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フォーサイター(フォーサイトの実践者)宣言 ~シンポジウムを終えて~

こんにちは、あわたです。

先日ご案内した「未来を先読む力を組織に実装する~欧州・日本の官民フォーサイト活動から学ぶ~」と題したシンポジウム*1は、会場参加約40名、オンライン参加約100名と、盛況のうちに終了しました。

※シンポジウムの告知記事


1.フォーサイトシンポジウム開催による気づき

本シンポジウムでは、フォーサイトに取り組む欧州と日本の公共セクター(いずれも普段我々との接触機会は限られている)の皆さんとも密に交流することができましたが、約20年前にフォーサイト(未来洞察)という概念や方法論を日本に輸入し、特に大企業のイノベーションやトランスフォーメーションに役立ててきたつもりの私にとって、二つの点で感慨深いものがありました。
一つは「国内においてフォーサイトはごく一部の先端的でニッチな取り組みと思われがちだったが、国内外かつ官民でフォーサイトに取り組む/取り組もうとする人々が初めて一堂に会し、問題意識や先進事例を共有することができた」という、いわばフォーサイトの国内普及の転換点になったということ。
もう一つは「日本の公的セクターでもフォーサイトに興味を持つ人が少なからず存在するものの組織的な取り組みは欧州に比べ遅れており、その理由は “未来”に対する日本社会特有の態度に起因しているのではないか?」という、いわば未来(洞察)に対する認識そのものに課題があるという気づきです。



2.“未来”に対する日本社会特有の態度


当日のディスカッションで指摘された、「 “未来”に対する日本社会特有の態度」を三つほど紹介しておきましょう。


① フューチャリストという職業/専門性に市民権がない

欧米ではフューチャリスト(他にフォーサイター、フューチャーデザイナーなどの呼称もあり)という肩書を持った人の数がこの20年ほどで増えており、また公的機関や企業の組織内にそのような専門性を備えた人材を配せるように、大学・大学院では未来学という学問分野が確立し教科プログラムも充実してきている。
一方、日本ではフューチャリストと聞くと「占い師」「預言者」のような印象があり、どこか「うさんくさいもの」と感じられているのではないか?


② 未来は一つ(≒正解がある)と思っている、あるいは一つに収束させたい

欧米で根付いている未来学は Futures studies と訳され Future という単数では扱わないことが前提になっている。また、英国人などは全員賛成だとこれは何かがおかしいと考える国民性があるが、日本人は事前に根回ししてでも全員賛成または予定調和に終わらせることを好む。
日本でも昨今は多様性の尊重(許容)が叫ばれるようになったものの、これも多様性重視という一点に収束させようとしているきらいがある。将来ビジョンやパーパスを皆でつくっても、「つくって終わり」「つくることが目的」になっている。異なる意見やものの見方をそのまま共有したり、継続的に受け入れたりすることを避けるような態度であれば、それはうさんくさい、まやかしと思われても仕方がないのではないか?

③ 未来は誰かがつくるもので、自分はそれに従うだけ

欧米での Policy はいわゆる政策のみならず個人の思想・哲学・信条をも意味し、欧米の公共セクターではそうした個々人のポリシーを共有しながら公共のあり方や政策アイデアを共創するようなプロセスが、この20年ほどで確立してきている。
一方、日本では市民の声を聴く機会は増えているものの形だけ行われているケースもいまだ多く、公的機関は「お上」として世直ししてくれる存在として期待されているから間違ってはいけない。個々の市民は「お上」が考えたことに受け身的に従うのが当たり前で、一市民として世の中をよくすることは自分の役割とは思っていないのではないか


3.フォーサイターを自称する意義


これら三つの相違点は、我々ミライデザインラボのメンバーの中では暗黙知として共有されているはず(?)ですが、もっとわかりやすく言語化して明示的に主張していく必要がありそうだと感じました。
実は、シンポジウムに関して経済記者の取材を受けたときも、「未来予測と未来洞察の違いがわからない」と言われました。おそらくは上記三点が前提として共有されていないことも、「わからない」一因かもしれません。

一方で、世の中では「未来」と名のついたワークショップが多数開催されるようになってきました。それ自体はとても良いことです。しかしながら、未来に対する態度や方法論が共通言語になっていないと、ある人は確からしい未来を一つだけ考え、別のある人は可能性ある未来をたくさん考えるといったように、話がかみ合わないことになります。また、その場限りのイベントで終わっては、せっかくの参加者のモチベーションにとって逆効果になるリスクもあります。

未来洞察の現在地*2では「Futures Literacy:フューチャーズリテラシー=自分の頭で未来を洞察・想像し、実現していく態度やスキル」と紹介しましたが、その大前提として未来という言葉に対する態度そのものを変えていく(予測ではなく洞察、一つではなく多数、預言ではなく共創、など)必要がありそうです。


そこで、私は明日から自分のことをフォーサイター(フォーサイトの実践者)と自称し、未来に対する態度について意識的になってみようと思います。(フューチャリストというのはおこがましいし、やはりうさんくさく感じる自分がいるので(笑))
官民、国内外などあらゆる組織にフォーサイターが育ち、組織を超えてフォーサイター同士が横に緩やかにつながり、ありたい未来に向かって連携できるような世の中になっていくことを夢見て


(参考)
*1 【11月28日開催|現地&オンライン】 未来を先読む力を組織に実装する ~欧州・日本の官民フォーサイト活動から学ぶ~|日本総研
https://www.jri.co.jp/page.jsp?id=106364
*2 未来洞察と私01.未来洞察の現在地|日本総研 未来デザイン・ラボ https://note.com/jri_mirai_design/n/n711d7d394d45


この記事を書いた人 あわた

博多出身のモラトリアム世代。職業は旅人と言ってみたいが、英語と酒が苦手なのが玉に傷。
関心…自転車散歩/珈琲野点/里山/アウトフィッター/EDC/写真/路上観察/水平思考

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