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元転勤族家庭で身につけた処世術

高校在学中にした1年間のドイツ留学のときも、僕はホームシックという状態にならなかった。
怒る人がいそうだけれど、そもそも親とはあの1年間で1度しか電話しなかった。
しかもその1回は、ヨーロッパに住んでいる自身の親戚を訪れた際、その親戚がうちの親と電話をしていたから話しただけで、自分から電話をしたわけではない。
流石に今回のスイス生活では、親に近況を伝えないと申し訳ないと思い、せめて2か月に1回くらいは電話するようにしている。
(それでも少ないと言われそうだけど)
(LINEでの会話ならある程度の頻度でしています)

僕は人間関係を持続させるのが大の苦手だ。
色々考えた結果、これは僕の幼少期の経験が影響を与えているのだと、とりあえずは結論づけている。

父の仕事の関係上、小学校前半までの僕の生活は1〜2年おきに日本国内を転々とするものだった。
おかげで、(留学もあったから)人生で1つの学校に継続して通い続けたのは中学校しかない。
その結果僕の頭の中に刻まれてしまったのは、人間関係は数年で終わりを迎えるものという認識だった。

引っ越しをよくしてきた人たちは、コミュニケーション能力や適応能力が高くなるものだと、一般的には思われるだろう。
でも僕は一概にそうとは言えないと思う。
少なくとも僕は別にそうではない。

よく日本人は概してシャイと言われるが、小学生以下の年代であればあまりそれは感じない、というのが僕の実感である。
もちろんこれは、僕が日本人的な見た目をしており、なおかつサッカーをしていたという、全ての特徴がマジョリティ側に当てはまっていたからなのだが、その結果新しい関係性を作る苦労はほとんどなかった。
都道府県ごとの学習要領の差など、新しい生活が始まる上での苦労はあったのだろうけど、今となってはほとんど記憶に残っていない。
つまりはそれほどの障壁でしかなかったのだと思う。

自分からアプローチする必要がないだけではなく、長くて2年程度しか一緒に過ごさないのであれば、自分を深く開示する必要性もない。
言ってしまえば、なんとなく「友達」という関係性にまでなっていれば、そこで暮らしている間は不自由なく過ごすことができたのだった。
だから僕は自分を開示することが昔から苦手なのだと思う。

既存の人間関係には数年おきにリセットボタンが押され、周りの誰をも知らない場所に突然移動する。
そんな生活に慣れてしまっていたから、大学の4年間が始まる時は苦労したものだった。
(結局大学でも4年間同じ人たちと過ごすことは無くなってしまったけれど)
それを少しでも改善しようと、このように文章で自分を開示しようと試みるようになった節もある。

そんなこんなで、僕は環境が変わってしまうことに慣れてしまったのだと思う。
環境が変わり続けるということが、変わらない唯一のことだったのだから。
だからこそ、以前の生活を欲しても意味がないのだという、ある種の諦めが身についてしまったのだと思う。

よく周りからは、一人でいるのが好きな人間と思われがちな僕だけれど、ただ他者との距離を近づける方法を知らない不器用な人間というのが実際のところである。
人との繋がりを避けているのではなく、むしろ欲している面もあると思う。
内向的で内省的であるのは認めなくてはならないが。


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