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第九章 店の主人が…「もっとおなごを集めんか」(後編)

この物語はフィクションです。登場する団体、名称、人物等は実在のものとは関係ありません。


赤線とはー
性風俗の混乱を恐れた国が慰安所として許可を出した特殊飲食店街。半ば公認で売春が行われ、警察の地図に赤い線で囲ったため、赤線と呼ばれた。ー


―博多―

 男の方が一枚も二枚も上だった。男は金が欲しい浜やんの胸の内を見透かしていた。
 浜やん、金額に不満は残ったものの、これ以上ゴネると全てパーになる。男には一本取られたが十四万は手に入るのだ。

「…わかった。それでいいや」

 男は浜やんの投げやりな物言いに頷くと席をはずした。

女将が小切手を持って来た。

浜やんはそれを拒否した。小切手だけは勘弁してもらいたい。

「女将さん、こういう紙っぺらってのは俺、田舎もんで駄目なんですよ」

 小切手では銀行にもう一度顔を見せなければならない上、不渡りを掴まされる恐れもあるのだ。

「紙っぺらって、ずいぶん失礼ね」

ここで怒らせるとせっかく決まった話も流れかねない。女将の顔色を見ながら

「いや、そういう意味じゃないんですが…気を悪くしないで下さい。なんなら持ち合わせがなければ」

 そう言ってから、しまったと思った。
 商談が成立した安心感からか、つい口を滑らせてしまったのだ。

「お金がなくて言ってるんじゃないわよ。口の利き方に注意しな」

 女将は、そう言ってテーブルを離れ、裸のままの現金をテーブルに置いた。浜やんは女将が差し出した証書に偽名のサインをし、その金をスーツの内ポケットにねじ込んだ。

 日暮れ前、救助船の虎之介は予定の行動に入った。マリたちをさらって来るため「白鳥」に向かったのだ。名古屋の店の時はマリとちか子から、

「怖いので、もっと早く助けに来て欲しい」

と、猛攻撃を受けている。彼女たちの不安を取り除く為にも早く姿を見せてやりたい。虎之介は「白鳥」の開店時間より、一時間も早くから店の周辺をうろうろしていた。誰かが客として入ろうものなら、割り込んで店に入るつもりだ。

 虎之介を送り出した浜やんは気が気ではなかった。あの男の存在である。女将が交渉相手に呼んできた男だ。既に犯行を見透かされているのでは…という不安が頭から離れないのだ。
 あの男は闇の世界に生き、裏の裏まで知り尽くしている筈だ。浜やんたちの手口など簡単に見破り、それを承知でマリたちを買ったのかも知れないのだ。
 だとしたら…虎之介が店に入った時、まんまと相手の罠にはまってしまう。勿論、虎之介にはそのことは伝えてあったが…

 ―うまく逃げて来てくれ、虎。ヘマするんじゃねえぞ。

 虎之介を送り出してすぐに浜やんは旅館を出て駅の方に歩き始めた。だが、やはり三人のことが気になって仕方がない。逃げるのは必ずしも博多駅からの電車でなくてもいい。場合によっては一駅か二駅タクシーで逃げて、その後電車に乗ってもいいのだ。
 浜やんは予定を変更して、途中でタクシーを拾い、マリたちのいる「白鳥」の方に向かった。

 既に面が割れているので店の近くまでは行けない。タクシーを降り、少し離れたところから浜やんは店の様子をうかがった。
 すると店の前の通りを行ったり来たりしている男がいた。虎之介だ。彼は店に入るタイミングを伺っているのだ。
 物陰に隠れて、しばらくその様子を見ていた。通りがうっすらと暮れなずみ、それぞれの店の前で客引きをする娼婦たちが一人、また一人と増え出した。

 ―そろそろだな…

そう思っていると虎之介が意を決して、店に入って行くのが見えた。顔がバレないよう気をつけて、浜やんは店の近くまで歩を進めた。
 虎之介が店に入って、五分、十分と経ったが店は不気味な程、静まり返っている。犯行がバレれば、騒ぎになる筈だ。ということは女将たちは気がついていないのかも知れない。そう思うと楽になった。
 浜やんは、いったん店から離れ、先程までいた物陰に又隠れた。
三、四十分は経っただろうか。虎之介がマリとちか子を連れて、店を出て来るのが目に入った。

 ―おっ、安全パイだ。肝冷やしたぜ。
浜やんは先回りして博多駅に向かった。

 名古屋に続き、又、成功した四人は博多駅で合流し、鹿児島本線の下り電車の切符を買った。再び電車での逃避行が始まるのだ。名古屋の時は初めてだったので慌てて電車に飛び乗ったが今度は発車ぎりぎりまで追っ手を警戒し、ホームの人の動きに目を配らせた。

 一気に遠くまで逃げたかったが、一つだけ誤算があった。特急や急行といった都合のいい電車がなかったのだ。博多を十九時過ぎに発った電車は竹下、雑餉隅、水城と七、八分おきに各駅に停まる。その後、久留米を経て、終点の熊本に深夜の十一時過ぎに着く。各駅に停車する度に浜やんと虎之介は席を立って、乗り込んで来る客の動きを逐一警戒した。

 ―敵はわざと逃がして四人一緒に捕まえるつもりかも知れない…

 という想いは、まだ完全には消えていない。徐々に博多から遠ざかってはいるものの、各駅停車での逃避行である。なんともじれったい想いで焦りが倍加した。今のところ追っ手の姿はない気配だが、騙されたことに気づいた店側が各地に散らばるワルの組織などに連絡を入れ、不意に乗り込んで来るかも知れないのだ。
 そう思うと体中がじっとりと汗ばんできた。浜やんはたまらず席を立った。

 通路を急ぎ足ですり抜け、別の車両のトイレに入った。そしてバックから注射器とカプセルを取り出し、注射器の針を腕に刺した。覚せい剤のヒロポンである。
 しばらくの間、トイレの壁に背を預け、揺られていると体中の力が抜けるような気がして落ち着いた気分になった。彼は大きく息を吸い、一気に吐き出した。

 博多を出発して、一時間ちょっとで久留米に着いた。念の為、浜やんたちは目を凝らして身構えたが、夜行電車なので乗り込んで来る客もまばらだった。特に不審な動きをする者もいない。
 数分のインターバルを置いて、電車は再び熊本に向け出発した。もう殆ど安全圏だ。
離れて座っていた虎之介たちが浜やんたちの座席に移動して来た。

「浜よ、おまえ、〝博多の女将に見破られているかも知れない〟って言っていたから、内心ヤバイなと思っていたけど、意外な程あっけなかったぜ」

「あぁ、心配させて悪かったなぁ。俺もこんなにうまく行くとは思わなかったよ」

「こうなりゃ、全国制覇も夢じゃねぇな」

 連戦連勝の自信からか、虎之介のボルテージは上がっている。そんな虎之介に浜やんが釘を刺した。

「虎、なんか勘違いしてねえか。もう少し押さえてくれよ。俺たちゃ、お天道様の目を盗んでこそこそやることに意味があるんだ。おまえはやることなすこと豪快で派手すぎるんだよ」

「なんだい、又、説教かよ」

「いや、説教じゃなくて…船が安全に航海する為の、キャプテンからの指示だと思ってくれよ。自信持つことはいいことだけどよ」

「…わかったよ」

浜やんに嗜められた虎之介はふてくされている。気まずい沈黙を見かねたちか子が、バックから甘納豆を取り出し、皆に勧めた。

「これ食べない。疲れた時には甘納豆。楽しい時にも甘納豆なぁんちゃって」

 マリが呆れ返っている。

「又、甘いもの?ちかちゃん食べ過ぎじゃない」

「ぜーんぜん平気。私、甘いものとお茶がなくちゃ死んじゃうもん」

 マリが男たちに聞いて来た。

「これからどうするの?何処まで行くのよ」

 虎之介が又気勢を上げた。

「決まってらぁ。鹿児島までノンストップよ」

「だって、この電車熊本で終点よ」

「あれ、そうだっけ?」

 虎之介は車両に貼ってある鉄道地図を見に行き、席へ戻って来た。

「熊本で乗り換えて、鹿児島まで行っちゃおうぜ。俺、一度も行ったことねぇんだ。なんてったって、本州の最南端だからよ。桜島ダイコン見てみたいぜ」

 そう言いながら、虎之介がちか子の足をさすったので、ちか子が「キャー」と叫び、笑い声が弾けた。

続き > 第十章 鹿児島で …「いつまでやるの、こんなこと」
―鹿児島―

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参考文献

兼松佐知子(昭和62年)『閉じられた履歴書 新宿・性を売る女達の30年』朝日新聞社

木村聡(写真・文)(平成10年)『赤線跡を歩く 消えゆく夢の街を訪ねて』 自由国民社

木村聡(写真・文)(平成14年)『赤線跡を歩く 続・消えゆく夢の街を訪ねて2』自由国民社

澤地 久枝(昭和55年)『ぬくもりのある旅』文藝春秋

清水一行(平成8年)『赤線物語』 角川書店

新吉原女子保健組合(編)・関根弘(編)(昭和48年)『明るい谷間 赤線従業婦の手記 復刻版』土曜美術社

菅原幸助(昭和62年)『CHINA TOWN変貌する横浜中華街』株式会社洋泉社

『旅行の手帖(No・20)』(昭和30年5月号) 自由国民社

 ※近代庶民生活誌14 色街・遊郭(パート2)南 博  三一書房(平成5年6月)

名古屋市中村区制十五周年記念協賛会(編)(昭和28年)『中村区市』(名古屋市)中村区制十五周年記念協賛会

日本国有鉄道監修『時刻表(昭和30年)』日本交通公社

日本遊覧社(編)・渡辺豪(編) (昭和5年)『全国遊郭案内』日本遊覧社

広岡敬一(写真・文)(平成13年)『昭和色街美人帖』自由国民社

※戦後・性風俗年表(昭和20年~昭和33年)

毎日新聞出版平成史編集室(平成元年)『昭和史全記録』 毎日新聞社

松川二郎(昭和4年)『全国花街めぐり』誠文堂

森崎和江(平成28年)『からゆきさん 異国に売られた少女たち』朝日新聞出版

山崎朋子(平成20年)『サンダカン八番娼館』文藝春秋

吉見周子(昭和59年)『売娼の社会史』雄山閣出版

渡辺寛(昭和30年)『全国女性街ガイド』 季節風書店

大矢雅弘(平成30年)『「からゆきさん=海外売春婦」像を打ち消す〈https://webronza.asahi.com/national/articles/2018041300006.html〉令和2年12月14日アクセス 朝日新聞デジタル

※参考文献の他に物語の舞台となっている地などで、話を聞いた情報も入れています。取材にご協力いただいた皆様に感謝いたします。ありがとうございました。

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