見出し画像

第十七章 逃げる車中で…からゆきさんと女衒(ぜげん)の話

この物語はフィクションです。登場する団体、名称、人物等は実在のものとは関係ありません。


赤線とはー
性風俗の混乱を恐れた国が慰安所として許可を出した特殊飲食店街。半ば公認で売春が行われ、警察の地図に赤い線で囲ったため、赤線と呼ばれた。ー


―熱海・静岡―

 東海道線の熱海駅で下り電車を待つ間、逃避行の緊張感が久しぶりに四人を襲った。修善寺の駅からは危険を避ける為、タクシーを使って海沿いの道を逃げて来た。
時間的にも追っ手が先回りして、この熱海駅で張り込んでいることは先ずない。
だが、いつも不安に思うのは電話という連絡網を使って他の地域のヤクザkmなどを追っ手として手配していないかということだ。

 店から逃げ出した時、最寄り駅から電車に乗らずにそのままタクシーを使って遠くに逃げても予め熱海駅に張り込まれていたら元も子もない。追っ手が突然、飛びかかって来る危険性はやはりあるのだ。万が一のことを考え、ホームの人垣を警戒して四人は電車に乗り込んだ。
虎之介とちか子は念の為、浜やんたちとは離れて座った。電車が熱海駅を発ち、一時間ちょっとで静岡駅に着いた頃、四人は座席に合流した。

浜やんが先ず二人に謝った。

「助けにいくの、遅くなって悪かったな」

「そうよ、もっと早く来てくれないと…大変だったんだから」

「おまえら、毎日何してたの?」

「洗い物が大変なのよ。もの凄い量なんだもん」

「姐さんたちには怒られるし…」

「どうして」

「歩き方とか、お三味線の置き方が逆さまだとかさ。参っちゃったよね、ちかちゃん」

「お三味線?」M

マリは言葉遣いまで変わっていた。

「でも結構可愛がられたよね。マリちゃん」

「綺麗だとか…若くてこれからだとか。お客さん親切なのよ、意外と…」

「浜、だから言ったろ。一ヶ月ぐらい助けに行かなくたって安心なんだよ」

「そうだったな。そうすりゃ、もっとそば食えたもんな」

「うるせえ!そばって言うな。吐き気がするぜ」

 虎之介は二度とそばの話はしたくないと話題を変えた。

「ところで浜よ。俺たちが今やってる商売って、何て言うのかな」

「周旋屋か。まぁ詐欺ってことだな」

「そうだな、人を騙す訳だからな」

「昔からあるらしいじゃねぇか、こんな商売」

「ああ、昔は女のコの口減らしってことで遊郭に売ったらしいよ。ほら、女衒っていうだろ。女のコ集めて売り飛ばす奴」

「ほう、そうか」

「村岡伊平次って有名だよな。お国の為だって言っては東南アジアなんかに売り飛ばしちゃって」

「国の為に?」

「そうだよ。戦地に行っている兵隊の慰み者だったんだよ。売られた女のコたちは国の政策だったんじゃねえのか」

浜やんと虎之介が話題にしたのは女衒のことだ。
女衒は女を遊女屋に売る周旋を商売にした者である。その代表的な人物に村岡伊平次という男がいた。伊平次は長崎の島原半島や熊本の天草諸島などで貧しい暮らしをしていた女たちを集め、中国・香港・フィリピン・ボルネオなどのアジア各地を渡航先に娼婦として働かせた。そうした女たちはからゆき(唐行き)さんと呼ばれた。このからゆきさんという呼び名は特定の国=唐だけでなく、広く外国を意味している。からゆきさんの働き方はどうだったか。大正中期から昭和前期のボルネオの例では娼婦の取り分は五十%、そのうち借金返済分が二十五%、残りから着物、衣装などの雑費を出すのに月二十人の客を取る必要があったというから、凄まじい搾取だ。

普段の客はさほど多くないが港に船が入った時がどこの娼館も満員でいちばんひどい時は一晩に三十人の客を取ったという。一泊十円、泊まりなしで二円。客の一人あたりの時間は三分か五分、それよりかかる時は割り増し料金の規定だったという。

一方で、売春婦のからゆきさんだけが海外に渡ったのではなく、明治の初め頃から天草の男たちも東南アジアなどに渡って産をなし、故郷に錦を飾ったり、終戦まで現地で活躍した人が大勢いるという。そうした男たちもからゆきさんとか、からゆきどんと呼ばれたそうだ。
売春婦のからゆきさんだけが渡ったのではなく、多くの青年男女が富の獲得の為に、海外に渡ったのだ。その中に売春婦となった年若い女たちがいたという。

 からゆきさんの中には

「月に一度は死にたくなり…休みたくとも休みはなかった」

と話す者もいたようである。

虎之介が浜やんに話しかけた。

「ふぅん。可愛そうだなぁ。俺なんかいくら悪くても売り飛ばして、そのままにはしてないもんな」

「そうだ。俺たちには愛があるもんな。必ず助けにいくし、搾取がひどい店からせしめた金もみんなで分配しているし」

 二人の話を聞いていたマリがムッとなった。

「ねぇ、愛があるならもっと早く助けに来てよ。都合のいい時だけ愛があるなんて言っちゃってさ」

「ほんとよ。ねぇマリちゃん」

 ちか子が饅頭を食べながら言ったので虎之介にからかわれた。

「ここにも口減らししたいのはいるけどなぁ。ハッハッハッ」

「失礼しちゃうわ、全く」

「虎よ。もっと古い時代だったら籠空かしっていうのがあるぜ」

「籠空かし?」

「昔は罪人が捕まると籠で運ばれていただろ。護送だよな。その途中、口八丁手八丁で官憲となあなあになって隙を見て逃げちゃうんだ。とんずらしちゃうんだよ」

「それ凄いな。俺たちのやってることに近いと言えば、近いし…」

「いや、俺たちゃ罪人じゃねぇからな」

「まぁ、罪人みたいなもんだけどな。だけど浜、おまえその手の話詳しいな」

「こう見えても俺は相当研究しているからな」

「たいしたもんだよ」

「だけどさ、虎。なんで俺たちの商売のことなんて聞くんだ」

「いやさぁ、俺たちゃ特別悪いことやっているとは思っちゃいねえけどよ。なんとなく人聞き悪いことやっているからさ。四国へ行って、神様に少し媚びを売っといた方がいいんじゃねえかと思ってよ。巡礼ってやつでよ」

 八十八の煩悩を断滅する、四国霊場八十八カ所お遍路の旅である。煩悩だらけの男が懺悔の旅を言い出し、浜やんに冷やかされた。

「巡礼か、おめえが…。いろいろ思いつく男だな」

「それ、面白そうじゃない。巡礼って一回やってみたかったんだ」

 ちか子はまんざらでもない。

「でも、あれ白い着物着なきゃいけねえんだぜ」

「あの白い着物がいいのよ」

「白だって、赤だっていいんじゃねえのか」

 からかう浜やんに虎之介がムキになった。

「馬鹿モン。赤なんか着たら闘牛士になっちゃうじゃねえか。白い着物買わなきゃいけねえな。どこかでよ。それから杖もよ」

「虎之介、本気でやるつもりかよ。あの格好でチリーンなんて鈴鳴らして店に乗り込めるかよ。相手がびっくりしちまうぜ」

「アッハッハッハッ、それもそうだな。…あれ確か掌紋取られんじゃなかったっけ」

「掌紋。だったら尚更ダメじゃねえか。そんなモン残しちゃったらよ」

 遍路の旅は結局あきらめることにした。
かといって、四国という土地には魅力があった。四人とも、まだ行ったことがないのだ。
電車は兵庫県の明石を過ぎていた。時刻表の地図を見てみるとこれから先四国に渡るには山陽本線の岡山から電車を乗り換えて宇野に行き、そこから宇高連絡船
で高松桟橋に着くのがわかりやすかった。

浜やんたちはそのルートで四国に行ってみることを決めた。

続き > 第十八章 泊まった旅館は事故物件 まわりは海で逃げ場なし
―四国・歓楽街―

<前   次>


参考文献

兼松佐知子(昭和62年)『閉じられた履歴書 新宿・性を売る女達の30年』朝日新聞社

木村聡(写真・文)(平成10年)『赤線跡を歩く 消えゆく夢の街を訪ねて』 自由国民社

木村聡(写真・文)(平成14年)『赤線跡を歩く 続・消えゆく夢の街を訪ねて2』自由国民社

澤地 久枝(昭和55年)『ぬくもりのある旅』文藝春秋

清水一行(平成8年)『赤線物語』 角川書店

新吉原女子保健組合(編)・関根弘(編)(昭和48年)『明るい谷間 赤線従業婦の手記 復刻版』土曜美術社

菅原幸助(昭和62年)『CHINA TOWN変貌する横浜中華街』株式会社洋泉社

『旅行の手帖(No・20)』(昭和30年5月号) 自由国民社

 ※近代庶民生活誌14 色街・遊郭(パート2)南 博  三一書房(平成5年6月)

名古屋市中村区制十五周年記念協賛会(編)(昭和28年)『中村区市』(名古屋市)中村区制十五周年記念協賛会

日本国有鉄道監修『時刻表(昭和30年)』日本交通公社

日本遊覧社(編)・渡辺豪(編) (昭和5年)『全国遊郭案内』日本遊覧社

広岡敬一(写真・文)(平成13年)『昭和色街美人帖』自由国民社

※戦後・性風俗年表(昭和20年~昭和33年)

毎日新聞出版平成史編集室(平成元年)『昭和史全記録』 毎日新聞社

松川二郎(昭和4年)『全国花街めぐり』誠文堂

森崎和江(平成28年)『からゆきさん 異国に売られた少女たち』朝日新聞出版

山崎朋子(平成20年)『サンダカン八番娼館』文藝春秋

吉見周子(昭和59年)『売娼の社会史』雄山閣出版

渡辺寛(昭和30年)『全国女性街ガイド』 季節風書店

大矢雅弘(平成30年)『「からゆきさん=海外売春婦」像を打ち消す〈https://webronza.asahi.com/national/articles/2018041300006.html〉令和2年12月14日アクセス 朝日新聞デジタル

※参考文献の他に物語の舞台となっている地などで、話を聞いた情報も入れています。取材にご協力いただいた皆様に感謝いたします。ありがとうございました。

よろしければサポートお願いします。