見出し画像

【しくじり社長】24才で月収1300万の青年実業家から経営不振で大借金、自殺未遂3回もギリギリ死ななかった話

20〜23歳のときネットワークビジネスの会社で商材売りまくって、20歳そこそこで最高月収130万達成。
実は、それが詐欺会社で全部失った。穂苅社長の波乱万丈が前回でした。

今回は、穂苅社長が23〜26歳にかけて、また一気に儲かって、一気に地獄を落ちた実体験。社長のしくじり話を語っていただきました。

24才 起業2年で大成功の青年実業家に

坂田:最先端の携帯電話ビジネスを24才で起業して、これがかなり儲かったんですよね?

穂苅:儲かりました〜。
一番最初にやったのが東京デジタルホン(現在のソフトバンク)の予約の受注1台契約して8万円いただいてました

坂田:最高はいくらぐらい?

穂苅:一番最高で月に1300万円。いただいたことがありました

坂田:それは何歳のとき?

穂苅:起業して間もない24歳になるかならないかくらいのとき。
当時の自分の感覚は 正しいことでないが有限会社の社長で
「会社の金は自分の金」みたいな意識で非常に低いモラルしかなかったです。

坂田:20歳でネットワークビジネスやって 、月収130万達成と思ったら全部なくなって、また再起して24歳で月収1300万の青年実業家として返り咲きですか。

穂苅:これは非常に高い満足感・達成感がありまして、オフィスが埼玉の草加市、東京の八丁堀駅近く、愛知県の岡崎、名古屋の駅裏の4拠点あって、電話やコピー機があってスタッフがいて、会社として固定費がかかっていることで
「実際の会社を経営してるんだ」という気分になり調子に乗っていましたね。

↓本記事の動画版はこちら↓

携帯電話のインセンティブが80分の1に…

坂田:天国に行ったと思いきや 地獄にまっしぐら、ということなんですけど。

穂苅:一番最初の(一台契約で)8万円が最高金額で、それ以降携帯電話の販売手数料は乱高下した。
1万5千円貰えたかと思えば翌月2000円とか1000円とかね。

坂田:8万円のインセンティブが1000円になったら、売り上げは80分の1ってこと。それはやっていけないんじゃ?

穂苅:テレアポでね スタッフが一生懸命売りにいって、営業マンが契約取りにいくみたいな動き。
しかし、固定費が圧迫して 資金繰りは途端に厳しくなりましたね。

転がるように悪化していく経営状況

穂苅:経営はどんどん悪化していきました。
ただ 自分の中のプライドですよね。
やっと手に入れた社長の地位・実績にしがみつき、なんとかお金を捻出しなければということで。
そういうときに 儲かる話とか魅力的な商売。
お金を貸してくれる。
融資・投資をしてくれる。
そういう話が面白いくらいに舞い込んでくる、次から次へとそういうことに手を染めていきました

坂田:それはいわゆる「絶対儲かる、絶対儲からない話」…

穂苅:そうなんです。
そして、資金繰り銀行などは早々に借りられなくなったので、お金を投資みたいな形で用意してくれる人がいるとか、いろんな誘惑
「穂苅さん困っているならこんな人がいる」
と言われて会いに行ってお金を借りたり、そんなことをするようになっていった。
その時の自分は本当に盲目ですね。自分が手に入れた社長の地位を失いたくなかった。
最後は 東京にお金を貸してくれる方がいるということで これがマズいお金でした。

坂田:闇金・サラ金といった、いわゆるそういう筋からも借りてしまったわけですね。

穂苅:そうです。この取り立てや色んなことが厳しくて、さらに転げ落ちるかのように悪循環に陥ったんです。

坂田:そうなると精神状態もかなり悪くなっていくと
思うんですけど。

穂苅:本当に思い詰めて 追い込まれて。
どうしてもある期日に数百万用意しなきゃいけなくて、あたれる所はあたって もう打つ手はない。
最後の頼ったのが、一緒にやっていた仲間。彼らは途中で独立したんです。
私が色んなことに手を出して、「この会社ヤバいぞ」ということになって、言い方悪いですけど、 いいとこ取りみたいな感じで独立されて。そこはうまくいっていたんですね。
それで、頼めば助けてくれると思って行ったら、「知るか!」と塩でも撒かれる勢いで追い返されて。
本当に打つ手がなくなったと思って。僕はそのとき 死のうと思ったんです。

追い込まれ自殺未遂3回の顛末

そのオフィスが12階でしたけど、当てつけの意味も込めてそのビルから飛び降りようと。
手すりから下眺めて、こういったら死ねるかなということをシュミレーションして、タバコを1本吸って 手をかけていこうとしたら、携帯電話が鳴ったんですね。
どうしようかなと思っていたら 電話が切れて。
一呼吸ついているうちにすぐ電話が鳴って出てみたんです。そしたらネットワークビジネス時代にお世話になった社長さんでした。
僕の状況が大変だというのは知ってはいて、そこまで追い詰めてることは知らなかった。
「今どうしてるんだ」と聞かれて
「実は今こういう状況で…」と話したら、渋谷駅近くの銀座ルノワールで待ち合わせして、その方わざわざ来てくださって。
その方がそのとき必要だったお金を用立ててくれて、命拾いしました。

でも、まだまだ厳しい状況が続いて、行き詰まって どうにもならなかったとき、新宿で占い師が道にいて、占ってもらった。
その占い師が僕に「あんた子供産まれるね」って言ったんです。
23歳独立して間もないときにスタッフだったのが家内で、それでデキ婚で結婚していたんです。
占い師が
「とにかく子供産まれるね。子供が産まれたら あんたの運は良くなるから。とにかく子供が産まれるまで頑張れ」
とそう言われた。

とにかく子供が産まれるまでだと思って頑張って、本当に待望の長男が産まれて、絶望の中にいたが嬉しくて泣けて。この子のためなら命も捨てられると、そう思った。
そして、これから良くなっていくんだと信じて、色んなアクションを起こしたが どうにもならなかった。

そんなことで状況が変わらない中で、女房も子供を連れて実家に帰ってしまった。
である日疲れて家に帰って、そのとき2回目の自殺未遂です。
電気をつけられないんですね。借金取りが怖くて。
暗い部屋の中に長男が寝ていたベビーベッドがあって、長男のグッズがあって、それを見ながら
「結局こんなに待って やっと産まれた息子もいなくなった」
「生きている意味も必要もない」
とベランダから飛び降りて死のうと思った。
1月だったので 空気が澄んでいて、オリオン座を眺めながらタバコを吸ってそのままいこうと思ったら、夜中の1時くらいに家内が突然帰ってきた。
それで2回目の命拾いをしたんです。

で、命拾いしたんですけど、状況は良くならず。
3回目の自殺未遂は名古屋駅で電車に飛び込もうとした。
もう全て終わりにしようと 意識朦朧としながら一宮方面から来る電車に飛び込もうと、フラっとなりかけたときに携帯が鳴って、ハッと目が覚めて タイミングがずれた。
ヨロヨロっとして様子がおかしかったので、駅員さんに駆け寄られて ホームに座って電車を何本も見送った。
電話が鳴っては切れて 鳴っては切れて。電話に出てみたら実家の母親で「変なこと考えるんじゃないよ」と。

その電話に出て 母の声を聞いたときに、3回(の自殺未遂)とも寸前で命拾いして、人間は勝手に生きているのではなく見えない大きな力が働いているんじゃないか。
自分は生かされているんじゃないか。
死ぬことを自分で選択してはいけないのでは。
と怖い気持ちにもなって それからは開き直って、やるべきことをやっていこうと決心したんです。

強くありたい経営者こそ実は弱い

坂田:危機的な状況になったとき、穂苅さんの場合も借金がまだ数百万で傷が浅いときに、親類縁者なり 仲のいい社長さんに土下座して「助けてください」と言えば 出してくれて、借金が膨らむことなく踏みとどまっていたのでは?

穂苅:それは本当にその通りで 僕の場合は固定費、拠点を退去・引き払うとか、従業員の方に辞めてもらうとか、色んな手を打たなければいけない状況だった。
でも、プライドですよね。手に入れた物を逃したくないという。

あとはっきりと覚えていることがあって、僕子供の頃から強い人間になりたいと思っていた。承認欲求ですよね。「認められたい・褒められたい」という。
とにかく褒められるために頑張ってやってきた。

ある時、フランク永井さんという方が自殺未遂されたんでうす。そのときに従業員に朝礼で僕は
「フランク永井が自殺未遂をした。この人は弱い人だ 人間は死ぬ気になればなんだってできるんだ。強い人間になるべきだ」
と朝礼で言ったんです。

そう言った半年後には 自分が死を選択するという状態になっていた。
調子のいいときは人はなんとでも言えるが自分のすがるものが無くなったとき、自分がどれほど弱い人間なのかを思い知った。

再起をかけて挑戦する中で、本当に強い人は自分の弱さを認められる人だと 気付かされた。
人間は弱くて 小さくて 未熟で 罪汚れていて、中途半端なものだと。
それを認められるのが強い人で、そこから強さがスタートすることを知った。

自尊心で身内やスタッフからの忠告も受け入れない

坂田:状況が悪化する中で、奥さんやスタッフから忠告などがあったのでは?

穂苅:ありましたね。
家内も「やめよう」って言いましたね。
そのときの自分にはそういう(やめるという)選択肢が全くなかった。

家内は早々に実家に戻って 子供は母親みてもらい 本人は働きに出ました。

最後に残ってくれた2人の営業マンが「社長 やめよう」と折に触れて進言してくれた。
そのうちの1人は3月に結婚したんです。私が主賓で招かれて挨拶したんですけど。
じっさいの会社はジリ貧。明日どうなるかわからない。そんな状態でも
「嘘でもいいから そんな状態(会社が危機的状況)であることは言わないでくれ」と本人に頼まれて。

主賓の挨拶で「今後も責任持って 彼の面倒を見ていく。会社をしっかりやっていく」と嘘を言ったんです。
彼の親御さんも僕のところに来て「社長頼みます」と頼まれて、僕も「わかりました」と伝えて。

だけど嘘だから 本当にいたたまれなくて、席を立ってトイレで声をあげて泣きました。じっさいに体の具合も悪くなってきて、式の途中で本当に申し訳なかったが、失礼させていただいた事もありました。

今、思い起こすと彼らに、何回も「会社をやめよう」「もう無理です」(と言われていた)
「僕ら(会社を)やめて また頑張りましょう」
「今度(ビジネスを)やるときに僕ら待ってます」
1人の子は最後の最後まで会社に残ってもらって「穂苅さん 博人くん(長男)のために今辞めて、博人くんのためだけにやってください」と言ってもらった。
なのに辞める決断ができなかったですね。ズルズルいきました。

坂田:どれだけ奥さんやスタッフが心から進言しても入ってこない?

穂苅:入ってこなかったですね。
どうでもいいプライドで、入ってこなかったですね。
あとは承認欲求だね。やっと得た、人に認めてもらえる
社長という立場を無くしたら自分に生きている意味・価値がないと本気で思っていた。
経営者という立場の人はそういう欲求(承認欲求)が強いのではないでしょうか。
だから弱さを認めるとか 商売を縮小するとかリストラする決断がしづらい。

社長がコロナショックで思い詰める前に

坂田:コロナショックで会社やお店が苦しい中で、自分が自分がなんとかしようという一心で本当は借りてはいけないところから借りたり、儲からない儲け話に巨額の投資をしたり、ということをしかねないし、実際にしている経営者も出ているかもしれない。
でも、そこは本当に思いとどまって欲しいですよね。

穂苅:助けを求めることだと思います

坂田:どうにかしなきゃいけないけど どうにもならん。
そんなときは家族なり 親兄弟 親友など、まずは一番見せたくない人に弱さ見せないといけない。

穂苅:助けてください!ですよね。
声をあげることだと思います。
あなたを助けてくれる存在が必ずあります。本当生きてこそですから。

最終の借金は26才で個人負債2300万円

坂田:それで、穂苅さんは結局 借金は最大でいくらに?

穂苅:最終で六千数百万でしたね。
これは転げ回って大きくなっていった借金。事務所の家賃も何ヶ月も滞納して、結局は強制退去みたいな形になって
売掛金ですね 印刷物であったり、あと大きかったのが システム電話やコピー機のリース料。
代表者保証で保証人であったこと、これが全部積み上げると六千数百万であった。
その後裁判になり 最終的に個人負債として残ったのが2300万です。

坂田:でも実はその2300万の借金を29歳、なんと3年で完済しているんですよね?
本当に凄まじい20代をおくられてますけど、その話も今回の動画の評判が良ければ公開しましょう

穂苅:しみったれた話ですけど、実際私の人生に起きた真実・事実なので、機会があれば。

坂田:今回の動画はコロナショックで 1人で抱えて、精神的にキツい方にぜひ参考にして欲しい話です。
穂苅さんの話を参考に、自分なりに自分を見直してください。

坂田:本来は売れる営業相談室といって、営業さんのお悩みをズバッと解決しています。

ぜひ、そちらの動画もご視聴ください。

最後までありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?