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日韓W杯から20年 トルシエ監督が、当時の思い出と代表選考の本音を語る

ヨコハマ・フットボール映画祭2022は、日韓ワールドカップの開催(2002年)から20年を迎えたことを記念し、この大会でサッカー日本代表を率いたフィリップ・トルシエ氏をゲストに迎え、『サロン・ド・トルシエ言いたいこと全部言いますスペシャル』を実施した。イベントの進行は、「当時は小学6年生で、ワールドカップをテレビ観戦していた」という笹木かおり氏と、「日韓大会を取材していた」という宇都宮徹壱(写真家・ノンフィクションライター)氏が務めた。

笹木:まずは、20年前の横浜での思い出や、お集まりいただいた皆さんへのメッセージをお願い致します。

トルシエ:まずは今回の映画祭に招待してくださったことに感謝します。20年前、日本代表がワールドカップのロシア戦で初勝利をあげた横浜の地に、再び呼んでくださったことに対しては、感謝の思いしかありません。この勝利は、日本サッカーにとっても、私にとっても一生忘れられないものでした。

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笹木:まずは、トルシエさんがサッカー日本代表の監督に就任されたきっかけを教えていただきたいです。

トルシエ:日本サッカー協会が、私を選んでくださったこと。それが主な理由です。日本がワールドカップ初出場を果たした1998年、日本サッカー協会は、フランスの地で新たに自国の代表に迎え入れる監督を探していました。ご存じのように、フランス大会は自国開催のフランスが初優勝を勝ちとりましたが、その結果を踏まえた上で、「次期日本代表に、フランス人指揮官を迎え入れよう」と決断しました。なので、もし、98年大会でスペインが優勝していたならば、私が日本代表を率いることはなかったのではないかと思います。

笹木:歴史が変わっていたかもしれない…。

トルシエ:全くその通りです。私自身も、日本に来る未来を正直想像していませんでしたけども、日本代表を指揮して20年経った今、再びこの横浜にいられるのは、非常に幸運だなと思います。

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笹木:トルシエさんの指揮官就任の背景には、「ヴェンゲル監督のアドバイスや助言があったのでは…」という報道がありました。実際はどうだったのでしょうか?

トルシエ:私はアーセン・ヴェンゲル(以下、ヴェンゲル)と旧知の仲で、彼が名古屋グランパスを率いていた(1995年)頃から知っています。ご存じの通り、ヴェンゲルは日本で大きな成功を収めました。結果そのものも素晴らしかったですが、彼のフィロソフィーや哲学をチームに浸透させたという点でも、非常に評価されたのではないかと思っています。これは、私の予測ですけども。日本サッカー協会の責任者が、「トルシエを新監督として迎え入れるのはどうだろう?」とヴェンゲルに尋ね、彼が太鼓判を押してくれたんだと思っています。なので、もしヴェンゲルが名古屋に来ていなかったら、私が日本代表の監督になることもなかったことでしょう。だから、人のキャリア、人生というのは何があるかわからないですし、本当にちょっとしたことで変わるものです。僕が、特に若い人たちに伝えたいのは、事前にキャリアプラン色々準備することも大切ですが、なかなかそのような人生を描くことは出来ません。日々の生活で出くわす色々な出会いを、積極的に掴んでください。

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笹木:指揮官に就任する前の「日本のイメージ」は、どのようなものでしたか?

トルシエ:「全員が柔道着を着ている国ではない」ことが、実際に来てみるとわかったというくらい、来日したばかりの僕は日本のことをよく知りませんでした。でも、一方では、昔から日本に来ることを夢見ていたところもありました。なぜかというと、1964年の東京オリンピックで日の丸の映像が映し出される様子を、「非常に素晴らしいな」という思いで観ていたことがあったからです。その後、日本という素晴らしく偉大な国の指揮官としてチームを率いることができたのは、私にとっても非常に名誉なことであり、今でも誇りに思っています。

笹木:実際に日本代表チームを率いた印象は?

トルシエ:非常に規律がしっかりしていて、組織力が高い。他人の意見を聞く力があることも感じさせられました。監督をしていた頃の私が、メンバー選考で重要にしていたのが「グループを大事にできるかどうか」という点でした。当時の私は、幸運のことにフル代表、オリンピック代表、そして20歳以下の代表という3つのカテゴリーを指揮させてもらいましたが、これらの統括を任されていたのは非常に良かったと思います。日本代表チームの目標は、2002年に自国で開催されるワールドカップに挑むチームを作ることでしたが、当時の私にとってのアドバンテージが、代表でプレーするほぼすべての選手が、日本国内のクラブでプレーしていたことです。Jリーグの所属選手は、FIFAの規則に影響をあまり受けずに済み、招集へのハードルもそれほど高くなかった。毎日のように選手を集め、一緒に練習することができた点はとても良かったです。リーグと話し合いながら、練習スケジュールを組むことができましたし、1年間に大体100人くらいの選手を呼ぶことができたことも、チームの熟成につなげられたのではないかと思います。

笹木:当時の日本人選手に対する印象は?

トルシエ:当時の若手選手が持ち合わせている才能は、すぐにわかりました。1993年にJリーグが発足し、名だたる選手や監督が次々と日本にやってきて、選手も成長を遂げていったという点は、言うまでもありません。今も、変わらずにJリーグは選手を育てていますし、協会もちゃんと育成プログラムを作り、才能のある選手が出てくるような仕組みが整えられています。今では、多くの日本代表選手が外国でプレーしていますが、私が監督していた頃は、中田英寿、小野、稲本、高原くらいしかそれに該当しませんでした。その点も、今の日本代表との大きな違いです。

宇都宮:確かに、20年前の日本代表は、現在とは全く状況が異なっていました。ほぼJリーガーで構成されていましたし、「自国開催のW杯に挑む」と言う目標を持っていたことも大きかったように思いますね。

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サッカー大臣トルシエ解任

笹木:日韓ワールドカップを迎えられる前には、トルシエ監督の解任騒動もありましたが、ご自身ではどのように受け止めてらっしゃったのでしょうか。

トルシエ:当時の私は、監督以上の存在で、いわば“W杯開催国のサッカーの大臣”でした。ワールドカップの自国開催というのは、ただ単に11人の選手がピッチでプレーするだけではなく、世界中のサッカーコミュニティを、どのように迎え入れるかということも考えなければなりません。おもてなしするボランティアの教育、サッカーのスタジアムの整備、あとはピッチのクオリティやサポータを迎え入れるためのセキュリティ、そして移動するためのインフラも作らなくてはなりません。先ほど、私が自分のことを“サッカーの大臣”と表現したのは、日本代表の監督という立場でありながらも、日本のワールドカップの開催を成功に導くというプロジェクトに参加していたからでもあります。「衝突」による解任騒動と言われましたが、その根本は、私と日本サッカー界の「プロ同士の会話」を起因とするものです。チームの成績を伸ばすために選手は出したくないというチームと、選手をどんどん呼び寄せたい私の利害対立です。それは、当然のように起こりうるものではありましたが、メディアはちょっとした対立を見つけて、大きくする傾向があるので…。

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トルシエ:当時のフィリップ・トルシエは、ほとんど誰も知られていない無名監督でした。自国でのワールドカップ開催が決まったなか、私を監督に就任させてくれて、「トルシエジャパン」という風に名付けたのは、皆さんでもあるのです2000年に行われたキリンカップまでで、私の契約は一旦切れることになっていましたが、皆さんが「トルシエジャパン」と声を上げてくださったことで、延長していただけたのではないかと思っています。なので、ファンの皆さんのおかげであり、私が監督をしていているうえで能力を信じてくれたことには感謝しかありません。皆さんの声がなければ、私は退任していた可能性もありますから。

2002年メンバー選考の真実

笹木: 皆さんが気になっていることの一つに、中村俊輔(以下、中村)選手を、メンバーに選ばなかったということがあると思います。当時は、さまざまな理由がメディアでも報じられましたが、本当の理由はどこにあるのでしょうか?

トルシエ:まず皆さんに伝えたいのは、私も中村選手のことを、プレイヤーとしては非常に評価していますし、プレイのクオリティも高く、ワールドカップに出演するにふさわしい選手だと思っていました。実は、当時の中村選手は怪我をしていたんです。でも、そのようなコンディションでありながらも、私はワールドカップ直前合宿に中村選手を呼びました。ただ、3週間に及ぶ合宿の中で、中村選手はまったく練習に参加できない状態で。合宿期間中のレアルマドリードやノルウェーとの親善試合にも参加出来なかったこともあり、私は決断を迫られることになりました。結果として、プレーできない中村選手の代わりに、100%のコンディションを維持していた三都主アレサンドロ選手(以下、三都主)を、中村選手の代わりに選びました。「プレーできる選手を選ぶ」という、私にとっては簡単な決断でした。私にとっても、本当に残念でしたけど、20年経った今でも、「なぜ、中村選手を外したの?」と聞かれることは多いです。

笹木:皆さん、今日でこの件は終わりにしましょうね。その一方で、秋田豊選手や、中山雅史選手などのベテランを、直前に招集した理由も教えてください。

トルシエ:当時の秋田選手と中山選手は、日本代表から1年以上遠ざかっている選手でした。代表メンバーの23人を選ぶ上で、必ずしも「ベストな23人」を選べばいいわけではないんです。私の場合は、3つのグループに分けて選考を行いました。まず「第一グループ」にあたるのが、スターティングメンバー出場する選手で、14~15人程度が該当します。ワールドカップではグループリーグの3試合と、その後のトーナメントを戦いますが、私はベスト8付近まで勝ち進むことを想定して、5試合のスタメンが組める選手選考を行いました。

次の第2グループは、試合の途中から出場して、試合の最後を締めくくる選手たちです。1分間でアップをして、残り30秒しかない状況でも、全力で頑張れる選手。自分の置かれている役割を理解して、短い時間でも力を発揮できる選手を指し、大体4~5人くらいが該当します。そして、大体4人くらいが該当する3つ目のグループは、試合ではほとんどプレーすることがない選手を集めました。彼らは、自分がプレーできないことを、当然のように知っている必要がありますし、メディアも「彼らはなぜプレーしないんだ」と問うことがない選手たちでないといけません。

では、先ほど話題に及んだ中村選手は、どこのグループに属する選手だと思いますか?中村選手を第3グループに置くと、「なぜ、中村はプレーしないんだ?」と毎試合のように問われ、チームが機能しなくなってしまいますし、第2グループの選手のような、残り30秒で違いが出せる選手でもない。 当時の中村選手は、第一グループにしか属さない選手なので、先発で出られないような状況だったら、チームから外さざるを得ないと思っていました。

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トルシエが起こした日本サッカーの変化

宇都宮:インターネットが徐々に普及してきた当時の時代背景もあって、ネット上の掲示板でサッカーの議論をするという文化が生まれました。解任騒動の渦中で「トルシエ支持派」と「不支持派」に分かれて、盛んにディベートも行われたりもしましたし。トルシエさんは指揮官でありながら、サッカーを語るきっかけを与えてくれた功労者でもあったと思っています。日本サッカー界に及ぼした、文化的な側面についても、ぜひお聞きしてみたいです。

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トルシエ:私が思ったのは、「日本人選手の決断力の乏しさ」です。その背景には、決断にはリスクが伴い、もし失敗してしまった時には、批判をされる対象になってしまうという考えがあります。私が考える成功は、「勝利への原動力になること」だと思っているので、もし選手がミスをした時には、「なぜミスをしたのか」を聞くようにしています。ミスがなくなれば、当選手のレベルもさらに上がりますし、選手にチャレンジの場を与えていくことが、外国人監督でもある私の役目であると思っていましたから。しかし、日本人が海外クラブでプレーするようになった今は、当時とは大きく状況が変わりましたね。日本の指導者も、かつてのような全てがリスト化されたマネージメントではなく、臨機応変な対応ができるようになったと思います。

笹木:私は、中田英寿さんと一緒にお仕事させていただいているのですが。中田さんは、「当時のトルシエさんは、メディアの批判から選手たちを守るために、あえてちょっと悪者になってくれていたのでは?」と、おっしゃられていました。トルシエさんご自身としては、どのようなお考えでしたか?

トルシエ:私は非常に感動的な人間ですし、サッカーもエモーショナルなスポーツですので、試合に勝つためには身体だけではなくて、心にも強さが求められます。私が監督をしていた頃は、選手たちに対しても“エモーショナルな部分”を日頃から伝えてきました。ただ、選手間の壁を取り払い、柔軟性のあるグループを作る際には、若干苦労しましたね。私が、日本に来たばかりの頃は、選手に握手を求めていましたが、日本には身体を接触させる文化があまりない。「コンタクトする文化」を伝えるために、メディアを使わせてもらった。私のやり方にアレンジを加えていきました。

カタールワールドカップ攻略法

宇都宮:残念ながら、そろそろお時間も迫ってきました。 11月に迫ったワールドカップ・カタール大会に挑む日本代表についてお伺いしたいと思っております。強豪国が揃うEグループを突破するためには、何が必要でしょうか?トルシエさんの考えを聞かせてください。

トルシエ:(W杯優勝経験のある)ドイツ、スペインと同じEグループは、まさしく“死のグループ”と言ってもいいでしょう、ここにいる皆さんは、日本代表は予選を突破できると思いますか?おそらく80%くらいの方々は、「突破はノーチャンスだろう」と思っているのではないでしょうか。でも、それはあくまでも机上のデータでしかありません。あくまでもデータです。サッカーというのは、紙の上でやるスポーツではないので、色々な要素を考えなければなりません。色々なシナリオも影響します。日本は、第1戦にドイツと対戦しますよね。どちらにとっても初陣なので、両チームの心理的な状況には、それほど大きな差がないんですよ。これは、既に試合を経験している2戦目、3戦目とは大きく異なる点です。

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多くの選手がドイツでプレーしている日本代表チームは、何も失うものがない中で試合に臨めますが、一方のドイツは、もし試合に負けたら、全てを失ってしまうくらいの状況に置かれます。なので、私は、日本代表が、第1戦でサプライズを演出してくれることを期待しています。(強豪相手ですが、)引き分けはあるかもしれません。次の第2戦のコスタリカ戦になんとか勝って、勝ち点4で第3戦目のスペイン戦に臨みたいですね。今回は、非常に難しい組み合わせであることは間違いないですが、2002年には韓国がスペインに勝利したこともありましたし、ワールドカップ本番では予想できないことが色々と起こりますから。

笹木:監督に求められることは?

トルシエ:まずは、絶対的な支配者であること。なぜならば、一人で決断しなければいけないからです。さまざまな襲いかかってくる物事を調教するような、“ライオンの調教師”でなければなりません。自分の圧倒的な力を相手に認めてもらうような関係は必要だと思います。二つ目が、オーケストラの指揮者であるという意識です。個性豊かな特徴を持ったそれぞれの選手を一つにまとめ上げ、一つの旋律を奏でなければなりません。それぞれの楽器の魅力的な音を一つの楽譜にまとめるような演出家、かつ指揮者のような役割も監督には求められるのではないでしょうか。

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