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第十章 鹿児島で …「いつまでやるの、こんなこと」

この物語はフィクションです。登場する団体、名称、人物等は実在のものとは関係ありません。


赤線とはー
性風俗の混乱を恐れた国が慰安所として許可を出した特殊飲食店街。半ば公認で売春が行われ、警察の地図に赤い線で囲ったため、赤線と呼ばれた。ー


―鹿児島―

 四人は熊本で急行「筑紫」に乗り換え、一路南下して行った。寝台でおよそ四時間半仮眠をとり、明け方の六時前に鹿児島に着いた。
 時間が時間なので駅近くの旅館は全部閉まっていた。その中の一軒に無理を言って頼み込み、開けてもらった。宿の主人は眠い目をこすりながら仏頂面で起きてきたが、浜やんが宿泊代にチップを弾むと急に愛想が良くなった。旅の疲れも手伝って、四人は用意された布団に潜り込み、あっという間に眠り込んだ。

 次の日、日が沈む前に浜やんは一人で赤線街の下見に出掛けた。宿を出ると今朝は疲れていて気がつかなかった桜島がそびえている。街の中心街である天文館通りの、ちょうど突き当たりに赤線街があった。以前は沖の村遊郭だった辺りだろうか。
 ざっと見渡したところ、二十数軒の店が舗装されていない泥んこ道に並んでいる。
薩摩女たちが店先に出始めていた。浜やんはその通りを歩いて行こうとしたが、急に足を止めた。

 ―待てよ…ここはヤバイな。一発で顔を覚えられてしまう。

 南国独特ののどかさと赤線街全体の規模の小ささが犯行をためらわせたのだ。これでは逃げるのも大変だ。
 せっかくやって来た鹿児島だったが彼は即中止を決めてしまった。宿に引き返し皆に説明すると、もともと危険な橋を渡りたくない仲間たちは中止にホッとし、もう一泊して市内観光をしてから帰ろうということになった。
 シルエットに姿を変えた桜島が、なだらかな裾野を海に落としている。ところどころに灯影が揺れる夜の海は水面をゆったりと休めているかのようだ。
 夕食後、マリと浜やんは錦江湾の湾岸を散歩した。

「マリ、今日はゆっくり休んで。早いとこ鹿児島から引き揚げようぜ。それで…戻る途中、何処でやるかはその時の閃きで決めるから。安全だと思えばやるし…」

「ねえ、丈二…」

 マリは二人になると浜やんをそう呼んでいた。

「いつまでやるつもりなの、こんなこと」

「俺はある程度、銭が貯まった時が潮時と思っているけど」

「今すぐとは言わないけど、早く止めようよ」

「何件かやってみて、俺もそれは感じている。まぁ、銭が貯まったとか関係なしにその前に止めなきゃいけねえ時が来るかも知れねぇな。どこかで俺たちのことが知れ渡って、もっともっとヤバくなって来るだろうし。だからヤバイと思ったら遠慮しねえで言ってくれないか。機転利かせて」

「…わかった。実はね、今、家に五千円仕送りしているんだ。前は月給七千円だったから、そんなに送ってあげてなかったけど…いや私のことはいいの。ちかちゃんのことなの。仕送りしてないと思うんだ。虎さんにお金とられちゃって」

 マリに言われるまでもなく、それは浜やんも薄々感じていた。赤線から巻き上げた金はきっちり四人で分け、食費などは浜やんが払ってやったが、電車代や旅館の宿泊代などは割り勘で払うことに決めていた。
 名古屋、博多と成功し、どう考えてもそれぞれ金は持っているはずだがよほどギャンブルにつぎ込んでいるのか、虎之介はちか子から金を借りているようだった。

「私、見ちゃったの。旅館の廊下で虎さんがちかちゃんにお金をせびっているの。ちかちゃん可愛そうよ。ねぇ、丈二、虎さんに言ってあげなよ」

「そうだなぁ、虎のパチンコ代に消えちゃうんじゃ、こんな危ない真似して金貯めている意味がないもんな」

「ほんとよ」

「わかった。時期を見て虎に言うよ」

「うん。そうしてあげて」

 浜やんが話題を変えた。

「マリ、これから先のことだけどさ」

 マリは二人の将来のことだと思った。

だいぶ前に浜やんから結婚を仄めかされてはいるが、赤線荒らしの旅が始まってからは二人の将来のことなど何処かへ消えてしまっていたのだ。浜やんの言葉を信じて、こうして命を賭けているのだったが…

「九州でもう一軒やりたいんだ。どこでやるかは電車に乗ってから決める。その後は…」

 そんなマリの心情も知らずに浜やんは次の決行地を何処にするかで頭がいっぱいだ。
 期待を裏切られたマリがわざと皮肉っぽく言った。

「なあんだ。これから先のことって言うから、てっきり独立記念日のことかと思ったわ」

「独立記念日?」

「そう。ほら、前に皆で江の島の旅館に集まった時、ある程度お金が貯まったら派手に独立記念日を祝って、それぞれの道に進もうって言ったじゃない」

「ああ、思い出した。確か俺、そう言ったよなぁ」

「その時、こうも言ったのよ。結婚するのもいいしって…覚えている?」

「言った。言った」

「ならいいけど…いや、良くないんだ。丈二、まさか私を何処かの店に売り飛ばして、それっきり、なんて考えてないよね」

「あったり前だろ。そんなこと考えたこともねぇ。もっと俺を信用しろよ」

「信用はしてるつもりだけどさ。こんなことやっていると疑ったりする気持ちにもなるのよ。名古屋の時も博多の時も助けに来る間、もし来なかったらどうしようってそればかり考えていたんだ」

「…」

「電車で逃げている時だって怖いよ。見つかったら最後だもん」

「…わかった。とにかく俺を信じて、九州でもう一回やろう。そしたら、いったん横浜に戻ってゆっくり話そうや。俺、横浜で失業保険もらわなくちゃいけねぇから」

「失業保険?」

「そう、労働者が失業している訳だから、国が面倒を見るのは当たり前ですから。それに皆の為にも金は出来るだけあった方がいいからね」

「丈二もちゃっかりしてるわね」

 マリの言う通りだった。赤線の女将たちを手玉に取り、金をせしめる一方で失業保険までもらっているとは、浜やんどこまでも抜け目がない。詐欺師の面目躍如である。

 翌日、鹿児島駅から電車に乗る前、時間があったので四人は駅近くの土産物店を覗いた。
 虎之介が桜島ダイコンを見つけ、びっくりしている。

「すげえよ。この大根」

 直径三十センチ程はあるカブのチャンピオンみたいな大根だ。実際に見るのは皆初めてである。人の良さそうな店主が店頭に出て来た

「この大根はおいしいですよ。どうですか、お土産に」

「だけどよ。これどうやって大根おろし作るんだ?」

「?…」

続き >第十一章 祭ばやしが聞こえる街で"極道の店"に…(前編)
―久留米―

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参考文献

兼松佐知子(昭和62年)『閉じられた履歴書 新宿・性を売る女達の30年』朝日新聞社

木村聡(写真・文)(平成10年)『赤線跡を歩く 消えゆく夢の街を訪ねて』 自由国民社

木村聡(写真・文)(平成14年)『赤線跡を歩く 続・消えゆく夢の街を訪ねて2』自由国民社

澤地 久枝(昭和55年)『ぬくもりのある旅』文藝春秋

清水一行(平成8年)『赤線物語』 角川書店

新吉原女子保健組合(編)・関根弘(編)(昭和48年)『明るい谷間 赤線従業婦の手記 復刻版』土曜美術社

菅原幸助(昭和62年)『CHINA TOWN変貌する横浜中華街』株式会社洋泉社

『旅行の手帖(No・20)』(昭和30年5月号) 自由国民社

 ※近代庶民生活誌14 色街・遊郭(パート2)南 博  三一書房(平成5年6月)

名古屋市中村区制十五周年記念協賛会(編)(昭和28年)『中村区市』(名古屋市)中村区制十五周年記念協賛会

日本国有鉄道監修『時刻表(昭和30年)』日本交通公社

日本遊覧社(編)・渡辺豪(編) (昭和5年)『全国遊郭案内』日本遊覧社

広岡敬一(写真・文)(平成13年)『昭和色街美人帖』自由国民社

※戦後・性風俗年表(昭和20年~昭和33年)

毎日新聞出版平成史編集室(平成元年)『昭和史全記録』 毎日新聞社

松川二郎(昭和4年)『全国花街めぐり』誠文堂

森崎和江(平成28年)『からゆきさん 異国に売られた少女たち』朝日新聞出版

山崎朋子(平成20年)『サンダカン八番娼館』文藝春秋

吉見周子(昭和59年)『売娼の社会史』雄山閣出版

渡辺寛(昭和30年)『全国女性街ガイド』 季節風書店

大矢雅弘(平成30年)『「からゆきさん=海外売春婦」像を打ち消す〈https://webronza.asahi.com/national/articles/2018041300006.html〉令和2年12月14日アクセス 朝日新聞デジタル

※参考文献の他に物語の舞台となっている地などで、話を聞いた情報も入れています。取材にご協力いただいた皆様に感謝いたします。ありがとうございました。

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