を持ちます。シオニストは顧客に直に電話し、不買活動を訴えるのです。そのため、職をもつメンバーにとっては多くのプレッシャーがのしかかります。誰もその影響力を咎めることができないのです。

例えば、AIPAC(アメリカ・イスラエル公共問題委員会)は、政治家にプレッシャーをかけます。AIPACの構成員数は多くはありませんが、影響力は絶大です。権力を集中させることによって、政治家は皆理由を付けて優遇しようとします。彼らに反対しようものなら政治生命を絶つことになるからです。

メディアも例外ではありません。パレスチナ人に共鳴したメディアは即座に攻撃されます。[メディアの態度に]反ユダヤ主義なるものを主張し、あなたを、宗教に不寛容な人種主義者だと訴える、、、極端な中傷です。多くの人、メディアが威嚇を恐れ、率直な意見を控えています。

シオニストは、様々な場面で、自分たちがユダヤ人を救済した努力を繰り返し述べます。自分たちの助けがなければより多くのユダヤ人が死ぬことになっただろう、と。これについては、『シオニズムへのトーラーの伝統的抵抗』(Traditional Torah Opposition to Zionism)という本があります。ハードコピーを持っていたのですが、今は予備がありません。イランから帰ってきたばかりで…

ムスリムコミュニティを訪ねる意味

―――イランをよく訪問されるのですか。
 
よく行くわけではないですが、すでに数回滞在しています。私たちはムスリムの国々を訪問し、いくつかのことをなそうとしています。
一つ目に私たちは声明を出します。これによって、世界中の人々は、私たちが多くのムスリム指導者たちと共闘していることを目の当たりにするでしょう。彼らに、シオニストたちが、紛争をユダヤ教徒とムスリム間の宗教的な争いとして描きだそうとしていることを理解してほしいのです。

特に欧米社会で肥大化した物語には、ユダヤ教のみならず、キリスト教にも換言される、「我々」対「ムスリム」という見方が支援されています。
しかし、ラビ・ベックの述べた通り、ユダヤ教徒は、異教徒たちと一つ同じ庭に何世紀にもわたり、暮らしてきました。そこでは[一方の優遇や攻撃によって生じる]「人権」や「保護」、宗教の違いが重大な問題になることはありませんでした。

また、ムスリムの国々には多くのユダヤ教徒が住まい、イランには、2000年以上もコミュニティが存在しています。私は彼らがムスリムなど異教徒の法律にぶつかったことがないと言っているのではありません。ヨーロッパでは、より深刻な状況がありました。しかし、一般的に、ムスリムの国々で、人々は受け入れられ、住まいを見つけ、シナゴーグやセメタリーを築き、繁栄を遂げてきました。

「シオニストの父たち」の理想の国家

シオニストたちは、異国の地にあって、ユダヤ人は、居心地が悪いのだという論調を生み出してきました。つい最近でも、ネタニヤフは、[シャルリエブド事件後に]フランスのユダヤ人に呼びかけています。[イスラエルの外にあるユダヤ人コミュニティで反ユダヤ主義の風潮が高まることは]シオニストにとって“Win-win”な状況です。しかし、程度はあれ、シオニストの傘下にあるフランスのユダヤ人でさえも、その言説を受け入れたいとは思いませんでした。

シオニストによって書かれたたくさんの文章があります。彼らの表現は、「一頭の牛は、ヨーロッパのすべてのユダヤ人よりも価値がある」というものです。彼らはユダヤ人を救うために資金を無駄にはしたくなかったのです。

イスラエル初代大統領、ハイム・ヴァイツマンはこのような発言をしました。「パレスチナは、ヨーロッパのすべてのユダヤ人を吸収することはできない」これはナチ台頭の頃です。

「我々は唯一”ベストな者”だけに来てほしい。 その[イシューブの]文化を発展させるという目的のために、“教育を受けた者のみ”が入国すべきである」

彼らは私のようなユダヤ教徒、つまりトーラー学習者の受け入れを好ましく思っていなかったのです。教育を受けた者とは「弁護士や医者などの世俗的文化を携えた教養ある者たちである。他の者はその場にとどまってヨーロッパの現実に直面すべきなのだ。この何百万のユダヤ人は歴史の歯車の塵であって、葬られねばならない。テル・アビブという街を新たな低レベルな人々のたまり場にする気はない。彼らは死すべきなのだ」と。

彼らの発言、そして宗教を信じるユダヤ教徒に向けられた嫌悪は計り知れないものです。

また、シオニズムの父の一人、ゼエブ・ジャボティンスキーは、1919年にこう述べました。

「我々が宣伝するナショナル・ホームにおいて、いつまでも離散状態に甘んじ、あご髭を剃ることを拒否するようなユダヤ人は、選挙権を与えられない二級市民になるだろう」。

ユダヤ教徒の服装をしたユダヤ人には、権利がないのです。彼らの行いは、全くの偽善です。ラビ・ベックが述べるように、彼らは新しいタイプのユダヤ教なのです。

ユダヤ人の「離散状態」とは?

私たちが聖地への帰還を願うのは、神を信じているからです。神はいつか追放状態を終わらせ、すべての人類は唯一の神を信じ、神は神殿を建てる。神殿の建設を担うのは我々ではなく、神自身です。

離散状態とは、私たちが土地を持たないという意味ではなく、私たちが方向性を見失っているという意味です。つまり、救世主や、ダビデ王とその子孫の概念とは、私たちが神に仕えねばならないということを意図しています。しかし、シオニストは、この概念を利用し、シオニズムこそが「贖罪の始まり」と主張するのです。

今では、何かれ問わずデモクラシーという言葉を使用し、誇らしげに性的マイノリティの権利や、宗教からの解放を宣伝しています。そして、反ユダヤ主義のレッテルを振りかざし、相手を怖気づかせるため、ユダヤ教を法人化し、自らのラビ集団と、ユダヤ民族をつくったのです。すべてのやり方がユダヤ教の教えに反しているにもかかわらず、外の世界では自らがユダヤ教の代表者であるというイメージを打ち出すのです。

(後半につづく)


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