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第七章 逃げろ!急行「雲仙」が夜を疾走

この物語はフィクションです。登場する団体、名称、人物等は実在のものとは関係ありません。


赤線とはー
性風俗の混乱を恐れた国が慰安所として許可を出した特殊飲食店街。半ば公認で売春が行われ、警察の地図に赤い線で囲ったため、赤線と呼ばれた。ー


―急行「雲仙」の車中、名古屋、下関、門司―

 ホームに急行「雲仙」が滑り込んで来た。四人は改札口に駆け込み、急いで飛び乗った。車内は立っている客こそいないものの比較的混んでいた。四人は一緒に座ることを避け、同じ車両にそれぞれペアになって離れて座った。浜やんが隣に座ったマリに小声で聞いた。

「マリ、金持って来たか?」

 マリが頷いたので浜やんは、ホッと胸を撫で下ろした。後は追っ手を警戒するだけだ。万が一の場合、何処へでも逃げられる陸と違い、電車の中である。逃げ道は完全に塞がれているのだ。順当に考えればマリたちが逃げたことに店側が気づくのは早くて一時間程経った頃だ。マリは店から外出する時、「お客さんとラーメン食べてきます」と女将に言ったという。

 その食事の時間分だけ発覚が遅れるはずだが逃げられたことがわかれば、店側はどんな手段を使っても血眼になって探すだろう。その間に出来るだけ遠くに逃げたい。急行「雲仙」で一気に九州まで逃げるのだ。

 敵がいつ忍び寄って来るか。浜やんは内心、怯えていた。

 ―もし…虎之介が店からマリたちを連れ出した時点で後を付けられていたら。追っ手は既に電車に乗り込んでいるかも知れない。

 浜やんは夜行電車の暗い窓に目を凝らしていた。実は眺めているように見せて、窓に反射する車内の人の動きを一挙手一投足、見張っているのだ。不意の仕打ちに対抗する為、彼は通路に立っていた。

 虎之介は少し離れた同じ車両の座席にちか子を座らせ、やはり通路に立って警戒していた。もし不審な動きをする男に気づいたら親指を立ててサインを送り合うことになっている。虎之介はジャンパーの腕を通さず、肩から引っかけていた。喧嘩慣れしている彼は瞬時に相手を殴れる体勢を取っているのだ。マリとちか子も出来るだけ客に顔を見られないよう伏し目がちにしていた。

 車両の中央付近に一見してチンピラ風の二人組が乗っていた。どこから乗ったのかわからず不気味な存在だった。男たちは時折、通路に立っている浜やんに視線を送り、何事か話している。その視線がどうも尋常ではないのだ。そのうちの一人が不意に席を立ち、浜やんに近づいて来た。

 ―追っ手なのか…

 浜やんはとっさに身構えた。
与太モン歩きの男が目と鼻の先まで近寄り、凄んだ。

「おたく、どこのモン」

「…」

一瞬、睨み合いになった。

「あんちゃん、こんなとこに立ってちゃ邪魔で通れねぇんだ」

 そのセリフを聞いた途端、浜やんは急に力が抜けてしまった。男は因縁をつけに来ただけなのだ。

「こりゃどうも。失礼しました」

 浜やんが少しおどけて丁重に謝ると、男は

「わかりゃいいんだ」

 と、捨てゼリフを残し、トイレの方に歩いていった。

 この様子を見ていた虎之介がすっ飛んできた。

「浜、大丈夫か」

「あぁ、チンピラが因縁つけに来ただけだ。もう話は済んだから」

「ナメやがって、あの野郎。やっちまうか」

「やめろ。電車の中で暴れたら、大事になってそっちの方がまずいよ。今は静かにして出来るだけ遠くへ逃げるんだ」 

「おぅ、わかった」

 あんなチンピラ風情にかまってはいられない。本当にやらなきゃならない時はいつか必ず来る。浜やんは仲間には内緒にしていたがスーツの内ポケットにドスを忍ばせていた。

 名古屋を発って約三十分後、急行「雲仙」は次の停車駅・岐阜で停まる為、スピードを落とし始めた。浜やんと虎之介は打ち合わせ通り又、席を立ち、それぞれ車両の端に陣取って停車するホームに目を光らせた。夜のホームには何人かの乗客が「雲仙」の到着を待っていた。電車が停まり、一人、二人と客が乗り込んで来た。

 ―まさか、この駅からは乗って来ないだろう…いや、もしかして。

乗客の表情を一人も見逃さないように二人は息を殺しながら目配りした。
異変は…起きなかった。やがて電車が動き出した。
急行「雲仙」は徐々にスピードを上げ、米原、京都、大阪と夜の闇をひた走った。
追っ手が乗り込んでいる可能性は殆ど消えていた。なのに浜やんは喉がしきりに渇いた。ゴトン、ゴトンと枕木を蹴る車輪の音もやけにゆっくりと感じられるのだ。早く電車を降りたい焦りとまだ完全に抜け切らない追っ手の影に幻惑されながら、逃亡者たちは居心地の悪い旅を続けていた。

 「雲仙」が兵庫の明石を過ぎ、山陽本線に入った。時計を見ると深夜十二時を過ぎている。マリは緊張の連続からか寝台車でぐっすり寝入っていた。虎之介も大きないびきをかき、ちか子も熟睡している。三人の寝顔を見て少し安心したのか、やがて浜やんも睡魔に襲われた。

 翌日の午前十一時前に「雲仙」は関門トンネルにさしかかった。本州の下関駅と九州の門司駅を結ぶ世界でも初めての鉄道海底トンネルだ。
さすがにこの頃になると四人は元気を取り戻していた。名古屋を発って十五時間半も電車に揺られた為、腰や首が少し痛いが逃げる恐怖感が薄れたことで四人は冗談を言い合うまでになっていた。

 ちか子が豆鉄砲を喰らった鳩のように目をパチクリさせて驚いている。

「凄いね。海の中にトンネル掘っちゃうなんて」

 そのちか子に虎之介が自慢げに話した。

「なぜ海の中か教えてやるよ。このトンネル、戦時中に開通したんだ。初めは横断橋にする話もあったらしいけどよ、それだと敵の攻撃目標になっちまうじゃん。それで軍が海底トンネルにしたんだってよ」

 浜やんがまじまじと虎之介を見た。

「おめえ、パチンコしか知らねえ男だと思ったら、意外と学があるなぁ。何で知っているんだ、そんなこと」 

「常識だろ、そんなこと」

「嘘付け、おまえが知っている訳ないじゃんか」

「浜、そんなことで驚いちゃいけません。俺はもっと知ってます、ハイ」

虎之介はそう言うなり、今度はガイドの口調になった。

「現在、浜野様ご一行がくぐられている関門トンネルは、開通当初から〝竜宮へつながる回廊〟って呼ばれていまして、全長が三千六百メートル余りで…」

「おいおい、本格的だぜこりゃ」

「ものマネうまいわね。だけど、もともと暗記力がないんだから、そこまで言っちゃうとこの辺で仕入れたネタだってバレちゃうわよ。虎さんって、〝程々〟がなくて、やりすぎなのよ、いつも」

 ちか子の突っ込みにも虎之介はいつになく素直だ。

「ハイハイ、おっしゃる通り…白状します。実はさっきトイレに行く時、誰かが通路で話しているの聞きましたぁ」

「はっはっはっ、やっぱりそうか」

 トンネルを抜けると、そこは九州だった。
門司港から鹿児島本線に入り、一時間半程で博多駅に着いた。浜やんは九州戦線の皮切りに博多の赤線街に狙いをつけた。

続き > 第八章 不満爆発!眠れぬ夜に…ドスとヒロポンと(前編)
―博多―

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参考文献

兼松佐知子(昭和62年)『閉じられた履歴書 新宿・性を売る女達の30年』朝日新聞社

木村聡(写真・文)(平成10年)『赤線跡を歩く 消えゆく夢の街を訪ねて』 自由国民社

木村聡(写真・文)(平成14年)『赤線跡を歩く 続・消えゆく夢の街を訪ねて2』自由国民社

澤地 久枝(昭和55年)『ぬくもりのある旅』文藝春秋

清水一行(平成8年)『赤線物語』 角川書店

新吉原女子保健組合(編)・関根弘(編)(昭和48年)『明るい谷間 赤線従業婦の手記 復刻版』土曜美術社

菅原幸助(昭和62年)『CHINA TOWN変貌する横浜中華街』株式会社洋泉社

『旅行の手帖(No・20)』(昭和30年5月号) 自由国民社

 ※近代庶民生活誌14 色街・遊郭(パート2)南 博  三一書房(平成5年6月)

名古屋市中村区制十五周年記念協賛会(編)(昭和28年)『中村区市』(名古屋市)中村区制十五周年記念協賛会

日本国有鉄道監修『時刻表(昭和30年)』日本交通公社

日本遊覧社(編)・渡辺豪(編) (昭和5年)『全国遊郭案内』日本遊覧社

広岡敬一(写真・文)(平成13年)『昭和色街美人帖』自由国民社

※戦後・性風俗年表(昭和20年~昭和33年)

毎日新聞出版平成史編集室(平成元年)『昭和史全記録』 毎日新聞社

松川二郎(昭和4年)『全国花街めぐり』誠文堂

森崎和江(平成28年)『からゆきさん 異国に売られた少女たち』朝日新聞出版

山崎朋子(平成20年)『サンダカン八番娼館』文藝春秋

吉見周子(昭和59年)『売娼の社会史』雄山閣出版

渡辺寛(昭和30年)『全国女性街ガイド』 季節風書店

大矢雅弘(平成30年)『「からゆきさん=海外売春婦」像を打ち消す〈https://webronza.asahi.com/national/articles/2018041300006.html〉令和2年12月14日アクセス 朝日新聞デジタル

※参考文献の他に物語の舞台となっている地などで、話を聞いた情報も入れています。取材にご協力いただいた皆様に感謝いたします。ありがとうございました。

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