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第十六章 芸者置屋に預けてきたが…

この物語はフィクションです。登場する団体、名称、人物等は実在のものとは関係ありません。


赤線とはー
性風俗の混乱を恐れた国が慰安所として許可を出した特殊飲食店街。半ば公認で売春が行われ、警察の地図に赤い線で囲ったため、赤線と呼ばれた。ー


―修善寺―

 結婚式の翌日から、浜やんたちは早速行動を起こした。このところ少し遊びすぎた。
財布が潤う新たな財源の確保が急務なのだ。横浜駅から三島駅に向かい、私鉄に乗り換え温泉場として有名な修善寺に到着した。

 温泉旅館で一服した後、浜やんと虎之介は例によって街に下見に出た。浜やんが下着などの衣料品を買っている間に、虎之介は一足先に赤線街を探しに行った。
 買い物を終えた浜やんが通りを歩いていると割烹旅館のような小綺麗な店が目についた。ネオン管で出来た看板には「踊り子」という店名が書いてあった。白塗りの壁と焦げ茶色の板張りが美しいコントラストを描く和風造りの粋な店だ。

 浜やんは、ふと思った。

 ―割烹だって女のコが欲しい筈だ。赤線のように高い金額じゃなくてもいいや。ひとつ掛け合ってみるか。

 店に入るとちょうど女将がいた。

「実は折り入って話があるんですが。女のコのことで…」

「女のコがどうかしたの?」

女将は突然の訪問者に戸惑っている。

「女のコを紹介したいんですが。間に合っていますかねぇ」

 浜やんの狙いがわかった女将は表情を崩した。

「あら、ちょうど手が足りなくて困っているのよ。二、三人抜けちゃって。あんた誰か連れて来たの」

「いや、ここにはいないんですが」

「あっ、そう。もし連れて来られるようなら、条件次第じゃ話にのるわよ。うちは割烹と置屋もやっているの」

「置屋?」

「そう、芸者よ」

「で、条件って?」

「そうねぇ、洗い場だったら斡旋料として給料の一ケ月分を出すわよ。普通はやらないけど、暮れから正月にかけて戦争状態になるから。或いは、芸者でもいいわよ。これはどんな娘か見てみないとわからないけど」

 浜やん、頭の中でとっさにそろばんを弾いた。

 ―洗い場だったら、六・七千円ぐらいだろう。安いけど、ちか子が適任だ。マリは芸者として売れば七万は見込める。

「女将さん、三十分程待ってもらえませんか。二人連れて来ますから」

「いいわよ」

 浜やんは急いで旅館に引き返した。休んでいたマリとちか子に事情を話し、二人を伴って再び女将のもとに現れた。

「遅くなりました。この娘たちです」

マリとちか子が女将に頭を下げた。女将は早速、二人を値踏みしている。声をかけるでもなく、特にマリをジロジロ見ている。

「二人で八万円。これでどう?」

「結構です」

 あっけない程早く、商談は成立した。
浜やんの見込みがズバリ当たったのだ。女将が、ちか子に言った。

「あなたは洗い場で働いて」

続いてマリを見た。

「あなたは芸妓として使うわ。でもしばらくの間、洗い場で修行して頂戴な」

 女将はそう言うと、その場で八万円を浜やんに渡した。金をポケットにしまい込み、気になって仕方がなかったことを女将に聞いた。

「何処の誰かもわからないこんな男に、ずいぶん気っ風がいい女将さんですね」

女将が笑って答えた。

「あんたが流しだって、そうじゃなくたって関係ないの。それに勘違いして欲しくないけど、私はこの娘たちに金を払ったのよ。うちは女のコが欲しいのよ。…あの娘は上玉だし、芸妓として間違いなく人気者になるわ」

 旅館に戻った浜やんは、踊り子での一部始終を虎之介に報告した。さすがの虎之介も呆れ返っている。

「それにしても芸者置屋とは、おめえうまいこと考えたな。今度から取引は全部おまえがやれよ」

「いや、芸者置屋かどうか俺もよくわからねぇけど、たまたまそうなっちゃったんだよ。別に狙った訳じゃねぇさ」

「なぁ、浜。いつも焦って逃げてばかりいないで、今度はゆっくりパチンコでもして暇をつぶそうぜ。一人前の芸者になるまで時間はたっぷりあるしよ。昨日、今日で芸者なんかになれないよ、あの世界は…。さらって来るのだって、これまでより簡単だもん」

 虎之介の話に浜やんは相鎚を打たなかった。芸者といってもただ芸を売るだけでなく、あの店は売春をやっている筈だ。女将はしばらくの間、二人とも洗い場で修行させると言っていたが気が変わって、いつマリに客を取らせるかわからない…。そう睨んだので虎之介にはこう言った。

「いや、やっぱり早い方がいいよ。この先どうなるかわからねえからよ」

「だから、大丈夫だって言ってるじゃん」

「ダメだ!そういうのは俺の主義じゃねえ。明日、おまえ探って来い!」

 浜やんの命令に虎之介はしぶしぶ頷いた。
次の日、敵情視察に行った虎之介は、深夜かなり酔って旅館に帰って来た。

「逢えたのか、マリたちに」

「いや、逢えなかったよ」

「何しに行ったんだよ、おまえ」

「そう言ったって、いねえもんはいねえんだからしょうがねえや。俺、芸者買っちゃったよ。おまえ、金半分出せよ」

虎之介は、ちゃっかりしたもんだ。

「芸者、四人も来たんだよ。三味線持って」

「そんなの断りゃいいじゃん」

「勿論断ったさ。三味線なんかいいって。そしたら、親玉のババアが、じゃあ、何すればいいの、って怒っちゃってよ。もう俺、なだめるのに苦労したよ」

「若い娘はいないのって聞いたのか」

「聞いた、聞いた。そしたら、いるわよって言うから、その新しい娘呼んでくれって言ったけど、入ったばかりで、何も芸が出来ないって言う訳よ」

「だから俺、三味線なんか弾けなくてもいいよ。ギターかなんか弾けねぇのかって言ったらよ、ギター漫談なんて出来ません、だって。客がいいって言ってんだから、いいじゃねえかって言ってもダメ。芸者ってプライド高いな、浜」

「で、結局来なかったのか。いつから店に出るんだよ」

「まだ半月くらい後だってよ。冗談じゃねぇよ。こうなったら、ゆっくりしようぜ」

「そうはいかねえぞ。おまえと毎日、額つき合わせてミーティングやっていたら喧嘩になっちゃうしな」

「何かうまい方法ないか、浜。おまえ、女郎屋しか知らねぇしな」

「ビールばかり飲んでいないで、おまえも考えろ」

 誤算だった。すんなりと芸者置屋に売ったものの二人を連れ戻すのは女郎屋よりはるかに難しい。本人たちと直接、接触出来ないのだ。しばらく考えた末、妙案が浮かんだ。

 ―そうだ。店の斜め前に蕎麦屋があった。あそこで張り込もう…

 「踊り子」に売られたマリとちか子は救助船を心待ちにしていた。なにせ、腰が痛くて仕方がない。洗い場で山と積まれた食器と格闘していたのだ。食器洗いだけでなく、ご飯の盛りつけや、お座敷の片付けなど休む暇なんてないのだ。

 ―どうして来ないんだろう?いつもすぐ来てくれるのに…。

そう思いながら、ちか子が片付けものをしていると姐さんたちの声が耳に入った。

「全く、夕べの客には頭にきちゃうよ」

「本当、三味線じゃなくてギターにしろとかさ、新しい娘出せとか…遊び方知らないのにイキがっちゃってさ」

食器を洗っていたちか子がマリに近寄り、耳打ちした。

「今の話聞いた?来たんだね」

「何で帰っちゃうのよ、まったく…」

女郎屋のような怖さは感じなかったが二人とも慣れない洗い場の仕事で足はパンパンに張り、腰も痛くて仕方がない。これがずっと続くのかと思うと逃げ出したい気持ちだった。

 ―もう…早く来てくれないかね。

一方、店の外ではキャプテンの命を受けた救助船・虎之介が張り込みを始めていた。
場所は「踊り子」の向かいにある蕎麦屋である。蕎麦屋の店内からはガラス戸越しに「踊り子」の裏木戸が見える。虎之介はざるそばを何枚も平らげ、昼過ぎから見張っているのだが、日が暮れる頃になってもマリたちはいっこうに姿を現さない。

 一日目の張り込みは結局、空振りに終わった。

 ―これから毎日、これが続くのか…

二日目、裏木戸の出入りは結構あるのだが肝心のマリたちはこの日も姿を現さなかった。買い物には出るだろうと思ったが、どうも板さんがしているらしい。だとするといつ出て来るのか。
 虎之介自身、赤線街の張り込みと違って、どうも勝手が違うことに戸惑っていた。緊張感が今一つ沸いてこないのだ。眠気と食い気が交互に襲って来る。その度にそばと好物のカツ丼を腹に収めるのだが、そばはさすがに食い過ぎた。

 三日目、ついに動きが出た。いつものように蕎麦屋の定位置に座って監視しているとワンピース姿の女のコが向かいの「踊り子」から外に出て来たのだ。買い物かごをぶら下げている。

 ーマリだ!

そばを食べていた虎之介は外にすっ飛んで行った。

「マリ、今すぐちか子を連れて来い!」

「だって買い物が…」

「買い物なんかいいから、すぐ連れて来い」

マリに連れられて、数分後、ちか子も出て来た。

「二人で買い物に行く振りして、あっちへ向かって歩け。俺は浜に電話して後から合流するから。」

 虎之介は急いで蕎麦屋に引き返し、浜やんに電話をした。

「浜、見つかったよ」

「何?見つかった!」

 浜やん、一瞬、バレたと勘違いしてしまった

「違う違う。合流したってことよ。今から二人を連れて行くから。例の場所で待っていてくれ!」

「OK、わかった」

 虎之介がマリとちか子を連れて駅前にあるタクシー会社の前に来たのは、それから間もなくだった。既に浜やんはチャーターしたタクシーの助手席で待ち構えていた。

「早く乗れ!虎」

 三人の姿を見つけた浜やんが大声で呼ぶと三人は息を切らせながら駆け寄り、後部座席に次々と乗り込んだ。

「運ちゃん、急いでくれ」

 運転手には既に東海道線の熱海駅に行くよう伝えてある。浜やんの合図でタクシーが急発進した。車中、四人は運転手に怪しまれないよう、わざと世間話に花を咲かせていたが、やがて誰からともなく寝入ってしまった。

続き > 第十七章 逃げる車中で…からゆきさんと女衒の話
―熱海・静岡―

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参考文献

兼松佐知子(昭和62年)『閉じられた履歴書 新宿・性を売る女達の30年』朝日新聞社

木村聡(写真・文)(平成10年)『赤線跡を歩く 消えゆく夢の街を訪ねて』 自由国民社

木村聡(写真・文)(平成14年)『赤線跡を歩く 続・消えゆく夢の街を訪ねて2』自由国民社

澤地 久枝(昭和55年)『ぬくもりのある旅』文藝春秋

清水一行(平成8年)『赤線物語』 角川書店

新吉原女子保健組合(編)・関根弘(編)(昭和48年)『明るい谷間 赤線従業婦の手記 復刻版』土曜美術社

菅原幸助(昭和62年)『CHINA TOWN変貌する横浜中華街』株式会社洋泉社

『旅行の手帖(No・20)』(昭和30年5月号) 自由国民社

 ※近代庶民生活誌14 色街・遊郭(パート2)南 博  三一書房(平成5年6月)

名古屋市中村区制十五周年記念協賛会(編)(昭和28年)『中村区市』(名古屋市)中村区制十五周年記念協賛会

日本国有鉄道監修『時刻表(昭和30年)』日本交通公社

日本遊覧社(編)・渡辺豪(編) (昭和5年)『全国遊郭案内』日本遊覧社

広岡敬一(写真・文)(平成13年)『昭和色街美人帖』自由国民社

※戦後・性風俗年表(昭和20年~昭和33年)

毎日新聞出版平成史編集室(平成元年)『昭和史全記録』 毎日新聞社

松川二郎(昭和4年)『全国花街めぐり』誠文堂

森崎和江(平成28年)『からゆきさん 異国に売られた少女たち』朝日新聞出版

山崎朋子(平成20年)『サンダカン八番娼館』文藝春秋

吉見周子(昭和59年)『売娼の社会史』雄山閣出版

渡辺寛(昭和30年)『全国女性街ガイド』 季節風書店

大矢雅弘(平成30年)『「からゆきさん=海外売春婦」像を打ち消す〈https://webronza.asahi.com/national/articles/2018041300006.html〉令和2年12月14日アクセス 朝日新聞デジタル

※参考文献の他に物語の舞台となっている地などで、話を聞いた情報も入れています。取材にご協力いただいた皆様に感謝いたします。ありがとうございました。

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