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農村と郊外のあいだに”小さく”暮らす

新居を設計するにあたって、自分たちらしい暮らしとはなんだろうかとコンセプトを考えた末、「農村と郊外のあいだに小さく暮らす」という考え方に至った。
住む町を選んだ理由については前回のnoteで書いてみたのだが、今回は「小さく暮らす」ということについて、書いてみたい。

「ハコモノ」の不具合

今、私たちの身の回りにある公共施設は、何にせよオーバースペックで作られていて、それは高度成長期&バブル期にイニシャルコストをしっかりかけて立派に作っていたからだ。当時は人口急増社会だったため、建物が全然足りておらず利用する人もたくさんいたし景気もよかったしで、それが成り立つ時代だった。それが必要とされていたことも事実。だいたいが、大は小を兼ねると言わんばかりに、過剰につくられ余ってしまっている、というのが多い。

ただ、縮小社会である現代においては、そんな建物は無駄も多く扱いづらい。公共R不動産では日々そんな物件の活用相談がやってくる。廃校、庁舎、図書館、少年自然の家、その他。いろいろな公共施設があるが、建築年数の経過や、利用者の減少をきっかけに、施設のあり方が見直されていく。
リノベーションするにはおもしろい与件にもなるのだけど、オーバースペックでつくってしまって身動きがしづらいなー、というのが僕の中でふと感じた感覚だった。

UR(日本住宅公団)から見る暮らしの変遷

前職でもあるURの歴史をみると面白くて、建設された年代によって住宅のタイプがはっきり現れている。初期はコストを抑えながらいかに効率良く量産するかに重きがおかれ、結果として食寝分離のライフスタイルや、DKという間取りが発明された。
量産時代が落ち着くと、今度は生活環境の質向上が求められ、郊外にゆったりとした住宅をつくっていこうというモードにシフトする。子どもは一人一部屋が標準で、ファミリータイプで3〜5LDKの間取りが増えていった。

URのHPに団地の変遷がわかりやすくまとめられていたのでご興味ある方はぜひ◎
https://www.ur-net.go.jp/rd_portal/urbandesign/history/history_top.html

UR都市機構HP「団地設計の潮流」

そんな潮流もあってか、戸建て住宅を建てる場合にも考えられるのは、子育てがピークになる時に合わせて部屋数を確保して、3〜5LDKくらいのスペックが基準になっているような気がする。

でも、実際子供が大人になり家を出ていくことになったら、その大きな家に夫婦2人で住み続けるのだろうか・・?それを維持していくだけの資金と体力があるのだろうか。。これは高度経済成長期に建てられた公共施設ともリンクした。

設計をはじめるにあたって、人生のライフステージによって、必要となる住宅のスペックにはかなりムラがあるのだよな、ということを感じた。だとするならば、その時々によって柔軟に暮らしを変えられるような住まい方をしたいと考えた。

テンポラリーアーキテクチャーで学んだ「柔らかい都市のつくり方」

所属しているOpenA+公共R不動産で本を出版した。
「テンポラリーアーキテクチャー:仮設建築と社会実験」。暫定的・実験的なまちづくりをテーマにした本だ。

この本の帯に書かれていたのが「柔らかい都市のつくり方」だ。
とりあげた事例には、個人や小さな組織でも、自分たちの行動次第で公共的な空間をつくったり、それが都市の風景を劇的に変えたり、政策に影響を及ぼすようなことがたくさん起こっている。それらをみていく中で、これまでのようなトップダウンで大枠を決めていくような都市計画ではなく、自分たちで小さな風景を積み重ねていくような手法だった。

テンポラリーアーキテクチャーでとりあげたparking day。パーキングをポケットパークに置き換え、都市に居場所をつくりだしている。

馬場さんの終章では、「民主的な建築・都市は可能か」という見出しで締められた。都市を自分たちの手に取り戻そう、と。
なんだかその考え方がしっくりきて、それは暮らしにも同じことだな、と思った。
いきなり大きな暮らしのハコをつくるのではなく、小さく暮らしながら、その時々で必要なものを足したりつくったりしながら、自分たちの手で暮らしをつくっていくことなんだと。

「小さく暮らす」こと

だから、もっと柔らかい、ゆるやかな暮らしがしたいと思った。そこで行き着いたのが小さく暮らすということだった。

予めフルスペックでつくるのではなく、最小限の暮らしの機能を備え、子供部屋が必要になったら寝室を区切り、居間を二人の寝室にする。手狭になったらすぐ近くに物件を借りて、仕事場は別に設けてもよい。
子供が家を出たら、またゆったりと2人で暮らす。そういった柔軟性を持ちながらも窮屈でない暮らしが実現できる家にしたかった。

都市においても、自分たちの暮らしにおいても、最初にがつっとコストをかけるのではなく、小さく始め、少しずつ手を入れたり改変していく。社会動向も変わりやすい現代なら、そのスタンスがしっくりくる。

小さくすることで、日常にちょっとした余白がうまれ、その余白が暮らしを豊かにするのだと思う。


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