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第五回 『アイヌ芸能』

京都芸術大学 2023年度 公開連続講座



第五回 「アイヌ芸能」

アイヌやインディアンのような民族は大自然への「祈り」や「知恵」を大切にしています。この世の道理や自然の法則に逆らわない生き方に魅力を感じていた私は、この日の授業をとても楽しみにしていました。

講師の秋辺日出男さん(デボさん)は阿寒湖アイヌコタン(コタンとはアイヌのことばで村の謂い)でお生まれになったアイヌ民族の方です。頑強な体つきと、顎のお髭が印象的でした。

「アイヌ芸能」と銘打たれた講義でしたが、アイヌ芸能に限らずアイヌの文化について広くお話を聞くことがでしました。

デボさんは、頭にアイヌのマタンプシと呼ばれるはちまきのようなものを巻き、伝統模様の羽織を着ていらっしゃいました。刺繍の模様はは、家庭によって少しずつ違っているそうです。これは、その模様がアイヌ全体ではなく、その一族の母から娘へと伝わるためにうまれる違いだといいます。

私は「大島紬」のことを思い出しました。大島紬も母から娘へ伝承されて今にいたる衣の一つです。椰子の実がなる南の島で穏やかに暮らす人々と、雪山に祈りを捧げながら狩猟の暮らしをする北国の人々の生活が、衣服を紡ぐ母娘の姿を通して重なりました。
家族のために衣を仕立てる母の姿、見習う娘。私はその姿に、何か普遍的な、真理と呼んでさしつかえないものを感じます。

アイヌの自然との共生について、デボさんは

「アイヌの衣食住は自然に依存しているし、それだからこそ自然を大切にしている」

とおっしゃいました。

自然との共生を語るにあたり、デボさんが「自然に”依存”している」という言葉からはじめられことに、私は感動しました。

「自然を大切に」というスローガンは、今や大人も子供も、誰しもが言える言葉です。が、そのスローガンは一体どのような立場から叫ばれるものなのか。それは、自然の脅威にも やさしさにも触れることのない、コンクリートの街に暮らす人たちから発せられているように思えます。私たちは、そのような街の中で、自分という存在が自然に依存していることさえ忘れ、まるで自分が自然を守っているような感覚になっていることが多々あります。

「自然に”依って存る”」という自覚。肌でそう感じていれば、わざわざ目標など掲げなくても自ずと人は自然を敬うものです。デボさんの言葉に、アイヌの方々の生き方が鮮明にあらわれています。


また、「自然との共生」についてさまざまなお話があった後、司会の先生はデボさんにこう言いました。
「デボさんから”共生”ということを聞くと、説得力がありますね。」
デボさんは「オレが考えたんじゃないからね。」とおっしゃいました。

アイヌの文化は自然や伝統的なものへの感謝と尊敬に貫かれています。自分が考えたものではなく、長い歴史の中で生まれた知恵を授かりながら生きているという謙虚な姿。いえ、謙虚という言葉さえ嘘くさく感じられるほど、アイヌの人たちは心からの感謝とともに生きていらっしゃるのだと思います。
振り返ってみれば、そういう姿は、私たちの先祖にも確固としてありました。アイヌの人々の生き方、心の姿に、驚かない生き方を私たちの先祖もしていたはずです。

明治維新や度重なる戦争、文明の発達とともにアイヌ民族、そして大和民族も大切なものを失いました。
明治の改革を日本の政府が行ったからといって、私たち大和民族に良い改革であったかどうかは別の全く問題です。一度途絶えたものを、再び建て直すことがどれほど難しいことか。伝統の上に、文化の中に生きる民族ならば、心の底から、痛いほどわかるはずです。

文明の発展によって途絶えつつある伝統文化は、「自然に依って存るという」自覚や「私が考えたのではない」という態度に立ち返ることで息を吹き返すのだとデボさんの言葉は気づかせてくれました。私たちにはほとんど見られることのない伝統観や文化観がアイヌの方々の間には、広く行き渡っているように思えます。

文化の表面を撫でるのではなく、その礎となるものを村で共有し、伝承されていらっしゃるアイヌの方々を尊敬せずにはいられません。


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