第二十三章 暴発! リボルバー たった一人の殴り込み(前編)
この物語はフィクションです。登場する団体、名称、人物等は実在のものとは関係ありません。
赤線とはー
性風俗の混乱を恐れた国が慰安所として許可を出した特殊飲食店街。半ば公認で売春が行われ、警察の地図に赤い線で囲ったため、赤線と呼ばれた。ー
―名古屋―
大阪行きの特急「つばめ」が横浜駅を定刻通り発った。乗客でほぼいっぱいに埋まった座席の中に黒いオーバーコートを着込んだ浜やんがいた。
行く先は勿論、名古屋である。
電車に乗る前、浜やんは野毛の街に立ち寄り、黒いオーバーコートを買った。
拳銃をポケットに入れて隠す為である。だが、電車が揺れる度にポケットに隠した拳銃が暴発しないか不安だった。弾は八発装填されている。銃鉄は引いた状態ではなかったが、なにせ銃を持つのは初めてである。
この拳銃をどう使うか。出来れば使いたくないが頭の中はそのことでいっぱいだった。店に乗り込み、その後どう立ち回るかの想定はなかなか思いつかなかった。
ただ…港で鳴らした喧嘩の流儀がある。相手が何人かいた場合、必ずボス格の男を狙い機先を制して叩きのめすと殆どの場合、子分格の男たちが怯んで勝てるのである。
だが、それが赤線の強者たちに当てはまるかどうか。相手も拳銃を持っていることは容易に想像が出来た。
―万が一失敗したら…
そう思うと冷や汗が出てきた。冷や汗は胸のあばら骨のあたりを伝わって腹の方に流れていった。
あれこれ作戦を考えていると電車はあっという間に名古屋に着いた。
赤線が始まる夕刻までにはまだ時間があった。いっそのこと始まる前に乗り込むかとも思ったが、女将がいない可能性もある。狙いは女将につけていた為、やはり店が始まって間もない頃を狙うことにした。
彼は駅前でタクシーを拾い、時間つぶしを兼ねてストリップ小屋に入った。人目につかない暗がりで、とにかく休みたかったのだ。
薄暗い舞台で踊り子が透けたネグリジェを纏い恍惚の表情で腰をくねらせている。浜やんはいちばん後ろの席に座った。座る時、何かの弾みで拳銃が暴発しないようオーバーの上から右手をあてがい細心の注意を払った。
耳をつんざくような激しいマンボの曲が一転、テナーサックスのムーディな曲に変わった。舞台がピンクの淡い照明に変わり、年配の踊り子が一糸纏わぬ白い裸体を客に晒している。これから命を賭けて店に乗り込む男がこうしてストリップに興じている。自分でも不思議な気持ちがした。
舞台に若い踊り子が登場してきた。人気ダンサーなのか、客たちがヤンヤの喝采を浴びせている。セクシーな踊りを披露するのだが、まだ幼さが残る顔立ちが妙にアンバランスだ。
一瞬、マリが脳裏に浮かんだ。舞台は違うもののマリも男たちの遊び道具として生きることを余儀なくされているのか。そう思うとマリが不憫で、今すぐにでも店に乗り込んで救出したい衝動に駆られた。
浜やんは劇場を出た。マリが捕まっている店は歩いても行ける程の距離だったが、顔を見られるとまずいのでタクシーを拾った。
名古屋港近くに点在する歓楽街に灯がともり始めた。浜やんを乗せたタクシーが人影のまばらな通りを流している。浜やんは車窓から、それぞれの店の様子を見ていた。店の軒先に女たちがぽつりぽつりと立ち始めている。
淡いピンクのタイルで玄関を飾った二階建ての洒落た造りの店があった。マリがいる店だ。タクシーがスピードを落とし、ゆっくりと進んで行くと前方にピンクの建物が見えてきた。ブルーのネオン管に虎之介から聞いていた店名が浮かび上がっている。
―あの店だ。マリ、絶対いてくれよ。
店の前にさしかかると入口に女たちの立ち姿はない。戸が閉まり、店はひっそりと静まり返っていた。その店先を通り過ぎ、浜やんは運転手に頼んで近くの路地を回ってもらった。
マリの救出に成功しても逃げる足はタクシーしかない。タクシーの待機場所を探すのだ。路地をぐるぐる回っていると店から少し離れたところに小さな公園があった。
―よし、ここに決めた。ここだったら、店から走って逃げても数分で着く。
公園のまわりをタクシーで一周し、浜やんはもと来た道をいったん引き返した。
運転手に顔を覚えられてしまったので、別のタクシーに乗り換える為である。
近くで別のタクシーを拾った浜やんは先程の公園に向かった。
車中、運転手に
「これから行く公園で十分くらい待っていてくれねえか」
と言いチップを渡した。運転手はしきりに恐縮し、
「公園のところで待ってりゃいいんですね」と念を押した。
「俺か、女か、まぁ二人で乗るから…もしかしたら女が一人で乗るかもしれねえけどよ。必ず待っていてくれよ」
「わかりました」
タクシーは間もなく公園に着いた。運転手が礼を言おうとして、わざわざ車から降りようとした。
「いや、運ちゃん。そのままでいいよ。すぐ戻って来るから、エンジンかけっぱなしにしといてくれ」
浜やんは座ったままの態勢で、運転手にわからぬようオーバーのポケットから拳銃を取り出した。そして撃鉄を引き、引き金を引けば弾が発射される状態にした。弾は八発装填されている。その拳銃を又、オーバーのポケットに隠し車を降りた。
「必ず来るから、待っていてくれよ」
運転手が頷いた。
浜やんはオーバーのポケットに右手を差し込み、銃を握りしめながら店に向かってゆっくりと歩き始めた。
―今更じたばたしても始まらねえや。殺るか殺られるか出たとこ勝負だ…
そう開き直ると自分でも不思議な程、落ち着いた。
店はもう目と鼻の先である。歩きながらあたりを見渡した。うまいことに人影が途絶えていた。店の入口の戸はまだ閉まっている。
浜やんは戸の前に立ち、銃をゆっくりと取り出した。意を決して、片手で戸を開けようとしたが戸の滑りが悪い。今度は両手で戸を支え、思い切り力を込めて開けようとしたのだが戸が勢いよく滑り、がしゃんと音を立てて止まった。
その瞬間、パンパンパン、と銃が暴発してしまった。勢いあまって戸に右手をぶつけ、その弾みで、銃の引き金を引いてしまったのだ。暴発した瞬間、耳が何も聞こえなくなってしまった。
―ヤバイ!
そう思った彼はとっさに店の中へ飛び込んで行った。
驚いたのは中にいた女たちである。
ホールの火鉢にあたっていた女が火かき棒を持ったまま、中腰に固まっている。
もう一人はポカーンと口を開けたままだ。女の側に男がいたが皆ピクリとも動かない。
浜やんが叫んだ。
「マリを連れに来たんだ。出せ!早く」
男が口をパクパクさせて何か言おうとしているが銃口を突きつけられ、恐怖のあまり声が出ない。男が上の方を指差した。
一階には他に誰もいないのを確かめながら、浜やんは靴を履いたまま、一気に階段を駆け上がった。
二階には女たちの部屋がいくつもあった。
女たちは何事かと入口のドアを少しずつ開けて顔を出していたが、浜やんが銃を持ったまま廊下を歩いていくと慌ててドアを閉めた。
突き当たりに障子が開いている部屋があった。部屋に入ると年配の男と女がテーブルを囲んで座っていた。女の顔には見覚えがあった。マリたちを〝売り〟に来た時、応対した女将だった。割腹のいい角刈りの男は女将の男のようだった。その男に銃口を突きつけた。
「マリを連れに来たんだ。マリは何処だ」
続き > 第二十三章 暴発! リボルバー たった一人の殴り込み(中編)
―名古屋―
◆単行本(四六判)
◆amazon・電子書籍
◆作詞・作曲・歌っています。
参考文献
兼松佐知子(昭和62年)『閉じられた履歴書 新宿・性を売る女達の30年』朝日新聞社
木村聡(写真・文)(平成10年)『赤線跡を歩く 消えゆく夢の街を訪ねて』 自由国民社
木村聡(写真・文)(平成14年)『赤線跡を歩く 続・消えゆく夢の街を訪ねて2』自由国民社
澤地 久枝(昭和55年)『ぬくもりのある旅』文藝春秋
清水一行(平成8年)『赤線物語』 角川書店
新吉原女子保健組合(編)・関根弘(編)(昭和48年)『明るい谷間 赤線従業婦の手記 復刻版』土曜美術社
菅原幸助(昭和62年)『CHINA TOWN変貌する横浜中華街』株式会社洋泉社
『旅行の手帖(No・20)』(昭和30年5月号) 自由国民社
※近代庶民生活誌14 色街・遊郭(パート2)南 博 三一書房(平成5年6月)
名古屋市中村区制十五周年記念協賛会(編)(昭和28年)『中村区市』(名古屋市)中村区制十五周年記念協賛会
日本国有鉄道監修『時刻表(昭和30年)』日本交通公社
日本遊覧社(編)・渡辺豪(編) (昭和5年)『全国遊郭案内』日本遊覧社
広岡敬一(写真・文)(平成13年)『昭和色街美人帖』自由国民社
※戦後・性風俗年表(昭和20年~昭和33年)
毎日新聞出版平成史編集室(平成元年)『昭和史全記録』 毎日新聞社
松川二郎(昭和4年)『全国花街めぐり』誠文堂
森崎和江(平成28年)『からゆきさん 異国に売られた少女たち』朝日新聞出版
山崎朋子(平成20年)『サンダカン八番娼館』文藝春秋
吉見周子(昭和59年)『売娼の社会史』雄山閣出版
渡辺寛(昭和30年)『全国女性街ガイド』 季節風書店
大矢雅弘(平成30年)『「からゆきさん=海外売春婦」像を打ち消す〈https://webronza.asahi.com/national/articles/2018041300006.html〉令和2年12月14日アクセス 朝日新聞デジタル
※参考文献の他に物語の舞台となっている地などで、話を聞いた情報も入れています。取材にご協力いただいた皆様に感謝いたします。ありがとうございました。
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