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400km走れるガラスの靴が欲しかった

出会うのが遅すぎたと思う恋は何度かあったけれど、
出会うのが早すぎたと思った恋はあの時一度だけだ。


入社一年目の忘年会で彼と出会った。

私の会社は大阪に本社があって、彼は関連会社で働くデザイナーだった。社長同士が仲良しという理由で、合同で開催された宿泊付きの宴会。諸先輩を盛り上げるためのカラオケで、たまたま彼と私が指名されて一緒に歌った。上手だねと伝えると、趣味でギターを弾いていることを教えてくれた。上司はだいぶ出来上がっていて周りのことはもう気にしていなかったし、同僚も初めて会う本社の同期と楽しそうに盛り上がっていたから、私は彼と長い間おしゃべりをしていた。同じ歳でなんとなく波長の合う人。穏やかで優しそうだけれど瞳の奥から感じるのは刺すような鋭さで、全て見透かされているような怖さが新鮮だった。翌朝、解散すると、彼は大阪に私は東京に戻った。深い眼差しだけが、かすかに記憶に残った。



三年後、北海道で彼と再会した。

社長が数名の女子社員だけを誘ってくれた半分プライベートのようなスキー。大阪からは社員のほかに彼の会社からも何人かが参加していて、私は空港から宿泊先に向かうバスの中で彼を見つけた。見つけたというより、見つかったと言ったほうが近いかもしれない。何かを感じて振り返った時、彼と目が合ったのだ。話しかけるでも微笑みかけるでもなく、ただこちらを見ていたあの目。私は会釈すらできずに視線を逸らせて前を向き直した。隣に座る同僚に心臓のドキドキが聞こえてしまうのが怖くて、初めての北海道に浮かれているふりをした。窓の外の雪景色に大げさにはしゃいでみせると、飛行機が怖いと言っていた同僚も無事に地上に降り立った安心感から同じテンションで盛り上がってくれた。社長は自分が連れてきた社員が喜んでいる姿に気を良くしていたし、後ろの方にいる彼の座席付近からも笑い声が上がる。大丈夫、バレてない。

翌朝、ほぼ素人の私が社長にくっついてスキーを教えてもらっていると、当時まだ主流ではなかったスノボグループの中に彼がいた。突然こっちを向く。またあの目だ。ドギマギして視線を逸らす自分が、初恋中の中学生みたいで恥ずかしくなる。なんなのよ、もう。

まだバブルの頃だったし、プライベートということもあって、夜の宴会は盛大だった。社長を含め、上司たちがかなりの開放感で盛り上がっている中、彼は話しかけてきた。久しぶり。あっ、うん。隣に座ってきた彼と何を話したかはほとんど思い出せないけれど、確かほっけが美味しくて日本酒をたくさんおかわりしたような気がする。あとはそう、名前の話になって、彼は珍しい読み方をする自分の名が読めるかと私に聞いた。亡くなったお父さんがつけてくれた大事な名前。間違えずに読めてよかった。きっとあれは、私に心を許すかどうかを決める試験だったんだ。

私の記憶はそこで終わっている。次に気づいたのは朝で、部屋に戻ってこない私を心配した同僚がとっくに上司に報告していた。もちろん社長の耳にも入ってしまったから、謝りに行った彼はこっぴどく叱られた。私は軽くおでこをつつかれた。

チェックアウトまでの自由時間、お土産を買うふりをして彼を探した。謝らなくちゃと思ったし、昨日のことも聞きたかった。安心できる人の前でしか本気で酔えない自分が記憶をなくすなんて初めてだったから、朝の光の中で彼を見てその理由を確かめてみたくなったのだと思う。

意外にも彼はすぐに見つかった。いつも悪いのは男の方という謎のルールに助けられ、おとがめなしで解放された私のゴメンナサイを聞き終わるとすぐに、彼はカードを差し出した。105度のテレフォンカード。透明のケースの中には電話番号のメモが入れてあった。彼も私を探していたんだ。

「よかったら電話して。」

思わず笑ってしまった。
私もコートのポケットに同じものを用意していたから。


ーーー


20代を折り返した頃、初めて一人で新幹線に乗った。
JR東海がテレビでエクスプレスシリーズのCMを流し、牧瀬里穂の笑顔にみんなが釘付けになった数年後のこと。山下達郎のクリスマス・イブが流れるたび、今でも私はプレゼントを持って柱に隠れる彼女の姿を思い浮かべる。可愛かった。なんて素敵なクリスマスだろうと思った。遠距離だって大丈夫、私だってシンデレラになれるかもしれない、根拠のない勇気をくれた数十秒間の物語に、どれだけのカップルが救われたのだろう。


片道3時間ほどの時間と、往復で3万近い交通費。
それを準備するのは簡単なことではなかったけれど、彼ばかりに東京に来てもらうのは申し訳なかったから、次は私が行くと言った。出始めの携帯は高くて持てなかったし、大阪に土地勘もない。不安だらけの私の背中を押してくれたのは前日の電話で彼が言ってくれた「待ってる」の言葉だった。新幹線に乗り込むと、12月でもないのに頭の中で流れるクリスマス・イブ、終電じゃないのにまるでシンデレラ気分だ。

彼は改札から少し離れたところで待っていてくれた。ホッとして嬉しくて駆けよった。彼は少し笑って、駅からすぐの明石焼き店に連れて行ってくれた。たこ焼きじゃないの?と聞くと、まずはこれを食べさせたいんだと言った。その店は、兵庫出身の彼が納得する味だったらしい。

よく行くというお店のお好み焼きも、シェアして食べたパスタも、選んでくれたワインも全て美味しかったし、私より早く起き出した彼が作ってくれた卵焼きはやさしい味がした。

好きだと言っていたマルセイバターサンドはカロリーが気になるけど今でも時々手に取るよ。東京に来てくれた時に中華街まで行って食べた周さんのチャーハン、本人がフロアに出てきてくれてビックリしたよね。いつだって楽しそうに食べるあなたは、それだけで私を幸せにしてくれていたんだ。

もうずっと昔のことなのに切り取ったいくつかのシーンだけは嘘みたいに鮮明だ。そんな風に思い出の断片を継ぎ足して、私は都合よく記憶を塗り替える癖があるらしい。



夜中まで終わらない仕事。彼だって同業なのだから不在が多くても当たり前なのに、電話がつながらないだけで不安になった。だから寂しい夜はハガキを作った。1枚の写真に1本のキャッチコピー。デザイナーの彼に響くようにと精いっぱい工夫をした。もっと寂しい夜は手紙を書いた。熱い言葉をどれだけ並べても大丈夫、届くまでに中1日あれば冷えて適温になると思って書いた。


それでも。
結局、私は寂しさに負けてしまった。
返事をくれず、月に何度かしか話のできない彼ではなく、いつも近くにいてわかりやすい言葉をくれる人を選んでしまった。


一年後、1通の手紙が届いた。

特徴のある大きな文字で、すぐに彼からだとわかった。
便箋2枚に込められた、聞いたこともない彼の心。

すごく好きだったと書いてあった。


遅すぎるよ。

その時にはもう、わかりやすい言葉をくれただけの人は近くにいなかったけれど、過去形で書かれたその手紙に返事を出す勇気はなくて、彼とはそれきりになってしまった。もう風のウワサを聞くこともない。

スマホがあって好きな時にメッセージを送りあえる、そんな時代に出会えていたら彼の心に気づけたのかもしれない。スタンプひとつでもいい。繋がりがカタチで見えていたら信じて待てたかもしれない。知ってる?新幹線を見送りながら泣いたなんて、一年後に送ってくるのは反則なんだよ。


出会うのがもう少し遅かったら。

もっと一緒に食べていられたかもしれないね。
もっと一緒に笑っていられたかもしれないね。

ーーー

数日前に読んだnote に心を揺さぶられた。

生きるためのカレー

強烈なネーミングから目が離せなくなった。
お店の場所を知りたくてGoogle Mapsを開くと、そのページには見覚えのある住所が含まれていて、私の時間は一瞬で巻き戻された。彼のアパートがあった場所。一緒に歩いた道。

個人のセンチメンタルと一緒にしてしまうのは本当に失礼だと思う。

けれど、美味しいものだらけのあの街で、今、懸命に立ち上がろうとしている人たちが作るカレーは、間違いなく美味しいはずだと思った。

彼はこのカレーを知っているだろうか。

辛い時間を糧にする「生きるためのカレー」。
いつか私も味わってみたい。



今も彼が美味しいものを食べて笑っていますように。
二度目のゴメンナサイを伝えられなかった私から
ささやかな祈りを贈ろう。




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