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背伸びする反文明

 東京オリンピック開催を3年後に控えた1961年、我妻栄は、ジュリストに「背伸びする文明」と題するエッセイを寄稿している(236号63頁)。我妻は、本エッセイにおいて、同年9月16日に室戸岬に上陸し、関西地方に被害をもたらした台風18号を起点として、戦後日本の「背伸び」を嘆いている。

 我妻は、「台風の来る度毎に・・・多くの人命と財産を失いながら、じっと忍んで台風の通り過ぎるのを待つ」現実と、オリンピックに「便乗」して「間口ばかり拡げられ、外見だけが立派にされてゆく」虚飾を対比して、戦後日本を「つま先で立った、腰のすわらない、背伸びの文明である」と断じている。この指摘が、現在に至る日本の病理を剔抉したものであることは、理性のある人には容易に理解されるだろう。

 我々は、我妻が本エッセイを書いたちょうど60年後の日本に生きている。その日本は、東日本大震災から10年が経過してもなお数万人の原発事故避難者を抱えながら、新型コロナウィルス感染症のパンデミック下にあり、医療崩壊は日に日に深刻さを増している。

 これに対し、政府は何ら有効な対策を示せない。原発事故避難者には一方的に「帰還」を呼びかけ、コロナ対応では人々の「自粛」に頼むばかりである。にもかかわらず、全世界のアスリートが一堂に会するオリンピックを強行し、「復興五輪」と「コロナ克服の証」をアピールする。我妻は、1961年の日本の「背伸び」は、明治国家のそれよりも「一層ひどい」と述べているが、現代日本の「背伸び」は、1961年当時よりも「一層ひどい」と言えるだろう。ここまで来ると、もはや「文明」ではなく「反文明」である。

 筆者が本稿を書いている今、九州・中国地方に大雨特別警報が発令され、「緊急安全確保」が叫ばれている。「数十年に一度」「経験したことがない」との文字も踊るが、このフレーズを初めて耳にしてから何年が経っただろうか。原発事故でもコロナでも大雨でも、この国は「多くの人命と財産を失いながら、じっと忍んで通り過ぎるのを待つ」ばかりである。

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