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喫茶店の日特集 4.13

喫茶店歴史

喫茶店が日本に登場してから135年!時代の移り変わりと共に歩んできた歴史をご紹介

現在の喫茶店やカフェの原点とも言える店が誕生してから、およそ135年のときが経ち、この憩いの場は、今や私たちの生活に欠かせない空間となりました。文明開化と共に徐々に広まった喫茶文化は、知識人や学生たちの貴重な交流の場として受け入れられ、そこでいくつもの思想や社会運動が生まれたことでしょう。また、新たな文化を迎えることとなった戦後には、音楽系喫茶や漫画喫茶という今までにないジャンルの喫茶店が登場しました。こちらでは、時代の移り変わりと共に喫茶店が歩んできた歴史を振り返ってみましょう。

日本とコーヒー

正式に日本がコーヒー豆の輸入を開始したのは1858年(安政5年)、鎖国が解かれ日米修好通商条約が結ばれてからの事でした。当時は限られた特権階級の人間しか口にすることはできず、一般の人々にコーヒーを飲む習慣が普及したのは、それから30年程あとの1888年(明治21年)のことです。
この年に、東京の上野に日本で最初のコーヒーを提供する店「可否茶館」が開店します。(参考リンク
興味深いことにこれは現在の複合カフェのような形態でビリヤードなどの娯楽品や書籍、シャワールームまで完備されていました。しかし、当時の日本の文化にはこの施設が受け入れられず、1892年(明治25年)には閉店することとなります。

可否茶館詳細

鄭永慶は、なぜ可否茶館をはじめたのか?~日本最初の喫茶店誕生物語~

「喫茶店」よりも早かった「カフェー」

現在のカフェブームから、「喫茶店」が古く「カフェ」が新しく思われがちですが、実はコーヒーを提供し人々の社交場となったのは、当時「カフェー」と呼ばれた施設で、「喫茶店」よりも普及の方が早かったのです。これは東京美術学校出身の「松山省三」(まつやま しょうぞう)氏が、パリのカフェのように画家達と芸術談義をできるような場所を作りたいと、友人たちと協力し開業したのが始まりでした。この店は「カフェー・プランタン」と名付けられ文化人が集まるサロンとして大いに発展し、その後は、銀座を中心に次々とカフェーの名の付いた店が開業します。

二分化する「カフェー」と「喫茶店」
1925年(大正14年)頃には、関東大震災の復興に伴いカフェーが急増し、同時に店の特徴と呼ばれ方も二分化していくこととなります。客の話し相手になる女給のサービスやアルコールを提供する「カフェー」の中には徐々にバーやキャバレーのような形態となる店も登場し、遂には1929年(昭和4年)に取締令が発布されます。以後、カフェーは激減し、それとは逆にコーヒーや軽食を提供する店は「喫茶店」または「純喫茶」と呼ばれ激増することとなりました。このように、盛り上がった喫茶文化の影響で1937年(昭和12年)には、コーヒー豆の輸入量もピークを迎えるものの、その翌年の1938年(昭和13年)には、戦時体制が敷かれ、輸入規制が始まります。

喫茶店の多様化と全盛期

第二次世界大戦が終結し、輸入が再開された1950年(昭和25年)以降には、再び庶民がコーヒーを求め喫茶店に通うようになります。戦後の混乱も徐々に落ち着いたこの頃からオーナーの趣味が強く反映された喫茶店が増え、中でも様々なジャンルの音楽で分けられた「音楽系喫茶」が人気を博しました。音楽喫茶の草分け的存在は1926年(昭和元年)のオープンから現在も営業を続ける「名曲喫茶ライオン」ですが、その他の名曲喫茶、歌声喫茶、ジャズ喫茶、シャンソン喫茶、ロック喫茶などは1950年代から1960年代にかけて全盛期を迎えます。さらに1970年代、独自の喫茶文化が発展していった名古屋市では漫画喫茶が誕生しました。

チェーン店の登場
このように、「喫茶店」とは人々と交流し、意見を交わして趣味を共有する場として栄えてきました。しかし、自宅で淹れられるコーヒー器具や音楽機器などが安価で手に入る時代になってからと言うもの、人々は喫茶店にまた別の役割を求めるようになります。そんな要望に応えるように、1980年(昭和55年)ドトールコーヒーショップの1号店が原宿にオープンしました。安価で手短にコーヒーブレイクが取れるセルフスタイルは忙しい日々を送る現代人の支持を集め、ドトールコーヒーはその後もチェーン店を増やし現在に至ります。それから、追い打ちをかけるように外資系チェーン店の参入、2000年(平成12年)頃のカフェブームから始まったさらなるカフェの多様化が進み、現在日本では元々の意味での喫茶店は少なくなりつつあります。しかし、昔から変わらず地域の人々に愛され、交流の場としての役割を果たしている喫茶店は今でも確かに存在しています。

喫茶店が日本に登場してから130年!時代の移り変わりと共に歩んできた歴史をご紹介

https://www.cookdoor.jp/cafe/dictionary/22304_cafe_004/


日本のコーヒーのはじまり イラスト解説 あゆみさん

あゆみ@nkz
・猫背な焙煎士
・『AWESOME DAY, COFFEE』
・アドバンスド・コーヒーマイスター
・コーヒーインストラクター2級

https://www.instagram.com/ayumi.nkz/


日本のコーヒー文化が独自発展した訳、喫茶店や缶コーヒーの歴史的意義とは


コンビニコーヒーが定着するなど、日本でコーヒーを飲む姿は日常の光景となりつつある。日本の1人当たりのコーヒー平均消費量は1日約1杯。ただ、日本にコーヒー文化が根付いたのは、世界的には遅かったのだという。

江戸時代の文人が
書き残した「コーヒーの味」

 今、この記事を読んでいる人の手にはコーヒーカップが握られているかもしれない。休憩中にコーヒーで一息つく人もいれば、覚醒効果のあるコーヒーを仕事のお供にしているという人も多いはずだ。

 世界中で親しまれているコーヒーだが、日本ではヨーロッパやアメリカとは違う独自の発展を遂げてきたのだという。

そもそもコーヒーは、どのような形で日本に根付いてきたのか?
『珈琲の世界史』の著者である旦部幸博(たんべ ゆきひろ)氏によると、江戸時代、長崎の出島へ商談に訪れたオランダ人が振る舞ったコーヒーが、日本人とコーヒーとの初めての出会いだったと考えられているのだそうだ。

「1804年に文人の大田南畝(おおた なんぽ)(蜀山人(しょくさんじん))が『瓊浦又綴(けいほゆうてつ)』という随筆に『焦げくさくして味ふるに堪へず』とつづっていますが、当時のコーヒーの味に関する記述はこれ以外にほとんど残されていないんです。『白糖を和したるものなり』とも書かれており、コーヒーに砂糖を入れて飲んでいた可能性は高く、飲みにくくはなかったとは思いますが、他に似たような味がない飲み物ですからね。異国の飲料という物珍しさも手伝って、衝撃を受けたのではないかと思いますよ」

 コーヒーの輸入が本格的に行われるようになったのは、1854年の開国後。次々と欧化していく日本において、コーヒーも徐々に認知されていく。19世紀末に流行したオッペケペー節の歌詞にもコーヒーが登場していたそうだ。


日本の喫茶店が
抽出方法を磨いた理由

 コーヒーといえば、切っても切り離せない存在が喫茶店だ。コーヒーが日本で爆発的な人気となるきっかけは「カフェー」だったという。
「19世紀末には、フランス・パリでカフェが再隆盛を迎えていました。日本から訪れた留学生たちは、パリのカフェ文化に触れ、帰国後も忘れられなかったようです。そうした留学経験のある文人たちの影響を受けて、日本でも『カフェー・プランタン』や、現在の『銀座ライオン』に連なる『カフェー・ライオン』などが開業しました」
 当時のインテリ・文化人が集まり流行の最先端となったカフェだったが、会員制のプランタンや料理が中心だったライオンと比較して、コーヒーに重きを置いていたと見られているのが「カフェー・パウリスタ」だ。

「パウリスタが当時の人々にウケた理由は、ズバリ安さです。ブラジルとつながりの深い水野龍という人物が開いたカフェで、コーヒー豆を過剰生産して供給先に苦慮していたブラジルと生豆の無償提供の契約を結んだため、品質の良いアラビカ種のコーヒーを安価で提供できたのです。庶民や学生の間で人気を博し、作家の芥川龍之介なども訪れていたようです」
 上流階級の人々の間ではすでになじみつつあったコーヒーが、さらに庶民にまで広まった大きな理由として「カフェー・パウリスタ」の存在が大きかったのだ。
 その後、日本のコーヒー文化にとって冬の時代であった第2次世界大戦を経て、1960年代になると、日本もアメリカ主導の国際コーヒー協定に組み込まれた。この国際協定に参加したことで、日本もコーヒー消費国としてコーヒー豆を多く輸入するようになった。
「日本は消費振興のための『新市場国』と位置付けられたため、低品質な豆が流れ込んできました。質は高くなかったとはいえ、手軽に安くコーヒーが購入できるようになったのは、この頃からです」
 また、1970年代は脱サラして喫茶店を始める人が多かった、と旦部氏は語る。
「いざなぎ景気が終わった頃、脱サラして喫茶店を始めようと考える人が増えました。個人で始めた喫茶店で仕入れることができるコーヒー豆は、それほど質が高くありません。そこで、雨後のたけのこのように増えたライバルの喫茶店と差をつけるため、ドリップやサイフォンなど、自分の店に合う抽出方法に磨きをかけて、競い合うようになります。実は、喫茶店が抽出にこだわるというのは、各国の歴史を見ても類がありませんでした」
 アメリカの場合は、コーヒーに特化した専門の輸入業者がいて、味にこだわろうとする店は良い豆を仕入れる方に力を入れていた。ただし抽出の方はまとめて淹(い)れるスタイルが当たり前で、あまり注目はされなかった。一方、日本では、良い豆を仕入れられなかったため、抽出方法にこだわらざるを得なかった。
 こうして、日本独特の職人気質が、世界的に珍しいコーヒー文化の発展につながっていたのだ。アメリカでエスプレッソが流行する前に、日本では注文を受けるたびに1杯分ずつコーヒーを淹れる「一杯淹(だ)て」の手法が広く普及していたというから驚きだ。

世界初の缶コーヒーを
開発した日本人
 実は、缶コーヒーを初めて開発したのも日本だったそうだ。世界初の缶コーヒーが何かは諸説あるが、1965年には「ヨシタケコーヒー店」店主の三浦義武氏が缶コーヒーを発売。その4年後に上島珈琲(現UCC上島珈琲株式会社)のミルク入り缶コーヒーが開発されたことで、全国に缶コーヒーが普及した。同社を創業した上島忠雄氏は、もっと手軽にコーヒーを持ち運べるようにとの思いで開発を進めたのだという。
「コーヒーを缶に詰め、温めて売るなんて発想は、まだ世界にはありませんでした。実は最初に缶コーヒーが作られたとき、菌が発生してしまうなど、多くの問題が起きていたようです。問題を解決するためにさまざまな工夫が繰り返されてきました。

おいしさという点では淹れたてのコーヒーには叶わないが、いつでも簡単に飲める缶コーヒーの開発も、日本のコーヒー愛の一つの形といえるのかもしれない。
 また、セブンイレブンを筆頭に、コンビニでもオリジナルのコーヒーを飲む機会が増えた。手軽においしいコーヒーが飲めると評判だ。
「コンビニのコーヒー豆は、常に一定のブレンドというわけではありません。原料価格の動向によって使うコーヒー豆を変えても味が大きく変化しないよう、コーヒーメーカーを作るときは大変な努力をしたようなのです。また、その場でコーヒーを『淹れられる』というのは大きな強みですね」
 誰でも気軽にコーヒーを楽しめる現在の環境は、多くの先人たちのコーヒーにかける情熱によって耕されてきた。日本のコーヒーをめぐる状況は、今後どのように変化していくのだろうか。
「多くの人が気軽にコーヒーを飲める状況になったので、さまざまな種類のコーヒーの中から自分のお気に入りを見つけたという人も増えてきたと思います。これから先もコーヒー好きの日本人はますます増えていくと思いますが、『2050年問題』と呼ばれる環境問題が、コーヒー消費大国の日本に大きな影響を与えるかもしれません」
 このまま地球温暖化が続くと2050年にはアラビカ種のコーヒー豆の栽培地が半減してしまうというコーヒーの『2050年問題』。
コーヒー豆生産に適した土地を持たない日本にとって、栽培地の縮小化は大きな問題となるだろう。
「コーヒーファンが増えつつある状況だからこそ、『大好きなコーヒーが飲めなくなってしまうかもしれない』という危機感も頭の片隅には置いてほしいですね」
 ほっと一息つけるコーヒーを今後も楽しむために、ほんの少しでも地球に優しい行動を取ってみてはいかがだろうか。



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コーヒーゼリーの歴史



発祥
コーヒーゼリーは日本生まれの冷菓と考えられています。コーヒーゼリーに関する最初の資料は1914年 (大正3年) 4月3日付の読売新聞に登場します。家事や生活のことを扱う、「家庭面」にコーヒーゼリーのレシピが掲載されました。

日本で最初にコーヒーゼリーの販売を手掛けたのは「ミカドコーヒー」の創業者です。「ミカドコーヒー」は軽井沢で当時夏季のみ営業していた喫茶店で、コーヒーゼリーは1963年に販売。「食べるコーヒー」として大ヒットしました。

コーヒーゼリーは基本的にコーヒーとゼラチンがあれば作れます。材料が簡単に手に入り、作り易さもあって、家庭のおやつとして普及します。現在ではカフェや喫茶店の定番商品ですが、海外ではあまり知られていません。



カフェナカアカリ 横浜

カフェ ナカアカリのコーヒーゼリー
カフェ ナカアカリのコーヒーゼリーは高品質なスペシャルティーコーヒー豆を使用しています。挽きたてのコーヒー豆をハンドドリップで抽出、そのあとの急冷も、美味しさを閉じ込めるための大切な作業です。ごろんと上に乗った自家製バニラアイスクリームとの相性も抜群。さらに、この丸いアイスクリームにちょこんと添えられたオレンジピールが良いアクセントになっていますが、実はこのオレンジピールを作るのに3日かかります。このデザートのためにご来店いただくお客さまも多くいらっしゃる


ナポリタン歴史



イタリア人が食べたら?日本発祥の食べ物。


モーニング歴史



大隈重信 コーヒー ブラジル



銀座の老舗「カフェーパウリスタ」の魅力


http://sanssouci.cafe.coocan.jp/sansui-%20ookumasien1401.htm


あとがき

日本の文化である喫茶店。現在は、カフェや外資系チェーン店が多く占めている。将来的に喫茶店はなくなると言う人もいるが、なくならないと思う。その理由に、喫茶店は日本独自の文化だからだ。
地域の人の憩いの場、打ち合わせの場、よりどころから発生した喫茶店は、日本独自のメニューや店舗に進化をし続けている。今後後継者不足など色々と困難はあると思うが無くしてはならない文化だと思う。
是非、この喫茶店の日をきっかけとして喫茶店に行って欲しい。
近くの何気ない喫茶店に行って感じて欲しい。日本全国の喫茶店は、それぞれ唯一無二の存在。地域の情報や歴史がギュッと詰まっている。逆にその土地の文化や情報は、喫茶店に行くと良い。そこには、昭和の歴史と人情に溢れている人が必ずいるはずだ。海外の人にも体感して欲しい文化。やがて『喫茶店』という言葉がインターナショナルになる事をせつに願う。
さぁ、喫茶店に行こう!  naoki



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