見出し画像

第十一章 祭ばやしが聞こえる街で"極道の店"に…(後編)

この物語はフィクションです。登場する団体、名称、人物等は実在のものとは関係ありません。


赤線とはー
性風俗の混乱を恐れた国が慰安所として許可を出した特殊飲食店街。半ば公認で売春が行われ、警察の地図に赤い線で囲ったため、赤線と呼ばれた。ー


―久留米―

 あれは船員時代のことだったー一度だけドスを抜いて喧嘩をしたことがある。飲み屋で愚連隊風の六人に絡まれた時だ。浜やんが店の女のコたちとふざけ合っていると、男たちが因縁をつけてきた。

「兄さん馬鹿に威勢がいいじゃねえか」

男たちは浜やんのテーブルに清酒の一升瓶をドンと置いた。ビール瓶が一斉にひっくり返り、床に落ちて割れた。ホステスたちが悲鳴を上げて逃げていった。

「豚に飲ませんじゃあるめえし、あっちへ持ってけ。こんなもん」

「何をこの野郎。表へ出ろ!」

「馬鹿野郎。いちいち表になんか出られるかよ」

 言うが早いか、浜やんは上着の内ポケットからドスを抜き、相手に斬りつけたのだ。ボール紙にテープを巻いて作ったサヤがドスを抜いた瞬間、うまい具合に吹っ飛び、刃が相手の右腕をかすめた。
男は「あっ」と言ったきり、ピクリとも動かない。上着の袖がダラリと落ちた。肉がパックリ開いて鮮血が飛び散った。

「俺は、そんなつもりじゃねえ…」

 男は恐怖に引きつった顔をしていた。浜やんの勝ちである。ドスの威力は絶大だった。
 マリたちを助けに行く時間が迫っていた。

「浜、気をつけろよ」

 虎之介の声援を受けて、浜やんはマリたちのいる店に向かった。途中、タクシーを拾い、車中で何度もドスを確認した。赤線街の近くでタクシーを降りると自然と早足になった。店の看板に何と書かれているのか一刻も早く見たいのだ。
店がだんだんと近づいてきた。店の前に立った浜やん、看板を食い入るように見た。
看板には『瀬の下カフェ協同組合』と書いてあった。その途端、浜やんは急に肩の力が抜け、その場に立ち尽くしてしまった。

 ―このことを言ったんだな、あの野郎。冗談じゃねぇや。こんな看板だったら、その辺にいくらだってかかってらぁ…。

 虎之介は協同組合の看板を暴力団の看板と間違えたのだ。
 気がつくと店の中から年配の女が覗いていて声をかけて来た。

「あら、何?」

我に返った浜やんは

「いやぁ、遊び遊び」

と言いながら店の中に入っていった。開店までにはまだ時間があった。心配するあまり早く来すぎてしまったのだ。数人の女たちがホールや座敷の掃除をしていた。マリたちを探したが姿はなかった。間が持てなくなった浜やんが年配の女に尋ねた。

「どうですかね。景気は?」

「いい時と悪い時があってさ。この商売は」

「本当、俺も飲食業って、好きでやりたかったんだけどよ」

「見た感じ、あんたなんか結構向いてそうよ」

「こりゃ、どうも。ところで、もっといないのこれ?」

浜やん、小指を突き立てた。

「この時間じゃ。まだ、出揃ってないのよ」

「何かやってんだ…」

「お風呂行ったりしているのよ。皆」

「あっ、そう。じゃあ、もう少し後で来るわ」

 店を出て通りをぶらぶらしているとこっちに向かって歩いて来る、風呂帰りのマリとバッタリ逢ったが、店の誰かに気づかれてはまずい。浜やん店の方を振り返って、店先に誰もいないのを確かめるとマリの方に近づいて行った。

「ちか子はどうした?」

「今、頭洗ってるよ」

「もう少し後で行くから用意しとけよ」

「早くしてよ」

「オッケー」

 手短かに会話を交わすとマリは店の方へ歩いて行った。ラーメン屋で時間をつぶしていると日がだいぶ暮れて来た。
浜やんは再び店に入って行った。

「よっ、どうも…俺泊まるからよ」

 先程の年配の女は女将のようだった。
店の中を見渡すと女たちに混じって、マリとちか子が座敷にちょこんと座っていた。浜やんはちか子を指名した。ちか子は女将に何か言われた後で、浜やんを二階の部屋へ案内した。
 階段を上って行くと廊下を挟んで部屋が並んでいた。二人は部屋へ入って行った。

「ずいぶん早いね。お客さん」

「ああ…案外綺麗な部屋だけどよ、何にもねえな」

「そう…私、今日入ったばかりなの」

二人は部屋のドアを少し開けて、外に聞こえるようにわざと大きな声を出し合った。
浜やんがドアを閉めてちか子に近づいた。

「出るぞ!六時の汽車で逃げるからよ。先ずは泊まりの金払って来い」

ちか子は浜やんからもらった金を持って一階の帳場へ降りて行った。

「良かったね。こんなに早く泊まりがついちゃってさ」

 下から女将の声が聞こえて来た。ちか子が部屋に戻って来たので浜やんは声を潜めた。

「ところでちか子、おまえらを売った金は持ってるだろうな」

「うん、持ってるわよ。マリちゃんと四万円ずつ…」

「そうか、安心したぜ」

 ちか子とマリの貞操の危険もさることながら、もう一つお金も心配だったのだ。相手はやり手の女将である。だが二人に手渡されているのを確認し、浜やんはホッとした。
後はマリとちか子をどう脱出させるかである。

「ちか子、いいか次はこう言え『外へ出ていいですか。お客さんが映画を見に行こうって言ってくれたので』って」

「エッ、私が」

「そうだよ。ちか子が言わなきゃ、しょうがねえじゃないか。俺が言うの?」

「そのほうがいいと思うよ…」

「そうか。じゃ俺が女将に言うか。ちか子はマリに言えよ」

「私が?」

「当たり前だ。俺がマリに言ったらおかしいよ」

「何て言えばいいの?」

「ん、だから…お客さんがお友達も連れて来な、『その分金払うからって言ってます』って言えばいいんだ」

「わかった」

「ただ、まだちょっと時間が早すぎるから、もう少しここにいよう。部屋に入って、すぐ出るのもおかしいしな」

「その間、何すんのョ」

 ちか子が身構えた。

「おい、勘違いするなよ。何もしねえよ」

 浜やんはタバコを取り出し一服した後で、しばらくの間、ベッドに寝転んでいた。

「マリは何処の部屋だ?」

「前の部屋よ」

「まずいから、ドアを少し開けておくか」

 マリにはまだ客がつかないにしても自分の部屋を覗きに来て、ちか子の部屋が静まり返っていたら不審に思うかも知れない。
マリに妙に勘ぐられてはチームプレーにヒビが入るのだ。浜やんが時計を見た。

「そろそろ行くぞ、いいな」

 ちか子が頷いた。
浜やんは浴衣のまま部屋を出て、階段を下りながら女将に声をかけた。

「おーいママ。まだ時間が早いからよ。俺、映画でも行ってくらぁ。いちばん近い映画館何処よ?」

「映画館?この前の道をまっすぐ行ってさ。少し距離あるよ」

女将が丁寧に教えてくれた。

「じゃあ、タクシー呼んでもらうか」

「いいわよ」

「おい、彼女!行こうか」

二階を見上げてこう叫ぶと階段を降りようとしているちか子がタイミング良く答えた。

「お友達も連れてっていい?」

「おういいよ。二人でも三人でも…でもちょっと待ってくれ!」

浜やんは財布を覗き込む真似をした。

「二人も三人もじゃ駄目だ、一人だけならいいや」

 ちか子は浜やんに言われた通り、大きな声で
「一緒に行こう」
とマリを誘った。

何も知らない女将はちか子に初めてお客がついたので上機嫌である。
浜やんはマリの遊び代として更に千円を払った。お釣りがあったがそれを断りチップとして女将にあげると女将は愛好を崩した。

「お土産買ってきてやろうか、女将さん。何がいい?」

「そうね、じゃあお好み焼きでも買ってきてもらおうか」

「よし、わかった」

 浜やんが女将と話していると他の女たちが寄ってきた。

「私も連れてってよ」

「ちょっと待ってくれ。銭が足りねぇんだ。お土産買ってきてやるから、我慢しろよ」

女将は浜やんを信じて疑わなかった。

「もうすぐタクシー来るよ」

「あっ、そう。みっともねえな浴衣じゃ。俺、着替えてくらぁ」

 彼はいったん部屋に戻って着替えてくるとちか子とマリを連れて店の前に止まっているタクシーに乗り込んだ。
タクシーが発車すると浜やんは肩で大きな息をつき、運転手に気づかれないように二人の顔を交互に見て、ウインクした。

 ―もう大丈夫だ。

 三人は映画館をちょっと過ぎたあたりでタクシーを降り、別のタクシーに乗り換えて虎之介の待つ久留米駅へ向かった。約束の時間よりかなり遅れてしまったが電車の時間にはまだ間に合う。

 駅に着いた三人は虎之介の姿を探した。だが彼の姿がない。虎之介は相手が極道だと信じ込み、追っ手を警戒して物陰から三人の様子をうかがっていたのである。
 駅の待合所で虎之介を待っていると、やがて彼が駆け込んで来た。

「浜、追われてねえか?」

「ああ、大丈夫だ」

 浜やんたちは虎之介が用意した切符を受け取り、急いで改札口を出た。
 東京行きの上り急行「きりしま」が午後六時一分、定刻通り久留米駅を発車した。
追っ手は誰もいない筈だ。だが用心するに超したことはない。

続き > 第十二章 酔った社長が隣席に「日本はこれから… 」
―急行「きりしま」の車中・博多・門司・下関―

<前   次>


参考文献

兼松佐知子(昭和62年)『閉じられた履歴書 新宿・性を売る女達の30年』朝日新聞社

木村聡(写真・文)(平成10年)『赤線跡を歩く 消えゆく夢の街を訪ねて』 自由国民社

木村聡(写真・文)(平成14年)『赤線跡を歩く 続・消えゆく夢の街を訪ねて2』自由国民社

澤地 久枝(昭和55年)『ぬくもりのある旅』文藝春秋

清水一行(平成8年)『赤線物語』 角川書店

新吉原女子保健組合(編)・関根弘(編)(昭和48年)『明るい谷間 赤線従業婦の手記 復刻版』土曜美術社

菅原幸助(昭和62年)『CHINA TOWN変貌する横浜中華街』株式会社洋泉社

『旅行の手帖(No・20)』(昭和30年5月号) 自由国民社

 ※近代庶民生活誌14 色街・遊郭(パート2)南 博  三一書房(平成5年6月)

名古屋市中村区制十五周年記念協賛会(編)(昭和28年)『中村区市』(名古屋市)中村区制十五周年記念協賛会

日本国有鉄道監修『時刻表(昭和30年)』日本交通公社

日本遊覧社(編)・渡辺豪(編) (昭和5年)『全国遊郭案内』日本遊覧社

広岡敬一(写真・文)(平成13年)『昭和色街美人帖』自由国民社

※戦後・性風俗年表(昭和20年~昭和33年)

毎日新聞出版平成史編集室(平成元年)『昭和史全記録』 毎日新聞社

松川二郎(昭和4年)『全国花街めぐり』誠文堂

森崎和江(平成28年)『からゆきさん 異国に売られた少女たち』朝日新聞出版

山崎朋子(平成20年)『サンダカン八番娼館』文藝春秋

吉見周子(昭和59年)『売娼の社会史』雄山閣出版

渡辺寛(昭和30年)『全国女性街ガイド』 季節風書店

大矢雅弘(平成30年)『「からゆきさん=海外売春婦」像を打ち消す〈https://webronza.asahi.com/national/articles/2018041300006.html〉令和2年12月14日アクセス 朝日新聞デジタル

※参考文献の他に物語の舞台となっている地などで、話を聞いた情報も入れています。取材にご協力いただいた皆様に感謝いたします。ありがとうございました。

よろしければサポートお願いします。