(2)鷲谷花(映画研究者):JFP調査2022、有識者による解説
少数の大手映画会社が、映画製作に必要な設備及び機材を備えた撮影所(スタジオ)を直営し、一定のフォーマットを共有する娯楽的ジャンル映画(プログラム・ピクチャー)を、厳密な予算及びスケジュールの管理下で量産し、全国の系列映画館で興行して収益を得る、いわゆる「撮影所システム」の時代、映画製作現場で働くスタッフ及びキャストの多数を占めていたのは、撮影所と雇用契約を結んだ賃金労働者だった。撮影所には総じて組織率の高い労働組合が存在し、会社と協議して就業規則を取り決め、現場での遵守状況を監視していた。1960年代半ばに日本映画産業が衰退期に入ると、各社経営陣は、撮影所の人員整理、非正規雇用化、労働強化を主旨とする「合理化」を推し進めたが、それに対して、組合は、雇用の安定、賃金と労働条件の改善、場合によっては経営への参入を要求し、しばしば激しい労働運動をくり広げた。
結局、1980年代までには、主要な映画会社は興行部門に注力し、製作部門の縮小とアウトソーシングを進めた。最後まで撮影所機能を維持し、「プログラム・ピクチャー」としての日活ロマンポルノの製作を続けた日活も、1981年にはベテラン技術者への退社勧告、88年には「ロマンポルノ」路線の終了に至る。1980年代以降、日本映画の制作現場の主要な業務を担うのは、製作配給会社と雇用契約を結んだ労働者ではなく、フリーの個人事業主が主体となった。
撮影所には、スクリプター、結髪、美粧(メイク)、着付等、女性スタッフ中心の部門が複数あり、編集も比較的女性の参入しやすい部門だったが、演出部をはじめとする大半の部門では、採用条件が「男子」に限定され、映画本編クレジットに名前が出るメインスタッフは男性が多数を占めていた。撮影所時代の日本映画界が圧倒的な男社会だったことは疑いようがなく、撮影所の崩壊と映画労働者のフリーランス化は、演出、撮影をはじめ、かつてはほぼ完全に男性に占有されていた職域への女性の進出の途を開いた。JFP「日本映画業界の制作現場におけるジェンダー調査」の示す、映画制作現場の各主要部門に、全体の割合としてはいずれも少数にとどまってはいるものの、とにかく複数の女性スタッフが参加している状況は、かつての撮影所時代には考えられなかったものとはいえるだろう。しかし、「女性のいる職場」が、即ち「女性が働きやすい職場」を意味するわけではない。
JFPの実施した「映画現場の女性スタッフへの匿名インタビュー」の結果を見ても、労働環境の苛酷さは一目瞭然といえる。一般にはフリーランス・自営業者としての働き方には、働く時間と場所とを自律的に決められるメリットがあるとみなされるが、映画スタッフはそれをほとんど享受できていない。僻地のロケーション撮影現場を含む自宅外の職場で、長時間にわたって拘束される働き方は、撮影所時代と大きく変わるところがない。しかも、撮影所時代に就業規則の取り決めに関わり、現場における遵守を監督していた労働組合にあたる組織が、現状ではほぼ不在のため、労働の長時間化を労働者の立場からコントロールすることがいっそう困難になっているうえに、「就労時間」に含まれず、したがって報酬が発生しない諸準備作業も長時間化していることが、複数のインタビュイーの発言から窺われる。
撮影所時代に確立した働き方のスタイルは、働いているのが「男性稼ぎ主」であることが前提だった。それがそのまま持ち越されたうえに、労働がさらに長時間化している現状は、家庭における家事・育児分担へのプレッシャーをいまだに強く受け、妊娠・出産の可能性もある女性にとっては負担が大きく、安定的なキャリアの継続が困難であることは想像に難くない。
筆者は過去に『1980年代』(斉藤美奈子、成田龍一編著、河出ブックス、2016年)に寄稿したコラム「撮影所システムの終焉と「フリー」の時代」で、1980年代以降の日本映画の「労働者」性からの解放は、個々の作品の創造的達成とは別に、数々の負の影響をもたらしたことを指摘した。たとえば、撮影所で高度な職人的スキルを身につけたベテラン技術者と、撮影所を体験せずに現場に入った若い世代の間の格差の拡大と、上位者の立場に伴う責任の曖昧化した上下関係の固定。その時その場のヒエラルキーの中で恣意的かつ一方的に決定される労働条件。「労働者」の立場から「フリー」になった映画スタッフが、かつては会社への帰属を通じてアクセス可能だった社会保障、福利厚生から疎外される状況の固定化。JFPの調査の結果を見る限り、そうした環境には改善がみられず、むしろ苛酷化しているようだ。
バブル崩壊により、1980年代から90年代初頭にかけて日本映画界への潤沢な投資が失われた後、映画制作現場での人件費が低止まりで維持されてきたのは、長期にわたるデフレに支えられてきた面もあった。しかし、昨今の日本経済は明らかにインフレ傾向に転じつつあり、現状の低水準の人件費が維持された場合、映画現場で働く少なからぬスタッフに、将来的な貧困に陥る脆弱性を強いることになるだろう。賃金や労働条件に関する交渉力を欠き、社会保障からも疎外された状態に、多数の映画現場スタッフを留めておくことの危険性は、ますます高まることが予期される。
映画制作現場で働く人びとの労働の結果として作られた作品を興行し、あるいはソフトを販売、配信して利益を得る企業、それらから人生を活気づける娯楽と慰安を得る消費者は、映画労働者の人並みの水準の生計と生活、生命と健康の維持を、現状のように当人の自己責任のみに留めるのではなく、よりよいソーシャル・プロテクションの提供にあたっての責任を、意識的に引き受けていくべきだろう。
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