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ドイツ語学習者が英語について思うこと

高校の時にドイツに留学してから、僕の英語に対する苦手意識はとても大きくなってしまった。
学び始めたのは英語の方が圧倒的に先だけれど、ドイツ語の方が何も考えなくても話せる状態になってしまった。
今日は英語(圏)について思うことを色々と書いていく。
ただ、これから書くことは偏見が多く含まれており、自分自身でも間違っていると思うことも多い。
ただ、英語以外に関心が向きがちな自分はそういうふうに感じてしまっている、ということ自体を書き表したいのでご留意いただきたい。

・英語圏は「英語を話せることは前提」のような圧を感じる


単純にいうと英語圏は怖い。
冗談ではなく、そんな先入観を持ってしまっている。
その一つの理由は、英語以外にコミュニケーションを取る言語がないからだと思う。
公用語が英語でない国では、ほとんどの現地の人にとって、英語は第二言語になる。
もちろんそういった国でも、その国の言語を話せという圧力が強いところもあるが、自分の言語が世界で広く話されていないことを理解しつつ、英語で話してくれる人たちも多くいる。
(その国の言語を話せる時は、そういった配慮が自分をよそ者として見ているように感じられて、逆に嫌になったりもするのだが。)
そして、その人たちにとっても英語は母語ではないため、英語が話せることは当たり前ではないということを理解してくれることも多い。

僕にとってはイギリスよりもアメリカの方が怖いのだが、その理由の一つにはイギリスは島国とはいえ、様々な言語が共存するヨーロッパにあるから、という要因もある気がする。
そもそも、(ロシアを除く)ヨーロッパではドイツ語が最も母語話者の多い言語になっており、英語は一位ではない。
そういった環境にあるからこそ、まだ他の言語に対する理解があるように感じる。
対してアメリカには、よくアメリカ人は他の国のことを知らないというステレオタイプを聞くように、他の言語への関心が低いという印象がある。
(アメリカの本土に立ち入ったこともないのにこんなことを言ってごめんなさい。)
(ただ、第二外国語学習率が低いとかそういうデータはどこかで見たことある気がします。)

余談だが、今回のスイス生活でヨーロッパの人たちも別に英語を完璧に話しているわけではないということによく気づくようになった。
例えば、ドイツ語では英語の「make」は「machen」という動詞になるのだが、この動詞は「do」という意味でも頻繁に用いられる。
それによって、咄嗟に英語を話すときにその混合をしているのを何度か聞いたことがある。
そもそも英語の中にドイツ語の単語がそのまま出てくる時はしばしばあって、ミスを揶揄うという意味ではなく、少し微笑ましい気持ちになる。
(もちろん、これはドイツ語と英語が近い言語だから起こりやすい話なのだろうけど。)

・英語は例外が多すぎる


高校の時に英語の勉強を一度放棄した自分にとって、英語における「なんとなくこの表現は合っているだろう」という基礎的な感覚は抜け落ちた。
そのため、例外が多いという印象は、さらに英語学習のモチベーションを下げている。
ドイツ語は確かにとっつきにくい言語だと思う。
もし自分が大学入学までドイツ語に一歳触れてこなかったとしたら、おそらくドイツ語を選択していない。
日本の大学の第二外国語学習では、ドイツ語の法則すら理解することなく、学習を終えてしまうと思うからだ。
ただドイツ語のいいところは、一度複雑な法則を理解してしまえば例外がほとんどない言語であるというところだ。
例えば、単語の読み方は押し並べて例外がない。
だからこそ、仮に会話で自分の知らなかった単語が出てきても、その単語のスペルはすぐにわかるため後で調べることができる。
もちろん、フランス語由来の単語などもあるため、そういったものはドイツ語的には例外になるものの、単語を知らなくても9割方はスペルが分かると言える。
英語も慣れればスペルが分かるようになるのかもしれないけれど、僕にはまだまだわからない。

大前提として、今現在は英語が世界共通語としての地位を築いているし、英語を勉強して損は全くない。
というより、広い視点を持って生活するなら英語の習得はマストだと思う。
僕自身もこんな言い訳を並べるのではなく、割り切って英語と向き合う必要があるはずだ。
僕の英語は、日本での英語教育の影響、ドイツでの英語教育の影響、大好きなイギリスの音楽からの影響、アメリカのドラマからの影響を受け、なんとも言えない英語になっている。
ヨーロッパにいて思うのは、誰もが完璧でないのだからそんな自分の英語も愛し、相手と楽しく会話することを目標にすればいいのではないかということだ。

ただ、理想論すぎるのかもしれないけれど、日本でも英語以外の言語を重視し、しっかり学べるような教育環境が整って欲しいとも思う。
英語が苦手だからと言って、その人に外国語学習の能力がないと判断するのは間違っている。
人によって各言語には向き不向きがあり、各々の好きな言語を極められるようになるべきだ。
英語圏(主に想定されるのはアメリカ)だけが海外であるわけではなくて、世界には他にも興味深い言語がたくさん存在している。
英語以外の言語を学習することは、世界を相対的に見る視点をさらに養い、自分の当たり前が他者の当たり前でないことに気づかせてくれる。
言語を学ぶということは、文化を学ぶということであり、異なる価値観を学ぶということなのだから。
僕にとって、言語学習は異文化理解に資する重要な方法のひとつだと思っている。

日本語もこの話の例外ではなく、仮に英語を中心に世界が回っていたとしても、決して日本語の価値を貶める必要はないと思う。
文化相対主義的にいえば、それぞれの言語はそれぞれの価値を持っているのであって、言語に優劣など存在しない。
僕自身も今現在一番好きな言語はどれかと聞かれたら、迷わず日本語と答える。
ただし、それはあくまでも他の言語の学習を通して日本語の価値を再認識したからであって、他の言語を知らなければ比較すらできなかった。
もちろん今こう思えるのは、自分が外国語学習に専念できる、恵まれた環境を持っていたからなのであるが。


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